2014年1月31日金曜日

The Great Gatsby:ニックの役割

 The Great Gatsbyはとても良く考えられ、構成をしっかり組み立てられた作品だ。闇をはらんだいくつかの謎や、狂おしくも儚く崩れる人間関係は美しくもある。作者F・スコット・フィッツジェラルドが生み出したこの物語は、波乱に満ちた人生の中で精神と技術が最も調和していた頃に書かれた物だ。語り手をニック・キャラウェイとし、ジェイ・ギャツビーの青春を追っている。私はここで、ニックの役割をつきとめようと思う。ニックはThe Great Gatsbyの案内人であり、フィッツジェラルドの代弁者だと考えるのだ。
 小説の語り手が作品の案内人なのは当然だ。その世界を読者に語って紹介するのだから。論じたいのは、ニックが語り手になっている理由だ。彼がどんな人間なのか、神が語り手に選ばれなかったのは何故か、これらを探っていく。
 ストーリーを語る人物は作品によってその位置が異なる。ニックの場合、自分の見聞きしたことから、自分とは違う人物の生き様を書いている。そしてニック自身もストーリーの登場人物の一人となっている。そんな語り手だ。彼の家系は大富豪とまではいかないが、貧しい出ではなかった。そのため、自分は貴族の集まるイースト・エッグ側の人間だと感じつつも、成金たちで溢れるウェスト・エッグに住むことを良しとしていた。階級的に中間辺りにいたニックは、トムたちの世界もギャツビーたちの世界も、両方覗くことができた。彼の視野は他のキャラクターよりも広かったため、数々の事件を経験することで、事実を冷静かつ中立な立場で見られた。ニックは最も真実に近かった人物なのだ。
 しかし読者はそれで「なるほど、ニックは語り手に適任だ」と思ってはならない。どうやら彼は人間関係においても中間にいるのだが、一定の距離を保っているわけではないらしいのだ。野間は、「ニックは全幅の信頼を置けない語り手である」としている(『小説』 28)。ニックが語りたくないことは語られていないのだと言う。ニックは真実を胸の内にとりあえず秘めておく癖があるのだ。
 人間関係で一定距離を保たないとはつまり、流されやすいということだ。ニックには彼なりの正義がある。“a sense of the fundamental decencies . . . parcelled out unequally at birth”7)だ。この判断基準によって、ニックはギャツビー以外の人間を軽蔑することになった。しかし、そこまでの過程で心が変わっていた。村上はこうまとめる。「行動規範は一貫しているものの、状況によって環境によって、彼らの心や視点は……微妙にぶれていくし、それにつれて彼らのしゃべり方も少しずつ変化していく。」(『愛蔵版』 304)ニックが抱くギャツビーへの考え方が明らかに変わっている。「変化」であり「おかしく」変わっている。ニックははっきり書いていた。“Gatsby, who represented everything for which I have an unaffected scorn”8)と読者に紹介しているのに、その夏ニックが見た道徳の無い人の心が巻き起こす騒ぎから、ギャツビーだけを外した。嫌な要素でできている人物を尊敬しているかのように。
 ウェスト・エッグに引っ越してきた頃、どんな人物が隣人なのかという純粋な気持ちで、ニックはギャツビーのことを気にしていた。初めて参加したパーティで耳にするギャツビーの噂に、彼の魅力を感じさえした。だが実際に会って話すと、ギャツビーの言うことが信じられないでいた。疑いがあった。しかし後日2人でランチに行く途中、怒涛のように身の上を聞かされ、“Then it was all true.”65)と結論づけている。ニックは勢いに逆らえないタイプなのだ。マートルのパーティから早く帰りたかったのに帰らなかった時のように、ギャツビーの勢いに呑まれた。流されれば、いつの間にかどっぷり浸かっており、気づくとどこかに流れ着いている。別の状況でもいえる。ニックはギャツビーのパーティに何度か訪れ、その雰囲気を楽しめるほどになっていたのに、デイジーが来た途端に冷めた。“I felt an unpleasantness in the air, a pervading harshness that hadn’t been there before”100)と語る。近くにいる人から影響されやすい。まるで、自分の居場所がわからないかのようだ。ニックの心情は時間が経つほどに変わっていく。これでは神のように真に中立であるとは言えない。
 更にニックは隠したがるところがある。ニックの告白がThe Great Gatsbyの世界と完全には一致していないのだ。隠すうえに、自分の考えが正しいと確信している節もある。これは語り手として問題だ。
 ニックは自分の性格を理解している。“I’m inclined to reserve all judgements”7)、思ったことを言わないでおく主義だ。嘘つきではないのだが、どんなに重要なことでも関心の外なら表に出さない。マートルの事故やギャツビー殺人事件について、大抵の人なら知っている情報を警察に渡すだろうが、ニックはそれをした気配が無かった。真実に一番近いようだが、世間に明かそうとはしない。悪者を見つけ、その人を嫌い、「嫌いだ」と直接言わないのが、ニックという人物だ。トムに対してがそれだ。事件後、トムと再会したニックは初め、握手を拒んだ。しかし結局はした。それは、“I felt suddenly as though I were talking to a child”170)と気づいたからだ。救いようが無いと判断したみたいだ。または、これかもしれない。

