ティービングの「ダ・ヴィンチの新約聖書に対する考えを知っているか」という質問に、ソフィーは知らないと答えます。ティービングは、その反応に嬉しくなったみたいでした。彼はラングドンに本棚の下のほうから、“La Storia di Leonardo”という大きな美術書を取らせました。(これはイタリア語で、意味は「レオナルドの歴史」または「レオナルド伝」だそうです)それを机の上に乗せると、ソフィーのほうに向け、ティービングは重たい表紙を開け、裏表紙を見せました。そこには、いくつかの引用文が並んでいました。「論争と推測のダヴィンチ・ノート」からの引用で、ティーブリングは「私たちの話にぴったりだと思うから」と1つの文をソフィーに見せました。
「多くの人は、間違った信念や誤った奇跡を交換してきて(教えてきて)、愚かな大衆をだましてきた」
ティーブリングはもう一つ違う文を見せます。
「無知でいることは、私たちを誤った方向に導く(欺く)。なんて哀れな人間たち。目を開け!」
これを読んで、ソフィーは「どちらも聖書について述べている」と気づき、寒気を感じました。ティービングは続けて、「聖書についてのレオナルドの考え方は、直接聖杯と関係している」と言います。実際、ダ・ヴィンチは聖杯を描いているため、それをソフィーに見せたいけど、まず聖書について話さなくてはならないと言います。聖書について、ソフィーが知らなければならないことは、マーティン・パーシー教授という大聖堂参事会員が要約しているみたいで、「聖書は天国からファックスで届いたわけではない」と言いました。(この、マーティン・パーシーさんは、聖職者や神学者を専門にした名誉教授であったり、学長さんだったりします。イギリスのソールズベリー大聖堂の聖堂参事会員の後、シェフィールド大聖堂でも参事会員でした。参事会員は、修道士のように厳しい規則の中お祈りをしているような人たちではありませんが、聖堂で職務をこなす人たちのことです)パーシー教授の言葉を言い換えると、「聖書は人間の産物であり、神の物ではない」となります。混乱の時代、歴史の記録として、人が聖書をつくり、数え切れないほどの翻訳、追加、改訂を重ね、聖書は進化している。だから聖書の決定版は無いのだと、ティービングは言います。
<ダヴィンチ・ノート>
レオナルド・ダ・ヴィンチ手稿。約40年に渡って書いた1万3千ページのノート。内容、数学、幾何学、天文学、植物学、動物学、土木工学、軍事技術など。図と共に書かれている文章は、鏡文字になっている。(左で書く。科学は異端だったから?)
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