2014年1月31日金曜日

Rascal:作文②要約

Summary
           Rascal, which was published in 1963, is a lovable novel. Its story is about 11 year-old boy and his pet, a raccoon, Rascal, in Brailsford Junction, Wisconsin in 1918. Sterling North wrote this book autobiographically. Why did the author write about his boyhood and what is his message in Rascal? In this graduation thesis, I will analyze these questions showing the reasons why North wrote an autobiographic novel and why the story focused on Rascal.
           North was a writer, who wrote mainly fiction and biography of American great persons. He had seldom shown himself in his books till Rascal. North had spent so busy days as a journalist, a novelist, a book reviewer, and a biographer. After his children graduated their college, he reduced a volume of work, and then got more relaxed time. A few years later, the death of his father in 1962 made him start thinking about his memory. North noticed that he had to write his wonderful childhood with his family and the best friend in a book. In addition, the year, 1918, had some great events should be told to future generation: WWI, Spanish influenza, and the turning point of transport, from horses to cars. North decided to tell us a part of American history through his own story.
           Rascal is one of main characters in Rascal. There are three reasons to become main. First, North’s favorite animal was raccoons, so he wrote a raccoon story. Second, Rascal was the special and best friend for Sterling. Their memory was good to be novelized. Third, since Sterling and Rascal shared their much time, it was easy to connect to other memories: about Sterling’s family, hobbies, trips, and the pie-eating contest. Moreover, North was able to write also his mother’s words which were told him during her life and were reminded by Rascal’s action. Thanks to Rascal, the happiest boyhood year was all beautiful. At the end of the story, Sterling returned Rascal to the forest around Lake Koshkonong, wishing Rascal and his kits would live there for many pleasant years.
           We learn from Rascal 100 years ago American life and the importance to save the nature. By reading this book, the good old days North enjoyed will stay in our heart forever. Furthermore, Sterling and Rascal can play together forever, too, in a novel. Rascal is the masterpiece of Sterling North.

Rascal:思いつきテーマ

仮タイトル「ラスカルの育て方~飼育マニュアルは“Way-Atcha, The Coon-Raccoon of Kilder Creek”~」

はじめに.
 もしも、ラスカルを手に入れてから、アライグマの飼育方法を知るためにスターリングがアーネスト・T・シートン著“Way-Atcha, The Coon-Raccoon of Kilder Creek”を読み、そこから得た知識を実際に使っていたと仮定するならば、スターリングのおこなったラスカルの世話は成功だったと言えるのかどうかを証明する。

I. Rascalの中に見られる“Way-Atcha”の情報(スターリングが“Way-Atcha”を参考にしたと思う理由)
1.ラスカルと過ごした1年が1918年から1919年であり、Wild Animal Ways1916年に出版されていた。読むことは可能である。
 2.赤ちゃんラスカルの生活―木の穴を巣にした、生後2カ月は巣穴でじっとしている
 3.ラスカルの食糧事情―ワイアッチャは母親から狩りを教わる、ピゴット家でお菓子をもらったりニワトリの卵を食べる、トウモロコシは話に出てこない
 4.ラスカルとワイアッチャの運命―野生で生まれ、人間に飼われ、野生に帰る(ワイアッチャは自然界に戻った後まで描かれている)
 5.ラスカルという名前の由来―シートンは、いたずらをしたワイアッチャを“the little rascal”と呼んだ(注.アニメのOPでラスカルがノートにインクを付けた手でペタペタと手形を押しているシーンが出てくる。これは“Way-Atcha”の中でも登場するシーン。)

II.ラスカルはどのように育ったのか
 ラスカルが幸せだったかは誰にもわからないが、ラスカルの行動を分析し、スターリングの育て方が間違っていなかったことを明らかにする。
1.      活き活きとしたラスカルの振る舞いと私が見た動物園のアライグマとの比較
2.      本能に従うことがラスカルのためとすると、スターリングがやった育て方でラスカルは野生に帰る準備ができていたのか
―スターリングの基本的なペットの飼い方、飼ううえでのポリシー「自由の尊重」→ラスカルは伸び伸びと生活できた
―ラスカルの能力を確認:食糧確保、檻から出られる器用さ、敵に立ち向かう力→スターリングと別れた頃には一人前になっていた

終わりに.
 ワイアッチャは野生のアライグマとして自然界に無事復帰することができた。しかしラスカルの場合はわからない。スターリングはコシュコノング湖でラスカルと別れたきり、一度も会っていないからだ。ワイアッチャがハッピーエンドを迎えられたのも、物語がフィクションであるからだろう。だがそれでも私たちは、スターリングが立派にラスカルを育て上げ、ラスカルが幸せなアライグマライフを楽しんだと信じよう。

Rascal:作文①

はじめに
私がRascalという本を初めて手に取ったのは高校生の頃。内容を知らなかったが、名前だけは知っているそれを読んでみることにした。なるほど、アニメ化されたからといって簡単な英語で書かれているのではないのだな。私は23度読もうとトライしたが、1ページ目でことごとくギブアップした。それから大学生になり、2011年秋、テレビでスープのCMを見ていた私の目に飛び込んできたのは「つける」か「ひたす」かで迷っているラスカルだった。なるほど、やはりラスカルは今でも人気のキャラクターなのだな。そういえば、Rascal買ったけど読んでないなと思い出した私は、久しぶりにその本を開いて閉じた。やはり難しい。アライグマの話なのに、2ページ目のセントバーナード犬について書かれたところが読み取れず、呆気なく断念した。2012年、卒業論文を書くか書かないか決める頃、「大学生だから書くでしょ」と言いながらテーマを探していた。そうだ、Rascalあるからアレでいいや。この機に読んでしまえ。日本でこれだけ有名なのだから、情報だってたくさんあるだろう。私はイギリス文学のゼミからアメリカ文学のゼミに変更する上、何より動物が好きなのだから、これほど自分に合う作品は無いだろうと考えた。しかし甘かった。Rascalを読むまでは順調に進んだのだが、そこから何を論じようかなかなか定められなかったのだ。インターネットでスターリング・ノースやRascalを調べたが、話の要約や簡単で同じような情報が載っているばかり。日本のサイトでは原作ではなく、『あらいぐまラスカル』のことばかり。更に、ラスカルというキャラクターが独り歩きしてツイッターまでやっていると知った日にゃ、私は呆れてしまった。日本語で書かれた論文でラスカルを使ったものは、アライグマの野生化を伝えるもののみ。ラスカルやスターリングを正しく教えてくれる本を書いているのは、ちばかおりさんだけなのだ。これだけ優れた作品を正しく理解していない日本人は恥だ。私はちばかおりさんに続き、Rascalという本の姿をより多くの人に見せたい。そしてこの論文の進む方向が決まった。
1964年に出版されたスターリング・ノースのRascalについて論文を書くということで、私はとりあえずアライグマを見に動物園へ行った。アライグマ舎の中でウロウロ歩き回っている2匹をしばらく観察していると、「アライグマだって。ラスカルだよ」と言う声を聞いた。私の隣に、小さな男の子を連れた女性がいたのだ。そのまま観察を続けながら、「やはり日本人にとって、アライグマといえばラスカルなのか」と思った。その親子が離れていった後も、誰かが来るとアライグマ舎の前で「ラスカル」という言葉を耳にした。彼らはどれほど理解してその名を口にしているのだろうか。恐らく、薄っすら記憶にあるテレビで見たストーリーと今でも人気健在のかわいいラスカルが大半の日本人にある知識だろう。一方、ある程度この物語を知っている人の中には、ペットのラスカルを森へ帰すなんてスターリングは無責任な奴だとか凶暴なアライグマを日本に持ち込んだ最悪のアニメだとかいう見方をする人もいるようだ。私はこのような人たちに原作をしっかり読んでもらいたいと思う。原作を理解できれば、この作品がアニメ化に選ばれたことも、クリエーターたちが日本人に見せようとしたこともわかってくるはずだからだ。日本人はRascalをぞんざいに扱ってはいないだろうか。「かわいい」だけのラスカルに注目する前に、「スターリングの親友」としてのラスカルの話を知っておくべきではないだろうか。これからRascalの魅力を、ストーリー、舞台となる時代と当時の生活、作者という3つの要素から解説していく。名作と呼ばれるこの物語を見直してほしい。世界中がRascalの素晴らしさを認めているのに、これだけラスカルの知名度が高い日本がそれをわかっていないというのはおかしいのだ。

