2014年1月31日金曜日

レオナルドが信じたもの ~自然と人間~

読んだ本:『レオナルド・ダ・ヴィンチの世界』[編著]池上英洋
 この本では、17人の異なった分野の研究者たちが、それぞれの視点からレオナルド・ダ・ヴィンチについて述べている。自然科学からは、解剖学、数学、工学、天文学と地理学、建築、黄金分割と遠近法、手稿について。芸術から、絵画と素描、音楽、演劇、彫刻、鉱脈、光と影と大気、工房について。人と時代から、生涯と周辺、精神構造、キリスト者としてのレオナルド、当時の政治と宗教、モナ・リザ、<最後の晩餐>の修復、近代日本との関係について。この中の第2部「芸術」から、松浦弘明「レオナルドの絵画・素描」(p.162-223)を用いて、レオナルドがどのように考え、絵を描いていたのかを、このレポートで明らかにしていく。

 彼の生い立ち、研究内容、絵画作品を見ていくと、レオナルドはイエス・キリストを神として考えていなかったように思われる。レオナルドは、自然と人間に注目し、芸術活動をしていたようだ。彼がまるで神のように天才であると思っている人は、少なくはない。何故なら、彼は上記したような学問に接していた上に、飛行や軍事技術で、当時では考えられないほどのアイデアを手稿に書き起こし、科学の知識を網羅していたためだ。しかし、これらの知識が芸術作品のために、彼が得たのだということを忘れてはならない。それから、習得期間があまりにも短いからと言って、彼を天才だという言葉で、簡単にまとめてしまうのは良くない。レオナルド・ダ・ヴィンチは、追求する努力と表現する才能を持った、一人の画家であった。それは、彼の残した何千という手稿や、すばらしい絵画たちが明らかにしている。

 まず、自然について。レオナルドは幼少期、祖父母と共に田舎の村で暮らしていた。そこがヴィンチ村である。理由は不明だが、母カテリーナはレオナルド出産後、すぐに別の男と結婚し、父セル・ピエロも別の女と結婚した。父は公証人だったが、庶子であるレオナルドは、その仕事に就けなかった。正妻の子でないと、公証人になれなかったのだ。そのおかげではあるが、レオナルドは学問をせず、自然の中で育っていった。この頃の勉学の欠如が原因で、彼は文字や語学で苦労することになるのだが、自然を見つめ、すくすくと成長することができた。
レオナルドが画家のあり方について言った言葉で、どれだけ自然が重要な位置にあるのかを述べた記述がある。「画家が他者の絵画作品を手本とするなら、非常に素晴らしい作品を生み出すことはできないだろう。だが、もし自然の事物から学ぶなら、良い成果をあげることができるはずだ」(164)古代ローマ以降、他者をまねるばかりで、作品たちは時代と共に衰退してしまった。自然を描くことで、先人たちを凌駕しようと言っているのだ。ありのままを描くべきだという、ルネサンスの動きの中で彼が導き出した、ある一つの答えなのだろう。
レオナルドの作品で注目すべきは、その背景でもある。彼は、どの絵の背景も丁寧に描いていった。そこには、徹底された観察と分析が見られ、それを描き出す表現力に驚かされる。彼はこう思っていた。「絵画の内容となるあらゆるものを等しく愛せない人は万能とは言えないであろう」(173)背景を軽く見ている画家は、貧弱な背景を描いてしまう。それではいけないのだ。
また、彼はこの気持ちを、画家と神の関係を使って言い換えている。「おお画家よ、おまえは自然によってつくられたあらゆる種類の形を、おまえの芸術によって表現する万能の師匠にならなければ、すぐれた画家たりえないと知るべきなのだ」そして、「人間たちの作品と自然のそれとの間にある比は、人間と神の間にあるそれに等しい」(194)つまり、神が自然や人を創造したのと同じように、画家は作品を制作しなければならないのだ。ここで重要なのが、レオナルドの言っている「神」がイエス・キリストではないということだ。彼の「神」は自然を創造した者のことである。そして、「神=画家=自分」という式が見えてくる。神のように画家は物を作る、その画家はレオナルド自身。レオナルドは神を自分と同じ位置に置き、「万能」を目指したのだろうか。この考え方で、スキルアップに成功し、彼は私たちの知る、レオナルド・ダ・ヴィンチになったのだ。そして彼は、キリストはこの世にいたのかもしれない、だが「神」は、自然を生み出した自然の力のことだと言いたいのかもしれない。