          frequently I have feigned sleep, preoccupation, or a hostile levity when I realized by some unmistakable sign that an intimate revelation was quivering on the horizon7

いつものように、秘密を知らされるという面倒事から逃げようとしたのだ。真面目に付き合えば、更なる面倒に巻き込まれる。嫌な事からは離れていたいのだろう。だから彼は故郷に帰ることにした。
 ニックの信念は、“life is much more successfully looked at from a single window, after all”10)だ。言い換えるならば、自分の見方だけから語るこのThe Great Gatsbyはちゃんとしている、となるだろうか。あたかも自身が語り手として相応しいと自負しているかのようだ。しかしそれは間違っている。一つの窓から見ながらも、誤った解釈をしている者がいる場面に、ニックは居合わせていたのだから。これはニックの考えが否定されていることを意味する。その場面は、夫に閉じ込められたマートルが窓から見下ろしているところだった。

          I realized that her eyes, wide with jealous terror, were fixed not on Tom, but on Jordan Baker, whom she took to be his wife.119

マートルが誤解しているとニックは判断した。更に、野間の考えも合わせると2つ目の否定が見えてくる。ギャツビーがデイジーのことを雑誌などから知れたように、マートルも彼女のことを知っていた可能性が高いため、トムの妻をジョーダンと勘違いしたというニックの解釈こそが誤りだと言うのだ。(『小説』 26-28)こうなると、ニックの証言への信憑性が薄くなる。
 フィッツジェラルドは、ニックの考えが偏っていることをわかっていた。そのため、全てを見通す神の目を用意していた。看板に描かれたドクター・T・J・エクルバーグの目と、ギャツビーの書斎でニックと会った男性の目だ。どちらも眼鏡をかけており、どことなく不思議な存在であることが、この2つの目の共通点である。看板は結果を見、男性は結論を口にしていた。フクロウ眼鏡の男性がギャツビーの人生を総括して、“The poor son-of-a-bitch”166)と言う。ニックが思う尊敬は微塵も無い。何もかも真実を知っている者の意見であった。しかしフィッツジェラルドはこの神の目を語り手にしなかった。宮脇の言葉を借りると、ジャズエイジの人々の「物質崇拝」(『アメリカ』 87)を作者は表現しており、物を神にして物語に登場させた。物に語らせず、人間に語ってもらいたかったのだ。物では語れないもの、心を小説で明かしたのではないだろうか。
 物語を創作する時、主要キャラクターは作り手に近い者であることが多い。それは、創造が記憶から成り、作り手がその人物を理解しているためだ。フィッツジェラルドの生き方を知っている者は、ギャツビーの生き方と似ているので、作者の経験が再現されていると感じる。事実、フィッツジェラルドは告白していた。

          Also you are right about Gatsby being blurred and patchy. I never at any one time saw him clear myselffor he started out as one man I knew and then changed into myselfthe amalgam was never complete in my mind.“To John”

自分の知った人をモデルにギャツビーを書き始めたが、自分自身に変わっていたと言っている。ここからフィッツジェラルドがThe Great Gatsbyで、自分を書いていたと考えられる。読者にとって、ギャツビーという人物の判断材料になるのは彼の言動のみだ。なので、世間から見たフィッツジェラルドがギャツビーと重なる。では、作者の内側はどうか。野崎いわく、