1.      キャラクターと友情
 Rascalには「人間と動物の友情」が見られる。これは動物好きな人が追い求めるテーマであり、年齢、国を問わず、そのような多くの人が「読みたい」と思う条件の1つとなる。確かに、このテーマを扱った作品は他にも多くあるが、その中でもRascalは特別に輝いている。何故なら、まず1つにこれがスターリング・ノースの自伝小説であるからだ。全くのフィクションではなく、実際にあったということで人は感動しやすくなる。また、スターリングとラスカルがそれぞれ読者に好かれやすいキャラクターであるという点も理由に挙げられる。では、スターリングがどういう少年で、何故ラスカルが特別なのかを見ていく。

スターリングとは
 上記したように、Rascalはスターリング・ノースの自伝小説であるため、語り手であり主人公の男の子は著者本人である。しかし、ここではスターリングを1人のキャラクターとして注目する。そうすることで、彼がどれだけ主人公という大役に値する人物であったのかがわかってくる。
 まずこの物語を読んでもらうためには、読者に興味を持たせる必要がある。そこでスターリングの特殊な生活が目に留まる。アライグマを飼いたいと思うきっかけとなるのだから、これが無ければ話は始まらない。スターリングは家族を「おもしろくて、教養があって、愛情のこもった優しい」(“interesting, well-educated, and affectionate”)(28)人たちだと言っているが、そんな大好きな家族と楽しく暮らす生活は終わっていた。母はスターリングが7歳の時に他界。兄はヨーロッパの戦争に行っており、上の姉はミネソタで結婚生活、下の姉はシカゴの大学院に通っている。唯一一緒に暮らし続けている父でさえもよく仕事で家にいない。11歳の男の子には心細い生活環境だった。そのさみしさを埋めようと、スターリングはたくさんのペットを飼うようになる。ここにわんぱくなアライグマの子供が加わり、スターリングの毎日は冒険へと変わった。悲しいことや楽しいことが次々に起こり、それらの出来事が読む人をRascalの世界に引き込んでいく。家族としては、優しく面倒を見てくれる母親がいない、兄のことが不安でならないなどの辛い部分、そして、たまに姉たちが帰ってきてくれる、息子に対し放任主義の父が車で小旅行に連れて行ってくれるなどの嬉しい部分。非常にバランスが取れている。ラスカルに関しては、檻に閉じ込めなければならないことを考えつつ、スペリオル湖でのキャンプを存分に楽しむなど。どうにもできない悲しみとささやかな喜びの数々を前に、読者は同情と安堵を感じる。ラスカルと過ごす1年をスターリングの目を通して、気持ち良く読み進めていけるのだ。
 とはいえ、スターリングの家庭事情や1人で家事をこなしているところなどを見ると、ひどく大人びて見えてしまう。本当に11歳なのかと疑いたくなるほどしっかりしているのだ。けれども、楽しそうに、また熱中して遊んでいる彼を見れば、そんな疑心は頭の隅に追いやられる。戦争只中の当時としては、両親が長時間働いていたり、子供が疎開をしたりしていたため、親子が離れ、子供らが自立して成長しているのは珍しくなかったが、料理や広い家の掃除、ペットの世話に畑の手入れを1人でやりつつ趣味もきっちりやっているスターリングは凄い。だが、正真正銘11歳の釣り好きな少年なのだ。思わぬ吉報に、ラスカルを持ち上げてクルクルと小躍りしてはしゃぐスターリングに、読者は彼のあどけなさを見る。彼も普通の男の子なのだと落ち着けるのだ。
 更に、主人公たる者、果敢なチャレンジャーでなければ読者はついてこない。スターリングはその要素も持ち合わせている。第一の挑戦はカヌーを作ること。設計、材料集めから組み立てまでをほぼ1人でやっている。2年かけての大作ということで、彼の根気とガッツの結晶とも言える。決めたことを最後までやり遂げるスターリングの強さが窺える。第二に自分でお金を貯めることだ。畑で採れた野菜を売ったり、アルバイトをしたりと、カヌーの材料やプレゼントを買うために働いて稼ぐ。子供なのだから大人に借りるなどすれば良いのに、彼はそうしない。プレゼントなどのご厚意はありがたく受け取るが、立ちはだかる問題には1人で取り組もうとする。そして、最も大きな成果を出した挑戦がラスカルの世話だった。子供のアライグマは人懐こいとはいえ、その飼育は簡単ではない。ましてやスターリングはラスカルを手に入れる時点まで、アライグマの生態をよく知らなかったのだ。大変な課題にスターリングは手を出したということだ。それでも途中で投げ出すことなく、ラスカルを立派な成獣に育て上げた。彼の困難に立ち向かう姿に、読者は応援してしまう。
 もう1つ読者がスターリングに感じるのは憧れだ。スターリングという少年を紹介するうえで欠かせないのは、彼が自然が大好きだという点である。両親や先生が優しくスターリングに生物学を教えてくれ、自然への興味がわいた。そしてペットを飼うことで動物を愛する優しい心も得られた。そんなスターリングが個性豊かな動物たちとふれあう度、人によっては懐かしみながら羨ましがっているようだ。更に、Rascalを好んでいる人たちは、動物好きの人に是非読んでもらいたいと薦めている。のどかな動物たちとの暮らしが描かれているからだ。犬、猫、ウッドチャック、カラス、アライグマに囲まれた生活。隣の家にはラスカルに懐いている駿馬がおり、叔父の農場に行けば牛の乳搾り、豚の餌やり、気晴らしにポニーに乗ったりする。森ではさまざまな野生動物との出会いがあった。家族について見れば彼の生活はかわいそうに思えるが、動物たちとふれあうという角度から見ると、本当に充実したものだったと言える。彼らとの思い出が幸せの糧になっていたのは間違いない。動物たちの自由を尊重している動物好きにとって、理想郷のような世界が広がっているわけだ。
 以上のことから、スターリング少年というのは読者の興味を引きながら退屈させない話を見せ、大人びた振る舞いの中に子供らしさを出して私たちを微笑ませ、頑張る姿で惚れ込ませ、夢のような動物たちとのふれあいでちょっとした嫉妬まで起こさせる、そんな男の子だったのだ。このように人の心を変化させるのだから、彼は主人公に相応しい。無責任なことをするような子には到底見えないのだ。スターリングの活躍があって、Rascalはおもしろくなっている。

