2014年1月31日金曜日

レオナルドが信じたもの ~自然と人間~

読んだ本:『レオナルド・ダ・ヴィンチの世界』[編著]池上英洋
 この本では、17人の異なった分野の研究者たちが、それぞれの視点からレオナルド・ダ・ヴィンチについて述べている。自然科学からは、解剖学、数学、工学、天文学と地理学、建築、黄金分割と遠近法、手稿について。芸術から、絵画と素描、音楽、演劇、彫刻、鉱脈、光と影と大気、工房について。人と時代から、生涯と周辺、精神構造、キリスト者としてのレオナルド、当時の政治と宗教、モナ・リザ、<最後の晩餐>の修復、近代日本との関係について。この中の第2部「芸術」から、松浦弘明「レオナルドの絵画・素描」(p.162-223)を用いて、レオナルドがどのように考え、絵を描いていたのかを、このレポートで明らかにしていく。

 彼の生い立ち、研究内容、絵画作品を見ていくと、レオナルドはイエス・キリストを神として考えていなかったように思われる。レオナルドは、自然と人間に注目し、芸術活動をしていたようだ。彼がまるで神のように天才であると思っている人は、少なくはない。何故なら、彼は上記したような学問に接していた上に、飛行や軍事技術で、当時では考えられないほどのアイデアを手稿に書き起こし、科学の知識を網羅していたためだ。しかし、これらの知識が芸術作品のために、彼が得たのだということを忘れてはならない。それから、習得期間があまりにも短いからと言って、彼を天才だという言葉で、簡単にまとめてしまうのは良くない。レオナルド・ダ・ヴィンチは、追求する努力と表現する才能を持った、一人の画家であった。それは、彼の残した何千という手稿や、すばらしい絵画たちが明らかにしている。

 まず、自然について。レオナルドは幼少期、祖父母と共に田舎の村で暮らしていた。そこがヴィンチ村である。理由は不明だが、母カテリーナはレオナルド出産後、すぐに別の男と結婚し、父セル・ピエロも別の女と結婚した。父は公証人だったが、庶子であるレオナルドは、その仕事に就けなかった。正妻の子でないと、公証人になれなかったのだ。そのおかげではあるが、レオナルドは学問をせず、自然の中で育っていった。この頃の勉学の欠如が原因で、彼は文字や語学で苦労することになるのだが、自然を見つめ、すくすくと成長することができた。
レオナルドが画家のあり方について言った言葉で、どれだけ自然が重要な位置にあるのかを述べた記述がある。「画家が他者の絵画作品を手本とするなら、非常に素晴らしい作品を生み出すことはできないだろう。だが、もし自然の事物から学ぶなら、良い成果をあげることができるはずだ」(164)古代ローマ以降、他者をまねるばかりで、作品たちは時代と共に衰退してしまった。自然を描くことで、先人たちを凌駕しようと言っているのだ。ありのままを描くべきだという、ルネサンスの動きの中で彼が導き出した、ある一つの答えなのだろう。
レオナルドの作品で注目すべきは、その背景でもある。彼は、どの絵の背景も丁寧に描いていった。そこには、徹底された観察と分析が見られ、それを描き出す表現力に驚かされる。彼はこう思っていた。「絵画の内容となるあらゆるものを等しく愛せない人は万能とは言えないであろう」(173)背景を軽く見ている画家は、貧弱な背景を描いてしまう。それではいけないのだ。
また、彼はこの気持ちを、画家と神の関係を使って言い換えている。「おお画家よ、おまえは自然によってつくられたあらゆる種類の形を、おまえの芸術によって表現する万能の師匠にならなければ、すぐれた画家たりえないと知るべきなのだ」そして、「人間たちの作品と自然のそれとの間にある比は、人間と神の間にあるそれに等しい」(194)つまり、神が自然や人を創造したのと同じように、画家は作品を制作しなければならないのだ。ここで重要なのが、レオナルドの言っている「神」がイエス・キリストではないということだ。彼の「神」は自然を創造した者のことである。そして、「神=画家=自分」という式が見えてくる。神のように画家は物を作る、その画家はレオナルド自身。レオナルドは神を自分と同じ位置に置き、「万能」を目指したのだろうか。この考え方で、スキルアップに成功し、彼は私たちの知る、レオナルド・ダ・ヴィンチになったのだ。そして彼は、キリストはこの世にいたのかもしれない、だが「神」は、自然を生み出した自然の力のことだと言いたいのかもしれない。

 さまざまな研究を進め、知識を得ると、レオナルドは、自然と人体が似ていることに気づく。「肉体は大地に、骨は岩石に、血の池である肺は大洋に、血管は水脈にといった具合である」(191)と著者の松浦氏は言う。優れた画家であるために、レオナルドは人体について調べ上げた。他の画家が嫌っていた解剖を何度も行ったのだ。外から見ただけでは、描ききれないことがあると感じていたレオナルドは、内側を知ることで、作品にリアリティを増していった。
そして、人間を追究すると、感情というものにも注目するようになる。「絵画つまり人物画は、その見物人が人物たちの態度によって容易に彼らの気持ちを察しうるように描かれねばならぬ」(176)と言う。レオナルドは、表情、動作、花などの小道具によって、絵の登場人物たちの気持ちを表現した。
例えば、1475-80年頃に描かれた<ブノワの聖母>では、聖母マリアのあたたかさとキリストの冷めた視線が、両者の感情を伝え、それ以前の画家たちの作品よりも人間らしさを感じられる。更に、動作によって、マリアとキリストの繋がりが表現されている。
1481-82年の<東方三博士の礼拝>は、レオナルドの作品の中で一番人物が多いものである。その人物たちは、一人ひとり表情が違う。そして、聖母マリアとキリストは神々しさが薄く、聖書の知識が無い人からすると、全員が人間に見えてしまう。
1483-86年<岩窟の聖母>には、聖母の母アンナの子宮を表す岩窟の中に、聖母マリア、キリスト、洗礼者ヨハネ、天使が描かれている。これでも、視線と手で、人物たちの関係を示し、静かな祝福を表現している。
1494-98年頃<最後の晩餐>は、レオナルドが描いた最大の作品である。12人の使徒は3人4組で分けられ、一人ひとり動作は違うものの、4つの感情でグループをつくっている。左から、驚き、合図、問いかけ、議論である。この組分けによって、絵のバランスが良くなっている。窓からの光と左右の空間によって、キリストを特別な存在にしている。また、使徒たちの動揺とキリストの冷静さという差が、この絵の最も重要な人物をキリストだとしている。他の画家が描いた<最後の晩餐>の多くが、裏切り者ユダを目立たせていたが、レオナルドはその流れを変えた。
これら4つの絵に共通して言えるのは、どれも私たちが知っている現実世界の見え方で描かれているということだ。大半の人物に後光が無く、天使には翼も無く、どの人物たちも神とは言えない。背景でも、空が割れて光が差し、そこから言葉が降って来ることはない。異時同図とまではいかないが、一瞬を切り取っただけではなく、レオナルドなりの計算によって、人物の気持ちや物語が1つの絵の中で動き出す。彼は「人間」を描きたかったのだろう。

私たちの世界、自然が、レオナルドの作品には映っている。科学を知り、イエス・キリストの神性が信じられなくなったのか、レオナルドは、人間の精神性に惹かれていった。彼は決してキリストを嫌っていたわけではない。キリストの存在を否定していたのであれば、あれほど素晴らしい絵を描くことはできなかっただろう。ただ、神とは認めなかった。『ダ・ヴィンチ・コード』に登場するティービングが言うように、キリストは偉大な人だったという意識でいたのではないだろうか。

文字数:2,868

『ダ・ヴィンチ・コード』との関連性
 作中では、レオナルドの<最後の晩餐>に描かれたヨハネは、マグダラのマリアだったとしている。その根拠は、キリストとの間にMの字が見られる上、2人の間にVの字も見られるためらしい。Mはマグダラのマリアと結婚を表し、Vは聖杯の形になっている。キリストとマリアの間にできた子孫を暗示しているという話である。しかし、松浦氏はこれを否定する。フィクションとしては興味深い解釈だが、いきなりヨハネをマグダラのマリアと結びつけるのは、奇想天外なまったくの空論だと言う(212)。バランスを考えただけで、あの絵ができたのか、または、見えない意味が隠されているのか、はっきりとした答えは出ていない。

参考文献
松浦弘明 「レオナルドの絵画・素描」 『レオナルド・ダ・ヴィンチの世界』 池上英洋編著、東京堂出版、2007年、162-223項

The Da Vinci Code: Ch55, p.250

 ティービングの「ダ・ヴィンチの新約聖書に対する考えを知っているか」という質問に、ソフィーは知らないと答えます。ティービングは、その反応に嬉しくなったみたいでした。彼はラングドンに本棚の下のほうから、“La Storia di Leonardo”という大きな美術書を取らせました。(これはイタリア語で、意味は「レオナルドの歴史」または「レオナルド伝」だそうです)それを机の上に乗せると、ソフィーのほうに向け、ティービングは重たい表紙を開け、裏表紙を見せました。そこには、いくつかの引用文が並んでいました。「論争と推測のダヴィンチ・ノート」からの引用で、ティーブリングは「私たちの話にぴったりだと思うから」と1つの文をソフィーに見せました。
「多くの人は、間違った信念や誤った奇跡を交換してきて(教えてきて)、愚かな大衆をだましてきた」
ティーブリングはもう一つ違う文を見せます。
「無知でいることは、私たちを誤った方向に導く(欺く)。なんて哀れな人間たち。目を開け!」
これを読んで、ソフィーは「どちらも聖書について述べている」と気づき、寒気を感じました。ティービングは続けて、「聖書についてのレオナルドの考え方は、直接聖杯と関係している」と言います。実際、ダ・ヴィンチは聖杯を描いているため、それをソフィーに見せたいけど、まず聖書について話さなくてはならないと言います。聖書について、ソフィーが知らなければならないことは、マーティン・パーシー教授という大聖堂参事会員が要約しているみたいで、「聖書は天国からファックスで届いたわけではない」と言いました。(この、マーティン・パーシーさんは、聖職者や神学者を専門にした名誉教授であったり、学長さんだったりします。イギリスのソールズベリー大聖堂の聖堂参事会員の後、シェフィールド大聖堂でも参事会員でした。参事会員は、修道士のように厳しい規則の中お祈りをしているような人たちではありませんが、聖堂で職務をこなす人たちのことです)パーシー教授の言葉を言い換えると、「聖書は人間の産物であり、神の物ではない」となります。混乱の時代、歴史の記録として、人が聖書をつくり、数え切れないほどの翻訳、追加、改訂を重ね、聖書は進化している。だから聖書の決定版は無いのだと、ティービングは言います。

<ダヴィンチ・ノート>
レオナルド・ダ・ヴィンチ手稿。約40年に渡って書いた13千ページのノート。内容、数学、幾何学、天文学、植物学、動物学、土木工学、軍事技術など。図と共に書かれている文章は、鏡文字になっている。(左で書く。科学は異端だったから?)