  「ジャズの時代の桂冠詩人」と謳われ「燃え上がる青春の王者」「狂騒の二〇年代の旗手」と祭り上げられたフィッツジェラルドが、そうしたレッテルを貼られるだけの絢爛奔放な生活を派手に展開したことは事実だけれども、そうした外観の底にそれを批判的に見るもう一人のフィッツジェラルドがひそんでいたことを強調する(『グレート』 247

フィッツジェラルドがジャズエイジを代表する典型的人物という役を無理やりに振られ、演じてはいたが、実のところそれに対し彼は混乱していたらしいのだ。そのような思いをニックに語らせたと見える。
 また、ニックはギャツビーを語りつつも、自分の想像を強く出しすぎていた部分がある。ニックにとって、ギャツビーが緑の光に手を伸ばしていたイメージがずっと残っているらしく、大戦後ギャツビーが、デイジーとの思い出を求めてルイヴィルを訪れた話を聞き、ニックは思っていた。

          He stretched out his hand desperately as if to snatch only a wisp of air, to save a fragment of the spot that she had made lovely for him. But it was all going by too fast now for his blurred eyes and he knew that he had lost that part of it, the freshest and the best, forever.145

これはニックの勝手な想像である。ギャツビーが永遠に過去を失ったと知っていたはずがないからだ。知っていたならば、デイジーを取り戻そうとはしなかった。“I’m going to fix everything just the way it was before”106)と頑なに言い張ることもなかった。死ぬ当日までデイジーからの電話を待つこともしなかっただろう。ニックが正確には語っていないことは確認済みだ。ここでも同じことが言える。ニックは自分の良い様にギャツビーのイメージを脚色していたのだ。結局、ニックは1人の心情しか語っていないことになる。ニックとギャツビーの想いはイコールで結ばれていたようだ。そしてそのイメージの発信元は、作者であるフィッツジェラルドその人だった。
 ちなみに、フィッツジェラルドがこの小説でニックに託したメッセージが何であったのかも考えておこう。ニックはギャツビーを客観的に見て、軽蔑する要素を多分に持った人物だと分析しているが、悪くは言わない。

          there was something gorgeous about him, some heightened sensitivity to the promises of life . . . . This responsiveness . . . it was an extraordinary gift for hope, a romantic readiness such as I have never found in any other person . . . . NoGatsby turned out all right at the end8

ギャツビーがフィッツジェラルドの分身なので、ニックはフィッツジェラルドに希望を見出す力があり、彼の人生は間違ってはいなかったと記している。「自分は稀に見る特別な人間なのだ。失敗に導くのは周りに浮かぶ塵なのだ」と自らに言い聞かせているとも考えられる。騒ぎ立てるメディアからでは知ることのできないフィッツジェラルドの本音が、キャラクターの体を借りて読者に伝えられていたのだ。
 語り手として役不足なニックが、堂々とThe Great Gatsbyを語っているのには理由があった。心が揺れやすい性格なため、いろんな事態に出くわし、視野が広くなっていたので、その世界の案内をするには十分な情報を持っていた。それから彼は、作者の意見を代弁できる心有る人間だった。ニックはこれらの役割を果たすべく、語り手となったのだった。
    

引用文献リスト
Fitzgerald, F. Scott. The Great Gatsby. London: Penguin, 2000.
---. “To John Peale Bishop[Postmarked, August 9, 1925] Rue de Tilsitt Paris, France.” Selected Letters by F. Scott Fitzgerald. uCoz, n.d. Web. 31 Dec. 2013.
<http://fitzgerald.narod.ru/letters/letters.html>
フィッツジェラルド、F.スコット『愛蔵版グレート・ギャツビー』村上春樹訳 中央公論新社、2006年:304
フィッツジェラルド、F.スコット『グレート・ギャツビー』野崎孝訳 新潮社、1974年:247
野間正二『小説の読み方/論文の書き方』昭和堂、2011年:2628
宮脇俊文『アメリカの消失:ハイウェイよ、再び』水曜社、2012年:87

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