ラスカルとは
 次はこの小説のタイトルにもなっているラスカルについて見ていく。ラスカルというと、日本中の誰もがとりあえず「かわいい」と口をそろえて言うだろう大人気キャラクターだ。しかし、海外では“cute”よりも“curious”“humorous”という言葉でイメージされている。“rascal”と似た意味の“mischievous”も読者のコメントでよく見られる。“cute”“charming”も使われるが、ラスカルの外見に対してではなく、ラスカルの行動を表現するために使用している。原作を知っている人からすると、ラスカルの魅力はこの子の内面にあると考えられるようだ。
 スターリングがラスカルを見つけた時、ラスカルは乳離れもしていない赤ちゃんで、1ポンドにも満たないフワフワのボールのようだった。それでもトレードマークの縞々シッポと目の周りにある黒いマスクはしっかりついていた。スターリングとハウザーはこの小さなアライグマにすっかり心を奪われてしまう。ラスカルが成長するにつれて、その性格も現れてくる。とてもおもしろい子で「スピードと冒険と探検が大好き」(“loved speed and adventure and exploration”)(118)な、名前の通りやんちゃ坊主だった。野生動物らしく、好奇心のままに行動するラスカルは小さいながらも「ライオンのハート」(“Weighing . . . little creature had the heart of a lion.”)(36)を内に秘めていた。ポーとケンカしたり、熊皮の絨毯に挑んでみたり、カモの親子に負けて帰ってきたりと、ラスカルもラスカルでチャレンジャーなところがある。そんな勇敢さを見せる一方で、ラスカルは何ともかわいらしい寝方をしてくれる。シッポを枕にして丸まって眠ったり、木の上で腕も脚もだらりと垂らして日光浴をしたり。まるで小さな子供を見ているようで、こちらは楽しくなってしまう。Rascalはただの厄介者というそれまであったアライグマのイメージを、仲良くなればこんなにおもしろい友人になるという新しいイメージに塗り替えてくれた。
 そしてまさしくラスカルがアライグマだったからこそ、この物語が特別になったのだ。動物が登場する文学作品の中で圧倒的に多いのは犬の話だ。それから猫、馬、鳥、クジラ、家畜、ライオンなど、ファンタジーとなれば空想上の動物が山ほど出てくる。アライグマが主役級で取り扱われている作品は多くない。その上、人間のように歩いたり話したりするのではなく、動物として描かれているものに絞ればなおのこと少ない。Rascalほどアライグマの生態を活き活きと書いた作品は、シートンの“Way-Atcha, The Coon-Raccoon of Kilder Creek”くらいに限られる。文学の中でも珍しい北アメリカ原産のアライグマは、世界中の人々の興味を集めた。更に、他の動物では真似できないようなアライグマ特有の能力が、その魅力を引き立てる。スターリングが「ずっと先の未来に、アライグマは人間みたいに進化するんじゃないか」(“So in one hundred million years or so, couldn’t raccoons develop into something like human beings?”)(137)と思うほど、器用にいろんな物を掴む手が、さまざまなことを可能にするのだ。食べ物を洗う、ドアを開ける、自転車のカゴに乗る、ビンを両手両脚で持っていちごソーダを飲む、メリーゴーランドやポニーにも乗る。どれをとってもかわいい。この魔法の手でペタペタ触られると、スターリングもドニィブルックもいちころなのである。しかしそれだけなら猿でもできる。まだおもしろい生態があるのだ。音楽を聴いて楽しんでしまうし、水泳だってできる。スピード狂のラスカルは、生きた毛皮帽子になってまでスターリングの頭の上でスケートのスリルを味わってしまう。カヌーに乗れば船首像のようになり、車に乗ればウィラードとスターリングがゴーグルを着けるその間で自前の黒いゴーグルをして思い切り風を感じている。眠気に襲われていない限り、彼はどこだってついてこられるのだ。アライグマが優れた生き物だということを、Rascalの中でスターリングは私たちに教えている。
 では、ラスカルはどうしてお茶目にいろんな行動ができたのだろうか。その答えはスターリングとの絆にあった。この少年とアライグマには、互いに母親がいないという類似点がある。彼らにはわかりあえる想いがあって、支えあっていける、そんな絆があったのだ。共感からくる好きという感情がラスカルを更に特別にさせる。それに加え、ラスカルはスターリングを必要とすることでスターリングを想っているという意思を示している。言葉を発しないラスカルだが、行動で彼の心が少しでも理解できる。トウモロコシ欲しさに抜け出すことはあっても、ラスカルはスターリングの元から逃げようとしなかった。「ぼくのことを本当の親のように見ていたんだ」(“looking to me as his natural protector”)(62)とスターリングが感じるほど彼のことを頼っていた。アイリッシュピクニックのパイ食い競争ではスターリングをアシストした。その時のことを“my best friend came to my rescue”127)と綴っている。彼らの友情が光った瞬間であり、何とも微笑ましいシーンとなった。助けに来たことから、ラスカルもスターリングのことが好きなのだとわかる。アライグマとしての生き方も教えつつ、伸び伸びと育ててくれたスターリングのそばにいて、ラスカルは幸せだった。大好きで、信頼できるスターリングといたため、ラスカルは様々なかわいい仕草を見せてくれたのだ。
 ラスカルの愛らしさは態度や振る舞いからくるものとも、人は理解しておくべきだ。ラスカルがアライグマであるから、そのような行動ができたということ。更には、安心できるスターリングのおかげでラスカルらしさを発揮できたということも確認すべき点である。