『ダ・ヴィンチ・コード』項目ごとのまとめ

1)   “the priory of Sion”とは?
・シオン修道会
1099年にフランスの王Godefroiによって、エルサレムにつくられる
Sionがエルサレムの別名
Godefroi王はある秘密を持っていた。彼の死後も、その秘密が守られるように、シオン修道会をつくる。
・ある秘密(聖杯)とそれを裏付ける記録を守る
・ローマ・カトリック教会に良く思われていない
 ローマ教会は聖杯を手に入れ、イエス・キリストの神性が疑われるような事実を消そうとしている。その邪魔となるものが、シオン修道会。彼らは断固として秘密を守る。

2)   “the Templars”とは?
・テンプル騎士団
・シオン修道会が集めた9人の騎士団
・聖地パレスチナを守るためではなく、秘密の記録回収が目的
・熱心なキリスト教信者の彼らは、自ら欲のない、苦しい生活を送りながら、記録を探し続けた
9年かけて見つけ出し、記録をヨーロッパへ持ち帰る
・その功績により、権力を得るようになる
1300年代、あまりにも力が強かったため、ローマ教皇の命令によって捕えられ、拷問される
・シオン修道会のおかげで根絶はされず、秘密も教皇の手に渡らなかった
・等しい長さの十字架が、彼らのシンボル

3)   “Sangreal”
・フランス語のSangとスペイン語のSangreという血を意味する言葉からなる
・フランス語のSangraalSangrealになり、SanGrealに分かれる
SanSaintに似ている
 ↳英語で、Holy Grail(聖杯)となった


4)   Sophieにとって(つまり一般的な見方)の “the Holy Grail”とは?p.255も参照
・聖杯は、キリストが最後の晩餐で使ったカップ
 夕食の後、キリストはワインの入った聖杯を、彼の弟子と分け合った
  「杯を取り、感謝して彼らに与えられて言われた。『みな、この杯から飲みなさい。これは契約の、わたしの血であり、罪が赦されるため、多くの人のために流されるものである』」(マタイによる福音書2627-28節)
・アリマタヤのヨセフが、処刑後のキリストの血を受けた物

5)   The Priory of Sionにとってのthe Holy Grailとは?
・カップではない
・力を持つ何かの例え
神聖な女性の例え
・守らなければならない秘密

6)   Sir Leigh Teabingの考えるthe Holy Grailとは?p.256,259参照
*キリスト教(教会)と女性の関係に注目
・聖杯は人である
・そして、女性である(聖なる女性→女神)
・子宮とも関係する
・キリスト教が、男を創造者にしてしまったため、女性(女神)は罪深いものとされてしまった(知識の木の実を食べたイヴの罪と、アダムのあばら骨から作られたという誕生の仕方から、出産ができる女性の神秘的な力、聖なる力の印象が薄れてしまった)

7)   King Arthur伝説とthe Holy Grailの関係
・アーサー王と円卓の騎士の地イギリスに聖杯がある
・突然姿を現した聖杯
 身も心も穢れを知らない、最も純潔な騎士の手にしか留まらない

キリスト教とナルニア国物語の共通点

  キリスト教の新約聖書には、神、人間、天使、怪物などが登場する。ナルニア国には、アスラン、人間、動物、神話の住人たちが登場する。どことなくではあるが、この二つの本は似た点が見られる。

  まず統治がそうだろう。地球もナルニアも、人間が行っている。私たち人間が正しく行動することが大切なのだと、訴えているようだ。人間は働き、神は見守るという関係図が、両方の世界で見られる。聖書では、人間は神の姿に似せてつくられた物とされている。つまり、地上で一番神に近い者は人間である。人間が地上のトップであるのは当然ということだ。人間ではない、動物や神話の生き物たちでは、神から遠くなってしまう。統治の役目は人間が果たすべきことなのである。
 ルイスが子供たちを選んだ理由は、彼らが長い未来を持っているためだろう。夢や希望があり、期待ができる、そういう者に国を託したい。大人の汚い欲の部分を持たない者たちこそが、それに相応しい。金や地位に捉われない、純粋に幸福と平和を願う子供たちが国を統治すると、大人がするよりも良いと考えたのだろう。

 また、イエス・キリストとアスランをつなげるイメージが存在する。ライオンのように威厳ある王のようなイエス・キリスト。キリストは羊飼いとしても例えられ、人々に慕われる人物であった。アスランもまたそうだろう。彼を嫌う人は、物語の中で良いことは無い。聖書においても、キリストまたはキリスト教を悪く思う者は救われない。キリストとアスラン、両者は復活後、死刑によって殺される前よりも落ち着きが増し、堂々とし、より高貴な存在になったような気がする。
 キリスト教の世界で起こる不思議や奇跡とナルニアの世界で起こる魔法は、似ている点の一つといって良いだろう。この世では見られない神話のキャラクターや怪物たちが、その不思議な力の存在をより意識させる。古い神話から来た彼らはまた、ナルニアがまだ生まれたばかりの世界であることを示しているのかもしれない。この力は、聖書の中ではキリストの周りで、ナルニアではアスランの周りで起こる。奇跡や魔法は、キリストやアスランが他者を助けるために使われる。また、キリストやアスランの身に起こる不思議は、もっと上の偉大な者が定めた運命や法で行われているようだ。そして、この奇跡たちは全て、世界を良い方向へ導くためにはたらいているのだ。
さらに、恨まれることもまた、彼らの共通点と言える。キリストはユダヤ教の祭司たちから、アスランは白い魔女から恨まれていた。しかし、そういった相手がいたからこそ、キリストとアスランは英雄になれたのではないだろうか。「正しさ」がどのようなことなのかを示した方が英雄なのだ。

キリストと子供たちにも共通点が見られる。どちらの世界も、最初の者たちは土から生まれた。聖書では、最初の人類は土でつくられた。ナルニア国でも、動物たちは土から誕生した。そして、キリストは神が聖母マリアに授けた者で、ナルニアに登場する子供たちは別の世界から来た者たちだ。上に立つ者は、選ばれた者、つまり特別である。キリストは神に認められ、子供たちはナルニアに認められた。その上、彼らのことについての預言があった。創造主がつくった運命に選ばれたのが、キリストと子供たちということになる。

最後に、私の少しおかしな考えなのだが、新約聖書は福音書などからなるものだ。それぞれの著者の目線から書かれた記録である。ナルニア国物語も「I」という語り手がいる。ということは、ナルニア国物語は別名、ルイスによる福音書と呼べないだろうか。