 さまざまな研究を進め、知識を得ると、レオナルドは、自然と人体が似ていることに気づく。「肉体は大地に、骨は岩石に、血の池である肺は大洋に、血管は水脈にといった具合である」(191)と著者の松浦氏は言う。優れた画家であるために、レオナルドは人体について調べ上げた。他の画家が嫌っていた解剖を何度も行ったのだ。外から見ただけでは、描ききれないことがあると感じていたレオナルドは、内側を知ることで、作品にリアリティを増していった。
そして、人間を追究すると、感情というものにも注目するようになる。「絵画つまり人物画は、その見物人が人物たちの態度によって容易に彼らの気持ちを察しうるように描かれねばならぬ」(176)と言う。レオナルドは、表情、動作、花などの小道具によって、絵の登場人物たちの気持ちを表現した。
例えば、1475-80年頃に描かれた<ブノワの聖母>では、聖母マリアのあたたかさとキリストの冷めた視線が、両者の感情を伝え、それ以前の画家たちの作品よりも人間らしさを感じられる。更に、動作によって、マリアとキリストの繋がりが表現されている。
1481-82年の<東方三博士の礼拝>は、レオナルドの作品の中で一番人物が多いものである。その人物たちは、一人ひとり表情が違う。そして、聖母マリアとキリストは神々しさが薄く、聖書の知識が無い人からすると、全員が人間に見えてしまう。
1483-86年<岩窟の聖母>には、聖母の母アンナの子宮を表す岩窟の中に、聖母マリア、キリスト、洗礼者ヨハネ、天使が描かれている。これでも、視線と手で、人物たちの関係を示し、静かな祝福を表現している。
1494-98年頃<最後の晩餐>は、レオナルドが描いた最大の作品である。12人の使徒は3人4組で分けられ、一人ひとり動作は違うものの、4つの感情でグループをつくっている。左から、驚き、合図、問いかけ、議論である。この組分けによって、絵のバランスが良くなっている。窓からの光と左右の空間によって、キリストを特別な存在にしている。また、使徒たちの動揺とキリストの冷静さという差が、この絵の最も重要な人物をキリストだとしている。他の画家が描いた<最後の晩餐>の多くが、裏切り者ユダを目立たせていたが、レオナルドはその流れを変えた。
これら4つの絵に共通して言えるのは、どれも私たちが知っている現実世界の見え方で描かれているということだ。大半の人物に後光が無く、天使には翼も無く、どの人物たちも神とは言えない。背景でも、空が割れて光が差し、そこから言葉が降って来ることはない。異時同図とまではいかないが、一瞬を切り取っただけではなく、レオナルドなりの計算によって、人物の気持ちや物語が1つの絵の中で動き出す。彼は「人間」を描きたかったのだろう。

私たちの世界、自然が、レオナルドの作品には映っている。科学を知り、イエス・キリストの神性が信じられなくなったのか、レオナルドは、人間の精神性に惹かれていった。彼は決してキリストを嫌っていたわけではない。キリストの存在を否定していたのであれば、あれほど素晴らしい絵を描くことはできなかっただろう。ただ、神とは認めなかった。『ダ・ヴィンチ・コード』に登場するティービングが言うように、キリストは偉大な人だったという意識でいたのではないだろうか。

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『ダ・ヴィンチ・コード』との関連性
 作中では、レオナルドの<最後の晩餐>に描かれたヨハネは、マグダラのマリアだったとしている。その根拠は、キリストとの間にMの字が見られる上、2人の間にVの字も見られるためらしい。Mはマグダラのマリアと結婚を表し、Vは聖杯の形になっている。キリストとマリアの間にできた子孫を暗示しているという話である。しかし、松浦氏はこれを否定する。フィクションとしては興味深い解釈だが、いきなりヨハネをマグダラのマリアと結びつけるのは、奇想天外なまったくの空論だと言う(212)。バランスを考えただけで、あの絵ができたのか、または、見えない意味が隠されているのか、はっきりとした答えは出ていない。

参考文献
松浦弘明 「レオナルドの絵画・素描」 『レオナルド・ダ・ヴィンチの世界』 池上英洋編著、東京堂出版、2007年、162-223項

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