ラスカルへの愛
 スターリングとラスカルについて理解したところで、今度はスターリングがラスカルに対してどう思っていたのかを見ていきたい。彼の行動から読み取れるラスカルへの愛とは何だったのだろうか。
 とにかくスターリングはラスカルと一緒にいようとした。遊びも、食事も、寝る時も、仕事も、風邪をひいた時も、ラスカルが檻に14日間閉じ込められた時も、いつも一緒にいた。檻を作り始める前夜、木の上で星を眺めながら、自分たちがいなくなったずっと後になっても一緒に遊んでいられるように、大熊座と小熊座になりたいとさえ思った。彼らの関係は運命共同体と呼べるものだった。「もしラスカルを閉じ込めなければならないのなら、ラスカルと一緒にぼくも閉じ込めなければならない」(“if they have to lock up Rascal, they’ll have to lock me up with him”)(141)このセリフがスターリングの想いを物語っていた。
 一緒にいたい理由は、もちろんラスカルが好きだからで、特別な存在だからだ。辛い時も支えあえる大事な親友と長く暮らしたいがために、スターリングはラスカルを守った。だからラスカルから自由を奪う首輪もリードも檻も承諾することにしたのだ。この訴えが出てきたのは8月のこと。ラスカルは一人前とはいえないが、食べ物を自力でとってこられるようになっていたはず。ならば、スカンクを森へ逃がしてやった時のように、ラスカルも放してやるという選択肢があったはずだ。しかしそうはしなかった。ラスカルと離れる気など全く無かったのだ。自分に懐いているペットとそう簡単に別れることなどできない。それから彼にはラスカルを育て上げなければならない責任があった。スターリングにとってラスカルは初めから守るべき対象だったのだ。「あいつ[ラスカル]をいじめようものなら、町のどんな男の子でも犬でも、ぼくら[スターリングとハウザー]が相手になってやっただろう」(“We[Sterling and Wowser] would have fought any boy or dog in town who sought to harm him[Rascal].”)(15)と物語の第一段落目で早々に言っている。赤ん坊のラスカルを捕まえた直後にはこうも言っていた。「ぼくはアライグマを飼える喜びで何も言えなかったのもあるが、今後ぼくらに課せられる大変な責任で怖気づいてもいたんだ」(“I was both overwhelmed with the ecstasy of ownership and frightened by the enormous responsibility we had assumed”)(23)本来ならアライグマ一家で連れて帰るはずだったのに叶わず、赤ん坊アライグマは母親から引き離されてしまった。母親のいない辛さを知っているスターリングが、小さなラスカルから母親を奪ってしまったようなものだ。不覚にも自身と同じ境遇にさせたことで使命感がうまれた。守り抜いて、大人にしてやるという断固たる決意だ。この守りたいという気持ちがラスカルへの愛の根源にあり、愛しているからこそ怒った時もあった。セオがラスカルを外に追い出せと言った時とトウモロコシの被害を訴えられた時、スターリングはラスカルが自由である権利を主張した。また、心無い大人がラスカルを見て良い毛皮になると言った時は、そんなことさせないと言った自分の怒った声に驚きもした。全てはラスカルを守るために。
 しかし、物語の最終章でスターリングの心境は大きく変わった。それまで一所懸命世話をしてきたのだが、成獣になり始めたラスカルにしてやれることの限界を感じだしたのだ。本能のまま町を歩き回るラスカルの命の安全を保障してやれなくなった。そう確信したスターリングはラスカルとの別れを決める。ラスカルの自由を尊重しており、このままペットにさせておくのは自分勝手で軽率だと思われた。スターリングが最後にしてやれることは、ラスカルを自然の世界に戻してやることだった。彼はラスカルを捨てたわけではない。ラスカルを本来いるべき場所に帰してやったのだ。注目すべきなのは、スターリングが最後の選択をラスカルに任せたところで、首輪を購入した時と同様にラスカルがどうするかを待ち、そして言葉でラスカルの背中を押してやった。“Do as you please, my little raccoon. It’s your life.”189)スターリングの想いを受け止め、一瞬躊躇ったラスカルが彼らの間に真の友情があることを証明した。

 読者にとって、こんな名コンビが少年とアライグマで、しかも実際にいたのかと思うと、感動もひとしおだ。結末がドライでありながらも、残る余韻に浸ってしまう。自然を愛したしっかり者のスターリングといたずらっ子のラスカルが見せてくれる友情で満ち溢れた日々を追ったために得られる余韻だ。この2つの愛すべきキャラクターと彼らの深い絆があって初めてこの思い出は語られるに相応しいストーリーとなれた。スターリングとラスカル、そして彼らの友情はこの小説の要であり、魅力の1つなのだ。

2. 1918年という時代
 スターリングがラスカルと過ごした1918年は、アメリカにとっても世界にとっても重要な年だった。第一次世界大戦(WWI)が終わり、スペイン風邪の流行があり、アメリカでの大量生産と大量消費が主流になり始めた時だ。スターリングは世界の陰を見ていた。そして一方で、多くの子供が経験する楽しい生活の中にいた。ここでは、Rascalが単なる動物物語ではないことを確認していく。それがこの小説の存在理由になるからだ。

その時を伝える
 多くの死者を出した世界規模の出来事、WWIとスペイン風邪。スターリングに大変な危機をもたらしてはいないが、これらは無関係ではなかった。
 物語の中でも重要事項となっているWWIは、スターリングの悩みの種でもあった。砂糖などの配給制や家の畑(“war garden”)のような日常の一コマからも戦時ということが読み取れる。町の様子も、戦争の影響が見られた。1914年、スターリングの母エリザベスが亡くなったその年にWWIが始まる。アメリカは中立の立場にあったが、1917年に参戦。兄ハーシェルは兵士としてフランスの戦場へ行ってしまった。物語はここから始まる。以下は物語で登場する戦争関連ページのリストである。
P23        水平線で光る雷を見て大砲を連想すると、戦争を思い起こしたスターリング
P24        オスカーが叱られることやアライグマの世話など、なんてちっぽけなことで悩んでいるのかと思う。自分たちの平和な土地と遠い国の戦場を比較
P35        町にあるタバコ交易銀行に貼られた地図で戦況を知る。また、雷の鳴る夜は、たとえラスカルと一緒に寝ていようと悪夢を見たと語る
P65        ウィラードも少しはハーシェルを心配している模様
P71        戦争ごっこの禁止
P72        町の好青年ロリー・アダムスの戦死と葬式。戦争が遊びではないと気付いた子供たちの協力的活動
P112      多くの男性が戦争に行っており、農業は人手不足だった。そのため、子供たちも手伝いに忙しく、学校は新学期開始を延期させた
P113      ハーシェルからの手紙が届く。それ以前、スターリングは戦争の本を読んで、どのシーンからもハーシェルを連想させてしまい、兄が傷つく姿を夢で何度も見ていた
P114      その夢の内容と無事であることくらいしかわからない手紙の内容
P156      スターリングの誕生日に休戦の知らせが来た
P160      町中が歓喜に沸く
P164      ハーシェルからの手紙。体験談と、占領軍の新たな仕事のために半年は帰ってこられないという知らせ
このように、スターリングにとってWWIは頭から離れない大きな事だった。アメリカ軍は終戦までに約400万人の兵士をヨーロッパへ送った。内、10万人以上が戦死。そんな中でハーシェルは生き残ってくれたのだが、スターリングに多大な心配をかけ、無事を祈ることしかできない歯痒く苦しい時間を長く過ごさせていた。雲行きが怪しくなると、考えたくもないのに戦争の様子が目に浮かび、スターリングは人が死んでいくことを考えてしまう。彼のように、安全な国で、自分の目の前にある問題の対応に追われる日々の中、辛い思いで待ち続けた人がどれほどいたことか。RascalWWIについての資料を事柄からも人の心からも集めた物なのだ。
 第7章で登場したスペイン風邪は、戦争と並び深刻な問題となっていた。スペイン風邪の起源がどこなのかは定かではないが、最初に大きな被害をもたらしたのは19183月のカンザスだった。この病気は他のインフルエンザと異なり、20代から40代の若い年齢層にまで死者を出すほど被害を広げていた。致死率は約20%。とても強力だった。流行の段階は3つに分けられる。第1段階はカンザスの軍事キャンプから移されたウイルスによるヨーロッパへの拡散。全く新しい病気であると初めて公表したのがスペインだったため、この病気はスペイン風邪と呼ばれるようになった。世界中で感染者が増えていき、最も死者を出した第2段階へ突入する。191810月の1ヶ月間だけで195,000人ものアメリカ人が命を落とした。ブレールスフォード・ジャンクションには10月末から流行が見え始めたと書かれている(“Spanish influenza . . . hit Brailsford Junction late in October”)(145)。他の地域同様、この町も学校を閉鎖し、外出する人々はマスクを着用していた。スターリングもこの頃に軽い風邪をひいた。世間の状況が深刻なだけに、ウィラードも念のため息子を弟夫婦の農場で療養させることにした。スターリングが風邪になったとき、いつもそうしているからと病院に行かなかったのだろうが、当時の病院に新しい患者を受け入れる余裕は無かったため、症状が軽ければその選択肢しかなかっただろう。医師も看護師も多くが戦争でのサポートに向かっており、アメリカから離れていた。そんなとき、追い打ちをかけるようにスペイン風邪の流行が始まった。病院は人手不足でボランティアまで募ったが、それでも間に合わないほどだった。それに続き、棺も墓も用意しきれないために、死体が増える一方だった。そんな状態で迎えた休戦協定の日、人々は1つの災難の終わりに喜び、スペイン風邪から目を背けようとした。スターリングも回復後、パンデミックについては語っていない。しかし第3段階がその喜びによって発生した。兵士たちが家族の元に帰る流れに乗って、更にウイルスの移動が激しくなったのだ。そこで生まれた波がようやく落ち着き、1919年春にスペイン風邪の大流行は終わったと言われている。WWIよりも死者を出したこの悲劇は、アメリカで675,000人の命を奪い、全世界で5000万から1億人を1年という短期間で殺していた。
 世界を巻き込んだWWIとスペイン風邪を、スターリングは無力に成り行きを見届けることしかできなかった。しかし、彼の体験したことは暗い過去でありながらも、忘れてはならないアメリカの歴史の一部だった。次の世代の子供たちに、この事実を伝え残す役割をRascalは担っているのだ。