文字数:1,465

ナルニア国と子供たちの存在理由

要約
 これは、戦争の時代に起きた、ある4人の子供たちの話である。
ピーター、スーザン、エドモンド、ルーシーはロンドンの空襲から逃れるため、田舎の大きな屋敷へと疎開してきた。その屋敷で大きな衣装ダンスを見つける。末っ子のルーシーはそれに興味を持ち、中に入っていく。魔法のタンスなのか、それは雪の降る森へと通じていた。そこで街灯を見つけ、近づくと、一人のフォーンと出会う。
タムナスと名乗るそのフォーンは、ルーシーが「人間」だと知ると驚いた。ルーシーの穏やかさで、2人は徐々に打ち解けていった。ファンタジー小説であるため、読者はどんな不思議も受け止められるが、ルーシーはその世界を、私たちの世界と同じ感覚で見ているはずだから、彼女がフォーンに恐怖しないのは、驚きである。夢のような楽しい不思議には疑いなく喜んで入り込んでいけるのだろうか。2人はタムナスの家でお茶をするが、タムナスは恐ろしい白い魔女の命令により、人間のルーシーを魔女に渡さなければいけない。しかしそれに背き、彼女との友情を選んだ。タムナスはルーシーを街灯まで送り届けることにする。
無事ルーシーが屋敷の部屋に戻ってきても、他の兄姉弟は心配もしていないようだった。ルーシーがナルニアについて話しても、冗談としか受け取らず、その後、ルーシーはみじめな数日を送る。ナルニアの魔法に、まずルーシーが選ばれたという理由があるはずだから、そんなに落ち込まなくても良いはずなのだが。屋敷の中でかくれんぼをしているとき、ルーシーはナルニアの存在を確かめるため、例のタンスへむかったが、エドモンドがからかいに来たため、タンスの中へ逃げ込んだ。エドモンドも続いて入り、ルーシーを探す。しかし見つからず、ついにエドモンドまでもナルニアへ入ってしまう。そこでソリに乗った女王らしき女性と出会う。
その女性は人間のエドモンドを一度殺そうとするが、彼を利用するためソリに乗せた。エドモンドは魔法で出されたターキッシュ・ディライトを夢中で食べる。エドモンドはこの章から、どんどん欲と疑心に埋もれていくが、兄姉弟妹の中で一番人間らしい。王女はエドモンドが4人兄姉弟妹であることに興味を持ち、4人で彼女の城へ訪れるように頼む。エドモンドは彼女と別れると街灯へむかい、そこでルーシーと再開する。ルーシーからタムナスの無事と白い魔女について聞かされる。その魔女は、まさに先ほどの女王であったため、エドモンドは自分が悪の側に入り込んでいることに気付く。
2人がタンスのある部屋に戻ってくると、ピーターとスーザンを探した。ルーシーは嬉しそうに、エドモンドと一緒にナルニアにいたことを話したが、エドモンドは年下のルーシーが正しいことに不愉快であるため、彼女が作り話をしていると言った。ルーシーは裏切られ、どん底であった。ルーシーの精神状態を心配したピーターとスーザンは、後日、屋敷の主、教授に相談したが、彼はルーシーが正気であると主張した。しばらくナルニアのことを話題に出さないでいると、事はおさまっていたが、マクレディーさんが客人を連れて屋敷を案内しているとき、子供たちは彼女から離れるように屋敷内を駆け回ったが、結局例の衣装ダンスに入ってしまう。
4人で入ると、とても狭いため、奥へ進むと、ナルニアに入り込んでしまった。兄姉はルーシーが正しく、エドモンドが嘘をついていたことをようやく知る。タンスのコートを着て、森を探検し、タムナスの家に着くと彼の姿がなく、中は荒らされていた。そこで見つけた紙には、タムナスが秘密警察に連行されたことが書かれていた。エドモンドは反対したが、4人はタムナスの居場所を知っているらしい小鳥を追いかけ始めた。エドモンドは「どちらが正しい側なんだ。」(62)と魔女の方も悪くないんじゃないかと臭わせる発言をするが、自分の中での確認だったのかもしれない。
しばらく歩いた後、小鳥は飛び去ってしまう。そこがどこなのかもわからず、困っていると、木の陰から一匹のビーバーが現れる。彼はタムナスの友人らしく、4人を安全な彼の家へ連れて行くといった。空腹と疲労から、子供たちはビーバーについて行った。ビーバー夫人の待つ川にあるダムの家で、子供たちは夕食をとった。
食べ終わると、魔女に捕まったタムナスを助けるにはアスランの力が必要だと、ビーバー氏は話した。ビーバー夫妻は古い言い伝えを信じ、子供たちやアスランを待っていたという。アスランが魔女を倒し、4人の人間がナルニアの王となり、邪悪な時代を終わらせるというものだ。アスランに会うため、ストーン・テーブルに行かなければならないが、子供たちが魔女に狙われているとも教えた。一瞬の静寂の後、ルーシーがエドモンドの姿がないことに気付く。いくら探してもいなかった。ビーバー氏はエドモンドが魔女の手先であることに勘付いていた。彼は「人間には2つの見方ができる(今のこの子たちに対して悪気は無いが)。」(81)と言う。エドモンドを意識した言い方である。ここまで気にしていながら、エドモンドに注意しておけなかったのは、彼の失敗である。しかし、もしかすると子供たちを確実にアスランのところへ行かせるための策だったのかもしれない。魔女がダムに来るのも時間の問題だということを知り、急いで旅の支度を始める。
その頃エドモンドは森の中を独り歩いていた。ビーバーたちの話に耐えられず、コートも持たず急いでダムを出てきてしまっていた。日が沈むと、辺りは見えず、何度も転んだ。それでも魔女の城へ歩いて行くと、月明かりが怪しく屋敷を照らしていた。恐る恐る中庭に入ると、たくさんの石像が立っていた。屋内に入る寸前でオオカミがエドモンドの前に立ちふさがった。エドモンドが魔女に会いに来たと言うと、オオカミは彼を魔女のところまで通した。魔女はエドモンドが一人で来たことに怒り、彼が知っている情報を全て聞き出した。アスランがナルニアにいることに驚き、手下の小人にソリを用意させる。
早く出発したい子供たちだったが、ビーバー夫人が荷造りをしっかりしたため、そうはいかなかった。彼らは、魔女のソリが走れない川沿いを歩いてストーン・テーブルへむかっていった。洞窟で眠り、朝を迎えると、外から鈴の音が聞こえ、様子を見に行くと、そこには魔女ではなく、サンタクロースがいた。魔法で冬になっていたナルニアに、魔女の力が弱まったため、クリスマスが来たのだという。サンタは子供たちに武器、笛、薬、朝食のプレゼントをした。洞窟に戻り、朝食を早く済ませると、彼らはまた出発した。
ソリが準備されると、魔女はエドモンドを乗せ出発した。その際、オオカミたちにビーバー家にむかい、子供たちがいなければストーン・テーブルに行くよう指示した。外は激しく雪が降り、エドモンドにはとても辛かった。そこでようやく自分の過ちを認める。朝を迎えると、サンタから食事をもらい、パーティーをしていた集団を見つける。怒った魔女が彼らを石にする。その後も進むが、森には春が訪れていた。
ピーターたちも春になったことで、魔女の力が弱まっていると感じた。丘を登ると、眼下にナルニア国が広がっていた。その丘の中ほどにストーン・テーブルがあり、そばでアスランと仲間たちが子供たちを待っていた。ルーシーとスーザンをそこに残して、アスランはピーターを連れ、ケア・パラベルを見せた。するとスーザンの笛の音が聞こえ、テントに戻ると、1匹のオオカミが木の上に逃げるスーザンを追いかけていた。ピーターが剣を振り下ろすが、届かず、オオカミが彼に襲い掛かってくる。そのとき構えただけのピーターの剣がオオカミに刺さり、死んだ。アスランは別のオオカミを見つけ、 仲間に追跡させた。そして、ピーターに爵位を授ける。
森の暗いところで、魔女とドワーフが足を止めると、エドモンドをどうするか話し合った。その場で彼を殺すことに決めると、オオカミがストーン・テーブルからやってきた。隊長のモーグリムがピーターに殺されたことを報告すると、魔女はオオカミに仲間を集めるように指示する。エドモンドはドワーフによって木に縛られ、魔女がナイフで彼を刺そうとしたとき、オオカミを追跡していたアスランの仲間が到着し、エドモンドは救出される。朝になり、エドモンドはアスランと話した。その後、魔女がアスランにエドモンドを引き渡すよう交渉に来る。アスランは魔女と話し合い、エドモンドは助かるという結論に至った。
魔女が去ってすぐ、アスランはキャンプ地を川のそばまで移動させた。その間、アスランはピーターに、魔女に対する作戦を教えた。その夜、スーザンとルーシーは不安で眠れず、テントを出ると、アスランが森に入っていくのを見つけ、後を追った。アスランは来た道を戻っていた。しばらくして、アスランが2人に話しかける。子供たちは悲しそうなアスランの隣を歩いていった。ストーン・テーブルの直前まで来ると、アスランは2人に隠れるように命じる。そして彼は、テーブルへと進む。そこでは魔女と醜い仲間たちが彼を待っていた。彼らはアスランを縛り上げ、鬣を刈り、罵声を飛ばし、口輪を付けた。テーブルの上に乗せると、魔女はナイフを取り出し、後で彼女が子供たちや軍を襲いに行くと言い、アスランを刺した。無様なアスランを見て、悪しき者たちは恨みをぶちまけ、「これが、俺たちが怖がってたものか。」(153)と言う。エドモンドの疑心が、ここで私にも思い浮かばれる。一体どちらが善で悪か。彼らが何をしてアスランに恨まれなければならなかったのか。彼らはきっと、彼らなりの生活をしていただけではないのか。アスランが悪と決めつけるから、彼らが悪になるのではないのか。アスランは殺されて当然である。そして、殺した彼らは、虚しさを感じなければならない。

世界と心
 ナルニアには豊かな自然がある。初め、例え雪で埋もれていようとも、そこにはたくさんの木々があった。大きな川も、そびえ立つ山も。春になれば、さらにその色は増え、鮮やかに、華やかになる。現在の地球でも、この物語の子供たちがいた戦争の時代でも、このような自然を見ることはできないだろう。その上、ナルニアのある世界では、さまざまな住人がいる。それは、地球上では見られないような者たちである。神話に登場するような者、精霊や幽霊、そして魔女。話す動物たちもいる。タンスの中の世界といえど、これほどまでにナルニアの世界は広いのである。子供たちの想像を簡単に超えるような出来事が、そこでは続々と出てくる。普段では見られないような景色が、子供たちを待っているのだ。もしかすると、こちらの世界でも見られるのかもしれない。世界を自分の知る世界に閉じ込めておくのは良くないことだと、ルイスは伝えているように思える。
 ヨーロッパの古い考えで、「人間中心主義」(anthropocentric)というものがある。ヨーロッパ人たちは、人間が世界を構成しているように考えている。日本人だからとは言えないが、私にはとても気持ち悪い考えである。ルイスは、ナルニアの中でたくさんの動物や空想の生物を登場させている。人間だけではない世界を強調しているかのようだ。人間以外の生物も、人間のように世界について考えているのだと言っているのだろうか。だが、結局彼らも人間のような行動や心理を抱いているため、ただ擬人化しただけのようにも見える。
 この物語では、ルイスなりの道徳も子供たちに教えている。正義、裏切り、法、そして信じる力。エドモンドは魔女の力によって欲を引き出され、裏切り者に仕立て上げられてしまう。それでも彼は、心の底にアスランの求める正義を秘めていた。救出後、エドモンドは魔女の言葉は聞き入れず、アスランを信じていた。彼の正義は悪に対する勇気とともに、大きく成長した。もしも、読者の中やその友達がエドモンドのように悪の道を進んでいても、必ず誰かが救ってくれて、悪から抜け出せるということを示している。自分の悪は、どこかの悪のせいにして、正義をつかみ、悪を悪とみなし、最も正義らしい正義の方に行く。それが正義で善である。
 ナルニアは魔法に包まれた国である。誰もがその魔法に従う。弱い魔法は、強い者によって打ち負かされるが。魔法は絶対である。アスランでさえも、始まりの魔法には従う。自分よりも長く存在している法には、古よりの願いが込められているため、私たちは守らなければならない。そんな感じなのだろうか。世界の秩序のために法は存在し、破られれば世界が破滅へむかう。だから、みんな守ってほしい。当然であるが、ナルニア国にはルイスの理想が描かれている。
 ルーシーに注目すると、彼女はとても好奇心旺盛で、正直者、さらに信じる力が強い。さまざまなことに気づき、幼いながらも、落ち着いて世界を見渡せられる。ルーシーが最初にナルニアを見つけられたため、この物語は成り立っている。ピーターの場合、ナルニアを見つけた時点で姉弟妹を呼んだだろう。スーザンなら、夢だと決め付けて忘れ去ろうとする。エドモンドだったら、ナルニアを自分だけのものにする。他の3人では、話がうまく進まないのだ。たとえ辛い思いをしても、運命が人選し、事を最終的にいい方向へむかわせる。ルイスは、ルーシーにそう教えているのだ。
 ルイスのおかげで、私たちは世界と心を見直すきっかけを得るのだ。