発展の結果
 アメリカにおける文明や経済の発展の中で1918年がどのようなポイントにあったのか、スターリングはその点も観察していた。交通手段に自動車が入ってきたという変化に対しての両極の意見を明らかにし、行き場をなくした者たちの運命をいくつかの角度から見せている。
 広大なアメリカという土地について、私たちには大量生産や大量消費のイメージが強い。この傾向の出発点は、「分業」という考えが生まれた1770年代にまで遡る。これが大量生産の根底にあるのだ。数十年後に銃工場で分業制が見られたが、大きな転換期に当たるのは、それからずいぶん後の20世紀初頭、フォード社が製造したT型車の誕生だ。ここからアメリカは一気に車社会へと変化していった。それまで、車はお金持ちのおもちゃで、決まった運転手が必要なほど乗るのが難しかった。ヘンリー・フォードは便利な車を市民にとってもっと身近な存在にするために、シンプルで丈夫で購入しやすい車を造ろうと決めた。1908年に発売されたT型フォードは1825ドルだった。4年後にはそこから更に下げられ575ドルで売られていた。この手頃な価格のおかげで、1914年までにアメリカ自動車市場でフォード社のシェアが48%を占めていた。これらを可能にしたのは、ベルトコンベアや分業といった効率的な製造工程だった。大量に車を組み立て、またそれを買い取る人も増えていく。1918年、ウィスコンシンの田舎町にも、マイカーブームが来ていた。Rascalでは、姉のセオがスタッツベアキャットに乗って登場した。父ウィラードの愛車はオールズモビルで、その前はモデルTに乗っていた。アイリッシュピクニックでは、フォード、ホワイトスチーマー、パッカードが見られ、ドニィブルックとレースしたサーマンの車はモデルTだった。このような車の流行は、それまで活躍していた馬たちを道の外に追い出してしまうものだった。馬具屋のシャドウィクが乱暴に道を走り回る車をののしっていた。「人の仕事を奪いやがって」(“ruin a man’s business”)(109)時代に取り残されそうな1人の凄腕職人の悲しい姿が描かれている。彼は店の中で文句を言うしかなかった。人が馬よりも車を選ぶ理由はいくつも挙げられる。速く遠くまで走れて時間の節約ができる。運転が簡単で、世話も楽。餌代よりもガソリン代の方が安い。それに、1914年に始まった戦争が馬をヨーロッパへ連れて行ってしまった。その穴を埋めるように車が市民の生活に入ってきた。戦地での役目を終えても、アメリカに馬たちの活躍の場はもう残されていなかったのだ。
 文明によって衰退の運命を辿らされたのは馬だけではない。インディアンたちは追い詰められ、野生動物たちも窮地に立たされている。スターリングは彼らの悲しみも見ていた。ウィラードがインディアンの研究者でもあったため、スターリングはRascalの中で何度か彼らの想いを感じている。ブラックホークの洞窟で、スターリングは謝っているようだった。追い詰める側の人間になっていたと感じたからだ。ウィラードとバートがインディアンについて熱く語り合っている時には、部族のダンスや保護地区へ望みなく移動していく姿を思い浮かべていた。開拓時代、移民たちはインディアンたちを追い払った。また、凶暴な大型動物も倒していった。農業が盛んになれば、その他の動物たちも害獣として駆除し、毛皮や肉のために狩猟のターゲットにもした。時が経つとゲームとして楽しむだけに殺すようにもなっていた。その結果、ジャガーやオオカミは姿を消し、バルバドスアライグマは絶滅してしまった。鳥類学者カムリンが残した知識として、スターリングは父と叔父から2種類の鳥の話を聞かされる。ホイッパーウィルとリョコウバトだ。ホイッパーウィルはアメリカでよく知られた鳥で、姿を見るのは難しいが絶滅危惧種ではない。しかし、数は減ってきている。彼らの生息地は開けた低木層の森で、まさに手付かずのカムリン農場は打って付けなのだが、こうした場所が郊外や農地になってしまい、無くなってきているのだ。更に、地面に座って休むことがある彼らは車に撥ねられてしまうケースもある。スターリングを感動させた彼らの歌声は、このまま放っておけば消えてしまうのではないだろうか。絶滅させてはいけない。スターリングが思った「ホイッパーウィルの声を聞くには、ぼくが生まれてくるのは遅すぎたみたいだ」(“I had been born too late, it seemed, even to hear a whippoorwill.”)(55)という考えを、将来の子供たちに抱かせたくはない。リョコウバトのように手遅れにさせてはならないのだ。かつて殺しきれないほど飛んでいたリョコウバトだったが、ハンターたちによって18999月野生では獲り尽され、191491日動物園の中で最後の1羽が死んだ。フレッドは自作の剥製を前に、自慢げにスターリングに語っていた。彼は動物を殺すのが好きだった。スターリングとは真逆の考えの持ち主である。リリアンがスターリングを気遣って、夫に言葉をかけるが、その時の雰囲気は重苦しかった。
 大量に物事を変え、影響を与えるアメリカの脅威が記されている。発展が時に少数派を傷つける残酷さも、Rascalの中で隠すことなく語られていた。