文字数:5,453

引用文献
Lewis, Clive Staples. The Chronicles of Narnia: The Lion, the Witch and the Wardrobe. Vol.Ⅱ. New York: Harper Trophy, 2000.

The Great Gatsby:ニックの役割

 The Great Gatsbyはとても良く考えられ、構成をしっかり組み立てられた作品だ。闇をはらんだいくつかの謎や、狂おしくも儚く崩れる人間関係は美しくもある。作者F・スコット・フィッツジェラルドが生み出したこの物語は、波乱に満ちた人生の中で精神と技術が最も調和していた頃に書かれた物だ。語り手をニック・キャラウェイとし、ジェイ・ギャツビーの青春を追っている。私はここで、ニックの役割をつきとめようと思う。ニックはThe Great Gatsbyの案内人であり、フィッツジェラルドの代弁者だと考えるのだ。
 小説の語り手が作品の案内人なのは当然だ。その世界を読者に語って紹介するのだから。論じたいのは、ニックが語り手になっている理由だ。彼がどんな人間なのか、神が語り手に選ばれなかったのは何故か、これらを探っていく。
 ストーリーを語る人物は作品によってその位置が異なる。ニックの場合、自分の見聞きしたことから、自分とは違う人物の生き様を書いている。そしてニック自身もストーリーの登場人物の一人となっている。そんな語り手だ。彼の家系は大富豪とまではいかないが、貧しい出ではなかった。そのため、自分は貴族の集まるイースト・エッグ側の人間だと感じつつも、成金たちで溢れるウェスト・エッグに住むことを良しとしていた。階級的に中間辺りにいたニックは、トムたちの世界もギャツビーたちの世界も、両方覗くことができた。彼の視野は他のキャラクターよりも広かったため、数々の事件を経験することで、事実を冷静かつ中立な立場で見られた。ニックは最も真実に近かった人物なのだ。
 しかし読者はそれで「なるほど、ニックは語り手に適任だ」と思ってはならない。どうやら彼は人間関係においても中間にいるのだが、一定の距離を保っているわけではないらしいのだ。野間は、「ニックは全幅の信頼を置けない語り手である」としている(『小説』 28)。ニックが語りたくないことは語られていないのだと言う。ニックは真実を胸の内にとりあえず秘めておく癖があるのだ。
 人間関係で一定距離を保たないとはつまり、流されやすいということだ。ニックには彼なりの正義がある。“a sense of the fundamental decencies . . . parcelled out unequally at birth”7)だ。この判断基準によって、ニックはギャツビー以外の人間を軽蔑することになった。しかし、そこまでの過程で心が変わっていた。村上はこうまとめる。「行動規範は一貫しているものの、状況によって環境によって、彼らの心や視点は……微妙にぶれていくし、それにつれて彼らのしゃべり方も少しずつ変化していく。」(『愛蔵版』 304)ニックが抱くギャツビーへの考え方が明らかに変わっている。「変化」であり「おかしく」変わっている。ニックははっきり書いていた。“Gatsby, who represented everything for which I have an unaffected scorn”8)と読者に紹介しているのに、その夏ニックが見た道徳の無い人の心が巻き起こす騒ぎから、ギャツビーだけを外した。嫌な要素でできている人物を尊敬しているかのように。
 ウェスト・エッグに引っ越してきた頃、どんな人物が隣人なのかという純粋な気持ちで、ニックはギャツビーのことを気にしていた。初めて参加したパーティで耳にするギャツビーの噂に、彼の魅力を感じさえした。だが実際に会って話すと、ギャツビーの言うことが信じられないでいた。疑いがあった。しかし後日2人でランチに行く途中、怒涛のように身の上を聞かされ、“Then it was all true.”65)と結論づけている。ニックは勢いに逆らえないタイプなのだ。マートルのパーティから早く帰りたかったのに帰らなかった時のように、ギャツビーの勢いに呑まれた。流されれば、いつの間にかどっぷり浸かっており、気づくとどこかに流れ着いている。別の状況でもいえる。ニックはギャツビーのパーティに何度か訪れ、その雰囲気を楽しめるほどになっていたのに、デイジーが来た途端に冷めた。“I felt an unpleasantness in the air, a pervading harshness that hadn’t been there before”100)と語る。近くにいる人から影響されやすい。まるで、自分の居場所がわからないかのようだ。ニックの心情は時間が経つほどに変わっていく。これでは神のように真に中立であるとは言えない。
 更にニックは隠したがるところがある。ニックの告白がThe Great Gatsbyの世界と完全には一致していないのだ。隠すうえに、自分の考えが正しいと確信している節もある。これは語り手として問題だ。
 ニックは自分の性格を理解している。“I’m inclined to reserve all judgements”7)、思ったことを言わないでおく主義だ。嘘つきではないのだが、どんなに重要なことでも関心の外なら表に出さない。マートルの事故やギャツビー殺人事件について、大抵の人なら知っている情報を警察に渡すだろうが、ニックはそれをした気配が無かった。真実に一番近いようだが、世間に明かそうとはしない。悪者を見つけ、その人を嫌い、「嫌いだ」と直接言わないのが、ニックという人物だ。トムに対してがそれだ。事件後、トムと再会したニックは初め、握手を拒んだ。しかし結局はした。それは、“I felt suddenly as though I were talking to a child”170)と気づいたからだ。救いようが無いと判断したみたいだ。または、これかもしれない。

          frequently I have feigned sleep, preoccupation, or a hostile levity when I realized by some unmistakable sign that an intimate revelation was quivering on the horizon7

いつものように、秘密を知らされるという面倒事から逃げようとしたのだ。真面目に付き合えば、更なる面倒に巻き込まれる。嫌な事からは離れていたいのだろう。だから彼は故郷に帰ることにした。
 ニックの信念は、“life is much more successfully looked at from a single window, after all”10)だ。言い換えるならば、自分の見方だけから語るこのThe Great Gatsbyはちゃんとしている、となるだろうか。あたかも自身が語り手として相応しいと自負しているかのようだ。しかしそれは間違っている。一つの窓から見ながらも、誤った解釈をしている者がいる場面に、ニックは居合わせていたのだから。これはニックの考えが否定されていることを意味する。その場面は、夫に閉じ込められたマートルが窓から見下ろしているところだった。

          I realized that her eyes, wide with jealous terror, were fixed not on Tom, but on Jordan Baker, whom she took to be his wife.119

マートルが誤解しているとニックは判断した。更に、野間の考えも合わせると2つ目の否定が見えてくる。ギャツビーがデイジーのことを雑誌などから知れたように、マートルも彼女のことを知っていた可能性が高いため、トムの妻をジョーダンと勘違いしたというニックの解釈こそが誤りだと言うのだ。(『小説』 26-28)こうなると、ニックの証言への信憑性が薄くなる。
 フィッツジェラルドは、ニックの考えが偏っていることをわかっていた。そのため、全てを見通す神の目を用意していた。看板に描かれたドクター・T・J・エクルバーグの目と、ギャツビーの書斎でニックと会った男性の目だ。どちらも眼鏡をかけており、どことなく不思議な存在であることが、この2つの目の共通点である。看板は結果を見、男性は結論を口にしていた。フクロウ眼鏡の男性がギャツビーの人生を総括して、“The poor son-of-a-bitch”166)と言う。ニックが思う尊敬は微塵も無い。何もかも真実を知っている者の意見であった。しかしフィッツジェラルドはこの神の目を語り手にしなかった。宮脇の言葉を借りると、ジャズエイジの人々の「物質崇拝」(『アメリカ』 87)を作者は表現しており、物を神にして物語に登場させた。物に語らせず、人間に語ってもらいたかったのだ。物では語れないもの、心を小説で明かしたのではないだろうか。
 物語を創作する時、主要キャラクターは作り手に近い者であることが多い。それは、創造が記憶から成り、作り手がその人物を理解しているためだ。フィッツジェラルドの生き方を知っている者は、ギャツビーの生き方と似ているので、作者の経験が再現されていると感じる。事実、フィッツジェラルドは告白していた。

          Also you are right about Gatsby being blurred and patchy. I never at any one time saw him clear myselffor he started out as one man I knew and then changed into myselfthe amalgam was never complete in my mind.“To John”

自分の知った人をモデルにギャツビーを書き始めたが、自分自身に変わっていたと言っている。ここからフィッツジェラルドがThe Great Gatsbyで、自分を書いていたと考えられる。読者にとって、ギャツビーという人物の判断材料になるのは彼の言動のみだ。なので、世間から見たフィッツジェラルドがギャツビーと重なる。では、作者の内側はどうか。野崎いわく、

  「ジャズの時代の桂冠詩人」と謳われ「燃え上がる青春の王者」「狂騒の二〇年代の旗手」と祭り上げられたフィッツジェラルドが、そうしたレッテルを貼られるだけの絢爛奔放な生活を派手に展開したことは事実だけれども、そうした外観の底にそれを批判的に見るもう一人のフィッツジェラルドがひそんでいたことを強調する(『グレート』 247

フィッツジェラルドがジャズエイジを代表する典型的人物という役を無理やりに振られ、演じてはいたが、実のところそれに対し彼は混乱していたらしいのだ。そのような思いをニックに語らせたと見える。
 また、ニックはギャツビーを語りつつも、自分の想像を強く出しすぎていた部分がある。ニックにとって、ギャツビーが緑の光に手を伸ばしていたイメージがずっと残っているらしく、大戦後ギャツビーが、デイジーとの思い出を求めてルイヴィルを訪れた話を聞き、ニックは思っていた。

          He stretched out his hand desperately as if to snatch only a wisp of air, to save a fragment of the spot that she had made lovely for him. But it was all going by too fast now for his blurred eyes and he knew that he had lost that part of it, the freshest and the best, forever.145

これはニックの勝手な想像である。ギャツビーが永遠に過去を失ったと知っていたはずがないからだ。知っていたならば、デイジーを取り戻そうとはしなかった。“I’m going to fix everything just the way it was before”106)と頑なに言い張ることもなかった。死ぬ当日までデイジーからの電話を待つこともしなかっただろう。ニックが正確には語っていないことは確認済みだ。ここでも同じことが言える。ニックは自分の良い様にギャツビーのイメージを脚色していたのだ。結局、ニックは1人の心情しか語っていないことになる。ニックとギャツビーの想いはイコールで結ばれていたようだ。そしてそのイメージの発信元は、作者であるフィッツジェラルドその人だった。
 ちなみに、フィッツジェラルドがこの小説でニックに託したメッセージが何であったのかも考えておこう。ニックはギャツビーを客観的に見て、軽蔑する要素を多分に持った人物だと分析しているが、悪くは言わない。

          there was something gorgeous about him, some heightened sensitivity to the promises of life . . . . This responsiveness . . . it was an extraordinary gift for hope, a romantic readiness such as I have never found in any other person . . . . NoGatsby turned out all right at the end8

ギャツビーがフィッツジェラルドの分身なので、ニックはフィッツジェラルドに希望を見出す力があり、彼の人生は間違ってはいなかったと記している。「自分は稀に見る特別な人間なのだ。失敗に導くのは周りに浮かぶ塵なのだ」と自らに言い聞かせているとも考えられる。騒ぎ立てるメディアからでは知ることのできないフィッツジェラルドの本音が、キャラクターの体を借りて読者に伝えられていたのだ。
 語り手として役不足なニックが、堂々とThe Great Gatsbyを語っているのには理由があった。心が揺れやすい性格なため、いろんな事態に出くわし、視野が広くなっていたので、その世界の案内をするには十分な情報を持っていた。それから彼は、作者の意見を代弁できる心有る人間だった。ニックはこれらの役割を果たすべく、語り手となったのだった。
    

引用文献リスト
Fitzgerald, F. Scott. The Great Gatsby. London: Penguin, 2000.
---. “To John Peale Bishop[Postmarked, August 9, 1925] Rue de Tilsitt Paris, France.” Selected Letters by F. Scott Fitzgerald. uCoz, n.d. Web. 31 Dec. 2013.
<http://fitzgerald.narod.ru/letters/letters.html>
フィッツジェラルド、F.スコット『愛蔵版グレート・ギャツビー』村上春樹訳 中央公論新社、2006年:304
フィッツジェラルド、F.スコット『グレート・ギャツビー』野崎孝訳 新潮社、1974年:247
野間正二『小説の読み方/論文の書き方』昭和堂、2011年:2628
宮脇俊文『アメリカの消失:ハイウェイよ、再び』水曜社、2012年:87

Rascal:作文②

はじめに
 小説Rascal1963年に出版されて以来、50年経った現在2014年でも地元アメリカではもちろん、世界中で愛読されている作品だ。映画やアニメに映像化されるほどの人気である。物語の舞台は1918年アメリカ、ウィスコンシン州、ブレールスフォード・ジャンクションとその周辺。ブレールスフォード・ジャンクションはノースがその町に付けた仮の名前であり、実際彼が住んでいた所はエジャトンという。この物語は自伝小説であるが、町の他にも違う名前を使っている部分があり、それはノースのRascalを書くうえでの気遣いらしい⁽¹⁾。あとは事実に基づいており、スターリングの相棒ラスカルと過ごした1年間が魅力的に描かれている。受けた数々の賞も物語るように⁽²⁾、Rascalは優れた作品であるとわかるが、何故著者スターリング・ノースは自分の思い出を1冊の本にしようとしたのだろうか。きっかけを探っていきたい。そして、ノースが読者に伝えようとしたメッセージを見つけてみよう。今回はノースが自伝小説を書いた点とラスカルに物語の焦点を合わせた点から分析していく。

  
  第1章 突然自伝小説を書くことにした理由
 スターリング・ノースという作家は、主にフィクションの小説またはアメリカ史における偉人の伝記を書いていた人物である。そんな彼が急に自身の話を本にして出版しようと思ったのは何故だろうか。そして、何故1963年に書いたのか、1918年という時期を選んで書いたのはどうしてなのか、これらの疑問を一つずつ解いていこう。
 まずノースがどのような仕事に就いていたのかを述べていく。大学進学後、エジャトンからシカゴに移ったノースは、学費を自分で稼ごうといくつかの仕事をした。15歳の時にかかったポリオのせいで足が不自由なため、主に事務作業をしていたが、詩や短編を売って稼いでもいた。幼い頃から文学に親しんでいたノースは、高校の国語教師マーガレット・スタッフォードとの出会いのおかげで書くことの楽しみを学び、大学生の時には作家志望になっていた。学内で雑誌の編集やミュージカルの台本を書くなどの活動もしており、物を書く経験を積んでいった。19292月に初めて書いた本The Pedro Gorinoが出版される。本の成功で自信のついたスターリングは大学を中退し、同年6月、シカゴ・デイリー・ニュースの新聞記者になった。頼まれたらどんな記事でも書く、努力と才能を持ち合わせたこの若い記者は早々に出世していき、1932年、デイリー・ニュース社の文芸セクション編集長に任命される。新しい作家の発掘や本の書評を書くことが仕事の内容だった。そして2年後の1934年、Plowing on Sundayを出版した。Rascalと同じく、舞台はブレールスフォード・ジャンクション。本自体は売れたが、リアリティを求めすぎ、キャラクターが町の誰を書いたものなのかがはっきりわかってしまうため、エジャトンでの評判は悪かった。1957年、子供たちが大学を卒業した後、スターリングは雑誌の仕事を辞め、ノース・スターブックスを立ち上げる。そこで伝記シリーズを次々に出版していった。伝記を書くためには膨大な資料が必要となる。事実を読者に伝えなければならないからだ。新聞記者としてのキャリアがここで活かされる。スターリングは現地取材を徹底してやり、リンカーン、ジョージ・ワシントン、エジソン、ソロー、マーク・トウェイン等の伝記を書いた。このように、ノースは普段自らを本に登場させることは無かった。何がきっかけで彼は自伝小説を書くことにしたのだろうか。それは父の死に関係があるようだ。
 1962年、99歳で父ウィラードが亡くなった。これを機にノースは昔を振り返った。以前、母エリザベスの死をウィラードのせいだと考えるところがあったノースは、Rascalの中でこう語っている。

          She had accepted and married my father, for better or for worse, sharing more years of poverty than of comfort. She did the worrying for the family; and it was largely worry that killed her at forty-seven. My father, who lived in an insulated dream world, took all of his losses philosophically, even the loss of my mother.65

苦労を全てエリザベスに任せ、ウィラードは好き勝手に生きていたとスターリングの目には映っていた。父が生きていた頃は彼の生き方を悪く思っていたのだが、父の死後ゆっくりと思い出すと、あれは父らしい生き方だったんじゃないかと思え、少しずつ許せるようになった。

          Living much in the past, and never in the worrisome future, his outlook was so tranquil that he drifted pleasantly from 1862 to 1962seven months short of a full centurywith very little sense of personal or international tragedy. Curiously enough, this lifelong detachment accompanied an excellent university education, a vast store of disorganized knowledge, and a certain amount of charm.60