子供の楽しみ
 読者にしてみると、過去から厳しい教訓を突きつけられているようだが、Rascalはそれだけではないから良い。今はもうなくなってしまったが、昔は家から遠くないところで馬が飼われていたなと、自分の経験を振り返り、大人の読者は懐かしむことができる。スターリングの生活が暖かい思い出を呼び起こしてくれるのだ。
 学校から帰った後、友達と外に遊びに行くなど、小学生なら当たり前で誰もが夢中で楽しんでいた。公園に行くと色んなごっこ遊びをし、勝ったり負けたり、泣いたり笑ったりして忙しかった。スラミーのような強がりな問題児が1学年に1人はいて、その子が先生に怒られているのを遠くから見ていたりした。そんなこともあったと、Rascalを読みながらクスクスと思い出し笑いをしてしまう。ペットとの生活もかなりの人が経験することだ。餌をあげてはもっともっととせがまれて困ったり、いつの間にかこっそり目の届かないところに行かれてしまっていたり。言葉が通じているのかわからない彼らに、誰にも打ち明けられない悩みや秘密を聞いてもらい、妙に強い信頼を寄せてみたり。家族の中で誰よりも早く別れの時が来たり。スターリングと私たちの思い出は重なる部分が多い。家族旅行では非日常を体験し、ワクワクする。お祭りや遊園地では、やけにお金の使い方を熱心に考えた。クリスマスには家族が集まって、おいしいご馳走を食べ、プレゼントを開けては兄弟で中身についての口論をしたり。キラキラした記憶がよみがえってくる。そしてスターリングのように、自分も両親からたくさんのことを教えてもらっていたことに気づかされる。身近にいる鳥や花の話、昔の話などを聞かせてもらっていた。頭の隅に残っていたものが、Rascalをきっかけに心地よく中心に戻ってくるような感覚を味わえる。日本で放映されたアニメ『あらいぐまラスカル』の遠藤政治監督は制作にあたり、「そうだ、自分を描けばいいんだ」と思ったそうだ(「制作スタッフ」 13)。他のスタッフも、ブレールスフォード・ジャンクションのモデルとなっているエジャトンのロケに行ったときに自身の故郷を思い出し、『あらいぐまラスカル』の世界を無理なく描き出すことができた。スターリングの生活は一見特別なもののように見えるが、実は読者11人の中にもある普通の生活でもあったのだ。その生活は、大人たちが知る古き良き時代のことだった。

 1918年という過去を舞台にしたことで、Rascalはアメリカの歴史や文化を知れるテキストとなり、大人たちが読めばノスタルジーを感じさせる作品になっている。物語作品に留まらないところが2つ目の魅力だ。

3. 著者の表現力
 1冊の本が名作になるには、優れた書き手が必要となる。著者としてのスターリング・ノースは表現力に長けていた。それはRascalを読めばわかることだ。色鮮やかな風景、ラスカルの一挙一動、スターリング少年の感情が読者の頭の中で鮮明に思い描かれる。身構えずとも、アルバムを開くように心地よいペースでページをめくることができるのは、スターリングが見たままを書いてくれているからだ。何故スターリングにここまでの技量が備わっていたのかを知るには、彼の家族とキャリアを知らなければならい。Rascal3つ目の魅力、作家スターリング・ノースの表現力を最後に注目していく。

家系
 スターリングの文学の基礎にある彼のセンスは、先祖たちから受け継いだものだった。そしてスターリングが直接受けた刺激も、彼に影響を与えている。
 スターリングの曾祖父トーマス・ノースは大変な読書家で、1847年にイギリスからアメリカへ移住してきた際に、大量の本を持ってきていた。また、母方の叔父にあたるジャスタス・ヘンリー・ネルソンはスターリングに本作りを見せた。ジャスタスの名はRascalの中でも登場する。ラスカルが寝転んでいるジャガーの絨毯について説明されているページ(“he was lying on a large jaguar-skin rug which Uncle Justus had sent us from Para, Brazil”)(48)で出てくるのだ。彼はアマゾンで初めてプロテスタントの教会を建てた功績を持つ人物で、1917年ジャスタスの父ジェームズの100年目のバースデーにて、兄弟たちと共に両親についてと開拓時代の農家の生活を書いた伝記を制作した。本が好きであること、本を自ら書くことは、スターリング・ノースの家系に脈々と引き継がれている。しかしそれらは本能的な部分の話であり、知識という別の物もまた彼らは子孫に伝え残している。曾祖父トーマスと祖父トーマス・ジュニアは父ウィラードに開拓時代の話を聞かせ、ウィラードはそれを息子のスターリングに教えていた。もちろんスターリングはウィラードの子供時代のことも知っている。記憶力にも恵まれたスターリングは、時代を超えた知識を吸収していたのだ。
 家系とは離れるが、カムリンも重要人物だ。父の語る、動植物の見分け方や名称を教えてくれたこの旧友との思い出は、スターリングの心を捉えた。スターリングにとってカムリンは憧れの存在だった。カムリンを尊敬していることは明らかで、Rascalでカムリンとは何者かを詳しく書き、The Wolflingではカムリンをそのまま登場人物にしている。彼の知識はウィラードを通してスターリングに渡された。Rascalで使われている動物の名前は100種以上、植物は60種以上にもなる。それらは時に比喩として使われ、鳥は鳴き声までも書き出されている。自然に関する知識は、読者にその姿と音をはっきりと伝えてくれる。
 両親から受けた教育もスターリングに影響している。母エリザベスは大学を首席で卒業するほど秀才な人だった。彼女の専門は生物学、言語学、歴史である。これら3つはスターリングの書いた本のジャンルと一致する。スターリングは優しく物事を教えてくれる母との時間をいつまでも大切にしていた。父ウィラードも大学を出ている。彼は薬学と考古学に詳しい。両親が共によい教育を受けていたため、文学好きになるように育てようと、エリザベスとウィラードは子供たちに読書や詩の創作をさせたていた。それでノース家の4兄弟は、詩の暗唱や自作の詩を家族の前で披露し、ちょっとした競争をするようになった。年の離れた姉たちの作る詩は児童文学の雑誌に掲載され、受賞もしていた。それを見て、スターリングも負けずにより良い詩を作ろうと励み続けた。1914年、8歳になったスターリングが書いた“A Song of Summer”という詩が、初めて雑誌に掲載された。とても美しい詩で、夏の陽気から終わる物悲しさまでを漂わせている。その年の春、エリザベスは肺炎で亡くなっていた。大切な人を失った後にやってきた季節を詩っているのだ。そしてここからスターリングは文学の才能を開花させていく。
 スターリングの家系は本を愛する人たちが多く、作家として成功した者が、姉ジェシカ、スターリング、娘アリエル、と3人もいる。この一家は、物語を紡ぐ力を生まれた時から秘めている人々の集まりだと言える。