ここには悪い印象が見られない。何不自由無い幸せな人生の中でさまざまな知識を得た人だったと言っている。その知識や彼の人柄がかけがえのない思い出をつくったことは紛れもなく事実であった。ノースは記憶を遡っていき、1918年という年を思い出した。父と一緒にホイッパーウィルを探しに行った日や2週間のキャンプに行った夏、また素敵なプレゼントを用意してくれたクリスマスなどがあった年だ。それ以外にも、もっといろんなことが起きたその年がノースは特別に思われた。本にして書き残すべき1年なのだと。
 ノースは本を書くときに大切にしていることがある。そのものを書き残し、伝えることだ。Rascalでスターリングは叔母のリリアンに将来作家になるべきだと言われるシーンがある。“I think she [Elizabeth] would have wanted you to be a writer. . . . And then you could put it all down. . . . You could keep it just like this forever.”180)母親に言われているようなとてもロマンチックなこの場面で、スターリングは本を書くことの意味を知った。高校でスタッフォード先生から、「自分たちの周囲の生き物をよく観察して、明瞭に、そして簡潔に書くように」(ちば 『あいたい』 73)と指導されながら、文章の書き方を教わった。それから大人になったノースは、「アメリカの歴史を語るにはどういう方法が優れているか」について考えていた。そして、「だれかの人生のストーリーを通して語るのがベストだ」(ちば 『湖で』 102)という結論に至った。これは本を書く目的に当たる。これらを踏まえると、ノースの素晴らしい思い出は忘れ去れないように、本という形に残し、人々にこんなことがあったんだと伝えた方が良いとなる。ノースには表現できる能力があるうえ、実際に自分の身に起きた歴史的事件の経験はどんな資料よりも確実であり、アメリカ史の1ページを見せるには、1918年は打って付けだった。ということで、ノースは自分の大切な父や家族との思い出、それからその頃のアメリカの様子を残し、伝えるべく、自伝小説を書くことにしたのではないだろうか。
 ちなみに1918年が世間的にどんな年だったのか、簡単にまとめておこう。スターリングがラスカルと過ごしたこの年、アメリカにとっても世界にとっても重要な年だった。第一次世界大戦(WWI)が終わり、スペイン風邪の流行があり、アメリカでの大量生産と大量消費が主流になり始めた時だ。物語の中でも重要事項となっているWWIは、スターリングの悩みの種でもあった。砂糖などの配給制や家の畑(“war garden”)のような日常の一コマからも戦時ということが読み取れる。町の様子も、戦争の影響が見られた。アメリカ軍は終戦までに約400万人の兵士をヨーロッパへ送った。内、10万人以上が戦死。そんな中で兄ハーシェルは生き残ってくれたのだが、スターリングに多大な心配をかけ、無事を祈ることしかできない歯痒く苦しい時間を長く過ごさせていた。RascalWWIについての資料を事柄からも人の心からも集めた物なのだ。第7章で登場したスペイン風邪は、戦争と並び深刻な問題となっていた。スペイン風邪の起源がどこなのかは定かではないが、最初に大きな被害をもたらしたのは19183月のカンザスだった。そこからヨーロッパへ拡散。世界中で感染者が増えていき、191810月の1ヶ月間だけで195,000人ものアメリカ人が命を落とした。ブレールスフォード・ジャンクションには10月末から流行が見え始め、他の地域同様、この町も学校を閉鎖し、外出する人々はマスクを着用していた。スターリングもこの頃に軽い風邪をひいた。世間の状況が深刻なだけに、ウィラードも念のため息子を弟夫婦の農場で療養させることにした。当時の病院に新しい患者を受け入れる余裕は無かった。医師も看護師も多くが戦争でのサポートに向かっており、アメリカから離れていた。そんなとき、追い打ちをかけるようにスペイン風邪の流行が始まった。病院は人手不足でボランティアまで募ったが、それでも間に合わないほどだった。それに続き、棺も墓も用意しきれないために、死体が増える一方だった。そんな状態で迎えた休戦協定の日、人々は1つの災難の終わりに喜び、スペイン風邪から目を背けようとした。スターリングも回復後、パンデミックについては語っていない。WWIよりも死者を出したこの悲劇は、アメリカで675,000人の命を奪い、全世界で5000万から1億人を1年という短期間で殺していた。
 また、文明や経済の発展もRascalの中で見られる。主に交通手段の変化でそれが表れている。1908年に発売されたT型フォードは、アメリカを一気に車社会へと変えていった。効率的な製造工程のおかげで、1台の値段が年々下がっていき、1914年までにアメリカ自動車市場でフォード社のシェアが48%を占めていた。1918年、ウィスコンシンの田舎町にもマイカーブームが来ていたようで、いくつかの車種が物語に登場する。一方でこの車の流行は、それまで活躍していた馬たちを道の外に追い出してしまうものだった。馬具屋のシャドウィクが乱暴に道を走り回る車をののしっていた。“It’s these gol-danged automobiles, smelly, noisy, dirty things, scaring horses right off the road . . . ruin a man’s business . . .”109)。時代に取り残されそうな1人の凄腕職人の悲しい姿が描かれている。人が馬よりも車を選ぶ理由はいくつも挙げられる。速く遠くまで走れて時間の節約ができる。運転が簡単で、世話も楽。餌代よりもガソリン代の方が安い。それに、1914年に始まった戦争が馬をヨーロッパへ連れて行ってしまった。その穴を埋めるように車が市民の生活に入ってきた。戦地での役目を終えても、アメリカに馬たちの活躍の場はもう残されていなかったのだ。発展という栄光がつくり出した影に飲み込まれていく悲しき運命をスターリングは見届けていた。
 続いて、「自伝小説」という言葉を分解して、Rascalを考えていく。この単語は「自伝」と「小説」に分けられる。「自伝」はこれまで示してきたように、ノースの思い出を伝えるためと解釈する。すると、「小説」というものに目を向けると、新たな疑問がわいてくる。小説にする必要があったのだろうか。自分のことを語る方法は他にもある。プロフィールやエッセイ、日記でも、文字にして残すことは可能だ。それらではいけなかった理由があるはずだ。ノースが小説家であったから小説になったという意見は否定できないが、その答えが完璧だとも言えない。彼は新聞記者でもあったからだ。文体をどうするかはノース次第であり、小説であろうとなかろうと、プロとしての作品が作れたわけだ。とりあえずは手始めに、小説という物を理解しておこう。言うまでもなく、物語を書き示した物だ。そこには登場人物がいて、事件が起こり、状景つまり舞台がある。確かにRascalはこれら全てに当てはめられる、小説と呼べる作品だ。では一体、ノースの思い出を小説にする利点と意図は何なのだろうか。
 小説は報告書ではない。これが答えの一つだ。無機質な文書で人の心を動かすことは難しい。この論文の後半でも言及するように、ノースはRascalにメッセージを込めていると思われる。書かれている文章だけが内容の全てではない小説だからできることだ。新聞や雑誌の記事は事実を並べ、報告しているにすぎない。そこに著者の感情があってはならないのだ。報告の例として、ハーシェルからの手紙を引用する。休戦後、スターリングに届いた手紙で、戦争中ハーシェルがどこに行っていたのかが書いてあった。

          We spent a couple of months in the Haute-Marne region and then went to the Alsace Sector. Later we joined the Château-Thierry Offensive, the Oise-Aisne Offensive and the Meuse-Argonne. We were on the Meuse at the time of the Armistice.164

極端な例だが、Rascalの内容もこのような報告型の文に変えることができる。「ラスカルと出会った。ラスカルが巣穴から出てきた。父さんと一緒にホイッパーウィルを探しに行った」となるだろうか。実に退屈だ。人の心も描ける小説がRascalには向いている。そして、ノースにとってアメリカの歴史を語るベストな方法が何であったか、思い出してもらいたい。「だれかの人生のストーリー」を使う方法だ。ストーリー、つまり物語である。より多くの読者に理解してもらえる手段が、事実の小説化なのだ。大切な思い出に対し、ノースはベストな方法を使っていたとなる。
 Rascalが小説になった理由を見つけたので、次は小説の要素から分析しよう。小説に登場人物がいることは確認済みだ。では語り手という人物に注目すると、何がわかるだろうか。作家にとって、小説を書くうえで悩みどころとなる点はいくつかある。主要人物は比較的簡単に決まるのだが、誰にストーリーを語らせるのかが難しいところだ。一人称か三人称か。または神か主人公ではない登場人物か。それと共に時間のずれも設定に加えることができる。ストーリーの進行と語っている時間が同時とは限らないのだ。Rascalの語り手は1963年のスターリング・ノースである。主要キャラクターは1918年のスターリング少年とラスカルだ。自分の思い出を語るのなら自分でストーリーを語るのが一番だとするにしても、時間のずれという設定は選ばなければならない。大人になったノースが少年時代を語るのは何のためだろうか。
 思い出を思い出として書いた。これに尽きる。ノースはRascalを小説にすることで、ある程度の嘘を書くことができた。そして出来事を書くか書かないかも選べた。事実を書いているようだが、当時を完璧に再現しているわけではないのだ。もし、語り手を1918年のスターリングとしたならば、筆者である1963年のノースは1918年を正確に描かなければならない。その物語はスターリング少年の目に映ったものをリアルタイムで語ることになるからだ。だがRascalは回想記だ。あくまでノースが覚えていることを書いた物。頭の中にある記憶と現実に起きたことでは差がある。時間が経過するとその差は大きくなり、事実の輪郭がぼやけてくるものだ。この結果として生まれる感情を、人は「懐かしさ」と呼ぶ。ノースは時間のフィルターを使って、懐かしい記憶を本に書き写したのだ。そして、大人になってから気づいたことも書き加え、Rascalを完成させた。
 アメリカの歴史を語るために、ノースは自分の人生のストーリーを通して語ろうとした。そうして生まれたのがRascalである。書くべきことがとびきり多い1918年を舞台とし、1962年の父の死をきっかけに家族の思い出をノスタルジーに描ききった。心に残るあの頃が消えてしまわないように、小説に書きとめ、読者の手に置いていったような気がする。
  