仕事
 受け継がれたものを才能と呼ぶのなら、才能は初めから持っているものだ。そして技術は後から身につけるもの。スターリングは、仕事を通して段階的に自分なりの書き方を確立していった。
 幼い頃から文学に親しんでいるスターリングだが、初めから作家志望だったわけではない。体を動かすことが好きだった彼は、中学でアメフトをやっていた。将来はスポーツ選手になってやろうとまで思っていた。しかし、15歳の時にポリオにかかってしまう。この病によってスターリングは歩けなくなり、スポーツへの夢は諦めざるを得なかった。それでも普通に歩けるようになろうと、無理やり湖を泳いで回復させてやろうと試みたりした。
 そんな負けず嫌いのスターリングが新しい道を切り開けたきっかけは、高校の国語教師マーガレット・スタッフォードとの出会いだった。ウォーレン先生と並び、スタッフォード先生の名前もRascalの中で書かれている(“Miss Stafford made English a delight. And Miss Whalen loved biology as my mother had loved it.”)(134)。素晴らしい先生として紹介されているのだ。彼女は生徒たちに「自分たちの周囲の生き物をよく観察して、明瞭に、そして簡潔に書くように」(ちば 『あいたい』 73)と指導していた。スタッフォード先生のおかげで、スターリングは書くことの楽しさを学ぶことができた。
 大学進学後シカゴに移ったスターリングは、学費を自分で稼ごうといくつかの仕事をした。足が不自由なため、主に事務作業をしていたが、詩や短編を売って稼いでもいた。学内で雑誌の編集やミュージカルの台本を書くなどの活動もしており、物を書く経験を積んでいった。19292月に初めて書いた本The Pedro Gorinoが出版される。
 本の成功で自信のついたスターリングは大学を中退し、同年6月、シカゴ・デイリー・ニュースの新聞記者になった。頼まれたらどんな記事でも書く、努力と才能を持ち合わせたこの若い記者は早々に出世していき、1932年、デイリー・ニュース社の文芸セクション編集長に任命される。新しい作家の発掘や本の書評を書くことが仕事の内容だった。そして2年後の1934年、Plowing on Sundayを出版した。Rascalと同じく、舞台はブレールスフォード・ジャンクション。本自体は売れたが、リアリティを求めすぎ、キャラクターが町の誰を書いたものなのかがはっきりわかってしまうため、エジャトンでの評判は悪かった。
 都会の暮らしに息苦しくなったスターリングはPlowing on Sundayの売上金を使って、ミシガン州にある農場を買い、「アルファルファとオメガ」と名付けた。1940年、もっと大きな農場で動物を飼いたいということで、「アルファルファとオメガ」を売り、イリノイ州で別の農場を買った。それから3年後にニューヨーク・ポスト誌から文芸部編集長のオファーが来たため、ニュージャージー州モリスタウンへ妻と2人の子供を連れて引っ越した。そこでも家畜を飼っていたが、第二次世界大戦が始まり、農場の仕事を手伝ってくれる人手が無かった。家族総出で動物の世話をし、仕事もこなしていたスターリングは多忙な日々を送っていた。
 1957年、子供たちが大学を卒業した後、スターリングは雑誌の仕事を辞め、ノース・スターブックスを立ち上げる。そして伝記シリーズを次々に出版していった。スターリングは「アメリカの歴史を語るにはどういう方法が優れているか」を友人と話していたという。それで、「だれかの人生のストーリーを通して語るのがベストだ」(ちば 『湖で』 102)という結論に至った。これこそ、スターリング・ノースの本の書き方だ。伝記を書くためには膨大な資料が必要となる。事実を読者に伝えなければならないからだ。新聞記者としてのキャリアがここで活かされる。スターリングは現地取材を徹底してやり、リンカーン、ジョージ・ワシントン、エジソン、ソロー、マーク・トウェイン等の伝記を書いた。
 仕事が落ち着くと、家の近くにいる野生動物の存在に気付くようになった。外から聞こえてくる「クルルルルル」というアライグマの声が、スターリングの古い友人ラスカルを思い出させる。しばらくして、1962年、99歳でウィラードが息を引き取った。これらの出来事が、スターリングに大事な思い出を1冊の本に書き起こす衝動を与えた。1963年、Rascalが出版されると、たちまち大人気となった。執筆中、スターリングはRascalの物語を子供たちへのメッセージとして考えていたが、喜んで読んだのは大人たちの方だった。Plowing on Sundayを酷評していたエジャトンの人々が、すっかりRascalのファンになっていたのだ。懐かしい日々がそこに書き残されており、彼らは感動した。ジェシカは家族のことが書かれていることを良く思っていなかったが、スターリングの活躍には満足していた。新聞記者や伝記作家の作業が組み込まれ、スターリング・ノースの中で最高傑作となったRascalは、彼の表現力の結晶だ。スターリングの見ていた時代を実際に経験している人からすると、使っていた物や起きた事件の名前を見てすぐにそれを思い出すことができる。彼らの生活を知らない人が読んでも、その事細かに書かれた情報によって理解することができる。数値がその一例だ。カヌーの大きさ、野菜の収穫量、釣った魚の重さ、ラスカルの増えていく体重。充実した説明により、私たちはスターリングが過ごした1918年を余すところなく知れるのだ。
 Rascal18か国語に翻訳され、世界中の人々に読まれていった。ファンレターがあちこちから届き、ラスカルやアライグマについての質問が多く寄せられ、それらに答えるべくスターリングはRaccoons Are the Brightest Peopleを出版した。この本でスターリングは、いくつかのケースを用いて、人と動物の共存の仕方を示している。作家というよりも、記者としての一面が見られる1冊だ。
 その後、スターリングの体調が崩れる。心臓発作や脳卒中で執筆活動が思うように進まなくなる。そんな中、渾身の力を振り絞って書き上げたThe Wolflingが最後の作品となった。ウィラードとカムリンの思い出と、アライグマと同じくらい好きな動物オオカミを題材にした、彼の中で絶対に書かなければならない大切な物語だ。世間からの評価は良かった。スターリング・ノースは立派なベストセラー作家となっていた。そして1973年、クレストウッド養護院でアライグマたちの元気な姿を見ながら治療するも、197412月スターリングは68歳でこの世を去った。
 彼が亡くなってもRascalは愛され続けた。スターリングの故郷エジャトンでは、地元の人たちがかつてのノースの家を博物館にして、1997年から公開している。スターリングや彼の家族の紹介をし、Rascalの世界を再現しているのだ。スターリング・ノースは紛れもなくエジャトンの誇りだ。そして世界中から多大な支持を得ている。これは彼が及ぼした影響と結果である。