2章 ラスカルに焦点を合わせた理由
 次は、たくさんの要素または伝えたいことが含まれる1冊の本の中で、何故ラスカルが中心に置かれたのかを見ていく。Rascalという本の内容を一言で表すならば、「スターリング・ノースが11歳だった頃の思い出」となるだろう。しかしその思い出を細かく分けてみると、父との生活、ペットのこと、釣り、カヌー作り、仕事、WWI、友人との付き合い、母の思い出などとなる。どれを取ってもメインとなりうる項目だが、ノースはあえてラスカルを選んだ。小説の題名にし、章ごとの名前はこの本がラスカルの成長記録であるかのように月で示されている。どうしてラスカルでなければならなかったのか。
 何よりもまず言えることは、ノースが大変なアライグマ好きだったということだ。それが第1の理由に挙げられる。1943年、ニューヨーク・ポスト誌での仕事のために、妻子を連れてニュージャージー州のモリスタウンへ引っ越した際、ノースはアライグマが家の近くに住んでいると知り、とても喜んだ。よく訪ねに来る野生のアライグマたちのために、ノース家はエサ台を設置し、そこに庭で採れた野菜を入れてやっていた。子供の頃に見た近所の大人たちとは違い、ノースはアライグマと分け合う生活をした。アライグマへの愛は残っている写真からもわかる⁽³⁾。これだけの想いがある作家が、自分の作品にアライグマを登場させないわけがない。満を持して、アライグマを好きになるきっかけをくれたラスカルで物語を書くことにしたのではないだろうか。後に出版されたRaccoons Are the Brightest Peopleも含め、ノースは世にアライグマという生物の素晴らしさを伝えようとした。
 ノースが自分の少年時代を語るならば、ラスカル抜きでは語れなかった。それほどラスカルは特別な親友だった。このアライグマと過ごした冒険のような日々は、ノースの人生において最も美しく、物語るに値する思い出である。
 スターリングがラスカルをウェントワースの森で見つけた時、ラスカルは乳離れもしていない赤ちゃんで、1ポンドにも満たないフワフワのボールのようだった。それでもトレードマークの縞々シッポと目の周りにある黒いマスクはしっかりついていた。スターリングとハウザーはこの小さなアライグマにすっかり心を奪われてしまう。ラスカルが成長するにつれて、その性格も現れてくる。とてもおもしろい子で「スピードと冒険と探検が大好き」(“loved speed and adventure and exploration”)(118)な、名前の通りやんちゃ坊主だった。野生動物らしく、好奇心のままに行動するラスカルは小さいながらも「ライオンのハート」を内に秘めていた(“this absurd and lovable little creature had the heart of a lion.”)(36)。ポーとケンカしたり、熊皮の絨毯に挑んでみたり、カモの親子に負けて帰ってきたりと、チャレンジャーなところがある。そんな勇敢さを見せる一方で、ラスカルは何ともかわいらしい寝方をしてくれる。シッポを枕にして丸まって眠ったり、木の上で腕も脚もだらりと垂らして日光浴をしたり。微笑ましい思い出が続々と出てくる。ノースは自分の子供たちが幼かった頃によくラスカルの話を聞かせていたという。彼らのお気に入りのエピソードは、ラスカルが初めて角砂糖を食べた時のことだった。もちろんこれもRascalの中で大切に語られている。スターリングがラスカルに角砂糖を渡すと、ラスカルは自分の前に置かれたミルクの入ったボウルに手を突っ込んで砂糖を洗い始めた。すると当然砂糖は溶けてしまい―

          He felt all over the bottom of the bowl to see if he had dropped it, then turned over his right hand to assure himself it was empty, then examined his left hand in the same manner. Finally he looked at me and trilled a shrill question: who had stolen his sugar lump?33

この状況を正確に伝えるノースのおかげで、子供たちも読者もスターリングのように笑ってしまうのだが、やはりラスカルの反応がとても良かったためにここまで盛り上がったのだろう。ラスカルでなければいけなかったのだ。もしもオスカーがラスカルではなく、他の兄弟を捕まえていたら、Rascalに書かれたような1年にはならなかったかもしれない。
スターリングにあそこまで懐いたのも、ラスカルだったからなのだろう。アイリッシュピクニックのパイ食い競争で、スターリングはこう思った。“Then my best friend came to my rescue.”127)ラスカルがスターリングのパイを反対側から食べ始めた場面だ。ラスカルも物凄い勢いで食べてくれたため、スターリングは一番速く完食することができた。しかし、違反ということで失格となり、繰上げで2位のオスカーが優勝するという結果になった。ラスカルがもし、ただの食い意地の張ったアライグマだったら、オスカーや他の参加者のパイを手当たり次第に食べていただろう。おいしいとわかっているブルーベリーパイがいくつも並んでいるのだから。だが、ラスカルはスターリングのパイしか食べなかった。“my rescue”と表現しているのがその証拠だ。スターリングだけにしか関心がないというように見える。信頼を寄せ、懐いているということになる。ラスカルがスターリングのことを大好きだと思っているのがわかると、スターリングはラスカルを更に大切に思うようになる。他のペットではまねできない仕草や行動が、ラスカルを特別な存在にしている。そして親友と呼べるのは、2人がどんなときも一緒にいたからだ。
 とにかくスターリングはラスカルと一緒にいようとした。遊びも、食事も、寝る時も、仕事も、風邪をひいた時も、ラスカルが檻に14日間閉じ込められた時も、いつも一緒にいた。檻を作り始める前夜、木の上で星を眺めながら思っていた。
         
          I had a sad but happy thought. If Ursa Major, the Great Bear, was my constellation, Ursa Minor, the Little Bear, was by natural right Rascal’s constellation. Long years after we were both gone, there we still would be, swimming across the midnight sky together.116

彼らの関係は運命共同体と呼べるものだった。辛い時も支えあえる大事なラスカルと長く暮らせるように、スターリングは一生懸命ラスカルを守った。そしてラスカルの自由を尊重し、伸び伸びと育ててやった。ラスカルの運命を左右する大きな決断をするとき、ラスカルの意見に任せていた。“Do as you please, my little raccoon. It’s your life.”189)ラスカルにかけてやった最後の言葉である。それに、クラスメイトの前で言ったセリフが、スターリングがどれほどラスカルを特別に思っているかを表していた。“He’s a wonderful pet.”140)(italics mine
ラスカルの面倒を見ることは、他の思い出とも関連してくる。父と旅行に出かけたのもラスカルがきっかけ。釣りにもラスカルを連れて行った。姉とのやり取りもラスカルがいなければ、あれだけ面白い事件にならなかった。1つ例を挙げてみよう。第37月のこと、スターリングは“Feed him [Rascal] a favorite food, say a kind word, and he was  your friend.”53)ということに気づいた。それを証明するために、ラスカルの友達を2人紹介している。メソジスト教会に勤めるジョー・ハンクスの場合、“His secret for winning Rascal’s affection came in his lunchbox [half of one of his jelly sandwiches].”54)ラスカルがジャムサンドに釣られている。食べ物をくれるかどうかで良い人だと判断しているようだ。洗濯屋のジムはラスカルにペパーミントキャンディをあげており、ラスカルはすっかり懐いている。更にスターリングは発見した。“Apparently Rascal was aware of the first faint rattle of the coaster wagon far off down the street.”54)ジムの手押し車の音が聞き取れるため、ラスカルは曜日がわからなくとも、いつジムが来て飴をくれるのか察知できているというのだ。そして、その音を聞き分ける優れた耳は音楽までも楽しんでいるらしい。お気に入りの曲“There’s a Long, Long Trail A-winding.”をうっとりした目で聴いているのだ。その曲はナイチンゲールについて歌っている。それでスターリングはナイチンゲールがアメリカにいるのか疑問に思った。するとウィラードが“Not nightingales, but we do have whippoorwills, of course.”55)と言う。こうして2人と1匹はホイッパーウィルを求めて出かけることになった。たった3ページの間にこれだけ自然な流れで話題が進んでいく。ラスカルといれば、印象深いいろんな思い出を急展開することなく書くことができる。いつも一緒いたためにそれが可能となり、だからこそラスカルを物語の中心に置いたのだ。
この小説のタイトルはどうだろうか。Rascalだ。ラスカルについて書いてあることが一目瞭然である。しかしそのまま流さず、これにも注目しておこう。本のタイトルは本の顔とよく言われるほど肝心なものだ。これについても作家は頭を悩ませる。Rascalがラスカル中心の話だからRascalなんだと単純に決められるものではない。題名にできる案ならいくらでもあるのだ。「ラスカル記」、「ラスカルと過ごした日々」、「ぼくの親友」、私が勝手に作るだけでもこれだけ出てくる。しかしこれはRascalだ。何か理由が隠されているはずだ。
ラスカルがRascalの中でどのように描かれているのか今一度思い出すと、答えに近づくことができるだろう。まず外見の描写があり、性格もノースの言葉でまとめられている。それから、体重が詳しく表記されている。スターリングがラスカルを見つけた時点で、“less than one pound”15)。ラスカルが巣から出て、自由に歩き回れるほどになると、“two pounds”36)になっていた。8月、バートの家で測った時は、“four pounds and three ounces”101)で、順調にいけば1カ月に1ポンドずつ増えるとバートは言った。2月、リリアンにまだ子供だと言われた時、抗議するようにスターリングは言った。“I weigh nearly one hundred pounds. With Rascal on my shoulder I weigh one hundred and eleven.”178)つまり11ポンド(≒5kg)。非常に細かいデータである。ラスカルの行動は目に浮かぶように活き活きと書かれてあった。更に、挿絵もラスカルの成長を見せている。各章に1カットずつ入れられている絵には、必ずラスカルが描かれているのだ。ノースの思い出の中にいるラスカルだが、これだけはっきりとした情報があると、ラスカルがこの本の中にいるようだ。本を開けばラスカルと会える。この本を求めることは、ラスカルを呼ぶことであり、会いに行くこととなる。なので余計な言葉はいらない。ただRascalで十分なのだ。
ところがそれで落ち着いてはいけない。物語の中心となりえたはずの人物がもう一人いたのだ。少年時代のノースにとって最重要人物だった母エリザベスだ。彼女ではなくラスカルを選んだ理由も無ければ、この論文は不十分となる。1914年、47歳でこの世を去ったエリザベスは、尊敬すべき優しい母親としていつまでもノースの心に残っていた。いなくなった母親の代わりを求めるように、スターリングは自分に優しくしてくれる3人の女性に対し、特別な意識を持っていた。オスカーの母には“As Mrs. Sunderland knew, my mother had died when I was seven, and I think that was why she was especially kind to me.”17)と思っている。生物学のウォーレン先生には、“Miss Whalen loved biology as my mother had loved it.”134)と語って母と比較し、彼女にアライグマが人間のように進化をするのかを話した後、ばかにせず、あたたかく笑って聞いてくれたことにほっとし、“I left the classroom feeling that Miss Whalen was a very special person.”138)と感じていた。リリアンには“You’re like a fourth son to me, Sterling.”148)と言われ、スターリング自身一度彼女と母親が重なって見えていた時があった。“And she looked so much like my mother as she said it that I wondered to whom I was talking . . . . I listened as though it were indeed my mother speaking.”180)母親がいない部分をどうにか埋めようとしているように見える。その欠如に思い悩んでいることがテキスト内ではっきり書かれていた。

She [Elizabeth] would have been interested in studying more closely the habits of all these animals [the pets Sterling was raisingRascal especially], and would have helped me solve some of the difficult problems they presented.28

これほど母の面影を追っているのなら、この想いを話の中心に持ってこられたはずだ。しかしそうしなかった。理由は結末にあると思われる。もし、母親との思い出を描こうとするなら、幸せな時間から始まり徐々に内容が暗くなっていき、最終的には彼女の死にいきつく。書くにも読むにも辛い物語をノースが書くだろうか。その話が進めば恐らく、父親のことを悪く書かざるを得なくなる。折角時間が経って心を許せるようになったにも関わらず、癒えた傷をえぐるようなことはしないはず。家族とのあたたかい思い出を本の中で再現するには、エリザベスでないテーマで書くべきである。わざわざ本にして残すのだから、幸せをたくさん描きたいはずだからだ。
では、何がテーマに相応しいのか。当然ラスカルに決まっている。ラスカルとの思い出は幸せに満ちている。結末は悲しいが、あの別れはスターリングとラスカルの成長への希望がうかがえるものだった。なおかつ、ラスカルと一緒に自然の中にいると、たまにエリザベスが教えてくれたことを思い出すことがあった。ブルーレ川の流れる森をラスカルと歩いていると、スターリングは生命の神秘を感じていた。

          It seemed a miracle that anything as young as fingerling trout or grouse chicks or my small raccoon could move along this watercourse among boulders as old as the worldthe new life of this very season amid granite predating even the first life on the globe.92

そして生前エリザベスが話してくれた、世界の誕生へと内容が移っていく。この年の思い出は美しい。ラスカルがいれば、大好きな母のこともノースは書くことができるのだ。
 最後に、ノースがRascalを通して読者に伝えたかったことから見ていく。執筆中、ノースはRascalを若者に呼んでもらおうと考えていた。前途したように、ラスカルのお話はノースの子供たちに気に入られていたため、若者への受けはある程度保障されているようなものだった。お茶目でいたずらっこのラスカルを物語の中心に置けば、楽しく読んでくれるだろうといった思惑があったかもしれない。Rascalが読者に訴えていることは、これまで述べてきた彼の思い出と、言葉の美しさ、アメリカの歴史、そして自然への関心だ。思い出以外の要素を言い換えると、“linguistics”“history”“biology”となる。ノースがRascal以前に出した作品は、それぞれこれらのジャンルに分類できる。ということは、Rascalはノースの書きたいことが全てきれいに1冊に収められた最高傑作であると言える。多くの要素を含んだ本が200ページを超えないというのは、ノースのバランス感覚の良さを示している。確かに学校の授業でテキストとして使われるには悪くない長さだ。それに、要素が多いということは、それだけこの作品への見方を変えることができるということになる。動物の話として読んだり、昔のアメリカの文化を知るために読んだりと、さまざまなアプローチができるのだ。だがそうなると、この本にあるメッセージを一言でまとめるのは難しい。要素の数だけメッセージがあるのだから。この章ではRascalが何故ラスカルメインの小説なのかで話を進めているので、ここでは“biology”に注目しよう。
 若者に読者のターゲットを絞ったのならば、それは次世代へ伝えたいメッセージがあるのだと考えられる。時代の変化と共に追い込まれたり、消え去ったりしてしまう儚さを見せ、ノースはこの流れを勢いのままに任せるのではなく、少し立ち止まって考え直してもらいたいと願っているのではないだろうか。例えばスターリングがホイッパーウィルを探しにカムリン農場を訪れたシーン。“It [virgin forest which Kumlien had protected from the ax] is gone now, but it was there when I was a boy”67)ただ森に向かって歩いていたと書けば良いところを、このような予備知識を追加している。必要であるから書いたのだろう。良い思い出の中で「今は無い」と知らされると、著者がこの事実を悲しんでいると受け取れる。やっと聞こえてきたホイッパーウィルの鳴き声は、スターリングに不思議な感覚を与えた。“A Soloist against the symphony of the night making me feel weightless, airborne, and eeriehappy, but also immeasurably sad.”69)何故だか悲しそうなのだ。ウィラードが幼い頃は簡単に聞けたこの鳴き声が、スターリングには聞きに来ないと聞けないものになっていた。それだけ環境が変わってしまったということと、それによってホイッパーウィルの自由が制限されてしまったことを考えると、悲しく感じるのだろう。別の例で、リョコウバトの話もその手のことを訴えてくる。著者のノースは書く思い出を選択できる。ストーリーの進行上、この剥製の話題は無くとも問題なくいけるのだが、長めの会話で登場している。やはりこれも必要なシーンなのだ。

     “I could kill birds all day,” my uncle said. “Used to shoot down passenger pigeons by the bushel basket.”
          “And they’re all gone now,” Aunt Lillie reminded him. “Not one passenger pigeon left in North America.”151

リリアンの“gone”というセリフがなんとも悲しい。失いかけているものと完全に失ってしまったものを語り、読者に寂しい現実を突きつけてくる。スターリングはフレッドの農場滞在の後、毛皮パンフレットに載っている腕を罠に挟まれたアライグマの残酷な写真を見て、マスクラット狩りの準備を慌ててやめた。“How could anyone mutilate the sensitive, questing hands of an animal like Rascal?”160)こう思い、自分のしようとしていたことが恐ろしいと気づき、どんな運命の悪戯か、第一次世界大戦の休戦記念日にスターリングは動物や鳥たちに永久平和条約を誓った(“a permanent peace treaty with the animals and birds”)(161)。スターリングは動物たちを絶対に殺さないと決めた。これが彼の中での自然を守る最善策なのである。あくまでも、その平和条約は一つの案として提示されているだけで、ノースは読者にこれを強要しているわけではない。だが、野生生物の営みを邪魔してやらないで欲しいという想いは少なからず発信されている。物語の最後にスターリングはラスカルと別れる。ノースはこの小説の始めからずっとラスカルの愛らしい姿を見せてきた。そして別れたところで話をぷつりと終わらせ、その後を一切明かさない。こんなにかわいいラスカルと彼の仲間たちの住む世界を壊さないで、見守ってあげてくれという願いが、この描き方に込められているのではないだろうか。
 ラスカルのためにどんな問題にも逃げずに挑戦した1年間、ノースはさまざまなことを体験した。ラスカルがノースの生活の中にいた1918年は書き残しておきたい想いを全て詰め込められる最高のシーズンだったのだ。そしてその時間が教えてくれた自然を慈しむことの大切さを、ノースはラスカルを用いて読者に伝えている。


終わりに
 仕事が落ち着き、60歳間近になっていたノースは人生を振り返るようになっていた。家の外からはアライグマの鳴き声が聞こえてくる。あのやんちゃな友人が思い出される。そして父の死が訪れた。翌年、ノースは自分の過去を本に書き起こした。ラスカルがいたあの1918年、父と過ごした懐かしい記憶に、母の優しい言葉を思い出していた大切な1年間を切り取って物語にした。ついで、当時起きていた事件や暮らしの様子をも描いた。この世界から忘れ去られて欲しくない事実を小説に書きあげ、古き良き時代を色鮮やかに本の中に留めさせた。ラスカルの家族や子孫たちが、これからもずっと幸せでいられるよう願いを込めて。

  
1“All of my friends in this book, both animal and human, were real, and appear under their rightful names. A few less lovable characters have been rechristened.Sterling North”6)と書かれている。
2Dutton Animal Book Award1963)、Newbery Honor1964)、Lewis Carroll Shelf Award1964)、Dorothy Canfield Fisher Children’s Book Award1965)、Sequoyah Book Award1966)、William Allen White Children’s Book Award1966)、Pacific Northwest Library Association  Young Reader’s Choice Award1966)などを受賞した(“Rascal(book)”)。
3スターリング・ノースと2匹のアライグマ



引用文献リスト
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          <http://www.gojefferson.com/rascal/>.
North, Sterling. Rascal. Illustrated by Schoenherr. New York: Puffin, 2004.
“Rascal (book).” 25 Feb. 2013. Web. 3 Sep. 2013.
          <http://en.wikipedia.org/wiki/Rascal (book)>.
ちばかおり『ラスカルにあいたい』 求龍堂, 2007.
ちばかおり『「ラスカル」の湖で~スターリング・ノース~』名作を生んだ作家の伝記10 文溪堂, 2010.
    

参考文献リスト
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“1918 flu pandemic.” 6 Jan. 2014. Web. 8 Jan. 2014.
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