 スターリング・ノースは、想像力をはたらかせるのは読者の役目であり、適格にイメージを伝えるのが著者の役目であるとするタイプの作家だった。彼が本を書く目的はRascalでエリザベスとリリアンの口を借りて明らかにされている。「この時を永遠に残していける」(“You could keep it just like this forever.”)(180)スターリングは、父が自分に知識を先祖から受け渡してくれたように、自らも蓄えた知識も上乗せして本という形で言葉に残し、知識を読者へ届けた。それは忘れられることのない方法だった。読書が好きなスターリングは、本からたくさんの言葉を知った。両親から自然に関することや名前を教えてもらった。記憶力の良いスターリングはそれらを覚え、生まれ持った才能を活かして、詩を作りながら言葉を選ぶ力を身につけた。そして記者となり、物事を観察し、情報を集め、わかりやすく文章にまとめる数々の経験を積んだ。伝記を書く仕事では歴史を伝え、RascalThe Wolfling2作で自分の中だけでは留めておけない、消し去られたくない出来事を伝えた。詳細に物語を書くことで、スターリングは人々に知ってもらいたいことを見せている。Rascalが他の作品と一味違うのはこのためだ。

終わりに
 読む人の心を捉えるユーモアたっぷりのキャラクターたちが展開していくストーリー、動物だけでなく人間模様や時代背景をも美しく再現したRascalは、スターリング・ノースが残した傑作だ。Rascal出版から50年経った今、地元アメリカでは3世代に渡りこの物語を愛読しているらしい。初版で楽しんだ方が自分の子供に読んで聞かせる。学校でも授業で使われることがあるようで、そういったところでこの話を学ぶ人たちもいる。Rascalを気に入った読者たちは子供にこの小説をプレゼントしたいと考える人が多い。たとえ単語が難しくて小学校に上がる前の子には読みにくくとも、スターリングとラスカルのお話は子供たちを喜ばせている。スターリングの残しておきたかった古き良き時代の思い出は見事に多くの人の心に伝えられている。『あらいぐまラスカル』もスターリングの願いに一役買っていた。ラスカルのかわいさばかりに目を奪われて、そのことを忘れがちだが、アニメの存在意義はRascalの素晴らしさを伝えることだ。そのため、このアニメはロケを行い、ドラマの脚本を書いている作家を用意するというような特例の作り方がされている。原作と時代設定にずれがあり、良さを伝えきれていないところもある。なので、アニメを見ただけでスターリングの物語を悪く言ってもらいたくはない。アニメの評判を見ると、残念ながら「とても悪い」と思っている割合が少なくない。是非ともRascalを読んでから考えを改めてもらいたい。そして、Rascalをよく知らずにラスカルを好きだと言っている人たちも、まずは原作を読んでほしい。それから日本でのアライグマ野生化問題の責任をあちこちになすり付ければいい。ただRascalはそのことに関し無実であると私は言いたい。紛れもなくRascalはアメリカ文学また動物物語の代表作なのだから、この作品を誤解している人が悪いのだ。とにかくRascalをちゃんと知ってもらいたい。


引用文献一覧
North, Sterling. Rascal. Illustrated by Schoenherr. New York. Puffin Books. 2004.
---The Pedro Gorino: The Adventures of a Negro Sea-Captain in Africa (autobiography of H. Dean). Houghton. 1929. published in      England as Umbala, Harrap. 1929.
---Plowing on Sunday. Reilly & Lee. 1934.
---Raccoons Are the Brightest People. Dutton. 1966. Published in England as The Raccoons of My Life. Hodder & Stoughton. 1967.
---The Wolfling: A Documentary Novel of the Eighteen-Seventies. illustrated by Schoenherr. Dutton. 1969.
Seton, Ernest T. “Way-Atcha, The Coon-Raccoon of Kilder Creek.” Wild Animal Ways. North Carolina. Yesterday’s Classics. 2010.

「制作スタッフに聞くラスカルが生まれるまで」『MOE33.420113月):13
ちばかおり『ラスカルにあいたい』(求龍堂、2007):73
ちばかおり『「ラスカル」の湖で~スターリング・ノース~』名作を生んだ作家の伝記10(文溪堂、2010):102

Rascal:ストーリー要約

 19185月のある日、スターリング・ノース少年はフワフワした友達と出会った。ウェントワースの森へ、犬のハウザー、友人のオスカーと釣りに行ったのだが、その道中、ハウザーがアライグマの巣を見つける。家でひとりで過ごすことの多かったスターリングはどうしてもアライグマを連れ帰って飼いたいと心に決めてしまった。呆れながらも付き合ってくれるオスカーと共に、威嚇してくる母アライグマを捕まえようと奮闘するも、結局2人が手に入れたのは乳離れもしていない赤ん坊のアライグマ1匹だけだった。しかし、この出会いは後のスターリングにかけがえのない大切な思い出を与えてくれる。
 小さな温もりをその手に感じながら、スターリングはこのような心境にあった。「ぼくはアライグマを飼える喜びで何も言えなかったのもあるが、今後ぼくらに課せられる大変な責任で怖気づいてもいたんだ」スターリングは以前から家でたくさんのペットを飼っていた。スカンク、ウッドチャック、カラス、何匹ものネコ、そしてセントバーナード犬。ここに1匹のアライグマが加わるからといって、動物の世話をすることの大変さが大きく変わるわけでもない。彼の責任の念はそこではなく、別のところに向いていたのだろう。本来ならアライグマ一家で連れて帰るはずだったのに叶わず、赤ん坊アライグマは母親から引き離されてしまった。母親のいない辛さを知っているスターリングが、小さなアライグマから母親を奪ってしまったようなものだ。不覚にも自身と同じ境遇にさせたことで、自分が絶対に育て上げなければならないのだと思ったに違いない。それからスターリングはアライグマの育て方を知らなかった。どうしたらいいのかわからず、不安だった。これが心から喜べずにいた理由だ。しかしその不安も、オスカーの母親からミルクの飲ませ方を教わることで、ぼくにもできる、ぼくがやらなければという自信と希望に変わっていった。
 だがその前に、注目すべき感情があった。それは、オスカーと2人でアライグマをどう育てるか話し合っていた時のこと。頑固で厳しい父親が飼うことを許さないだろうと言って、オスカーはスターリングに世話を任せた。オスカーの父はその数週間前に、家の鶏小屋を襲っていたアライグマを撃ち殺していたのだ。農業が盛んに行われているスターリングの町ブレールスフォード・ジャンクションでは、その被害からアライグマのことをよく思っていない大人たちがいた。この悲しい現実を思い出し、スターリングとオスカーはウェントワースの森からの帰り道、少し黙り込んで考えていた。「アライグマとぼくらの年頃の男の子たちにとって不公平な世界だ」この思いは物語が終わるまで何度も出てくる。スターリングはこの不満と闘いながら成長していったのだ。

 6月になり、夏休みが始まった。ラスカルと名付けられた赤ちゃんアライグマは順調に育っていく。その一方で、別のペットたちが問題を起こした。まずはカラスのポー。ノース家の隣に建つメソジスト教会の鐘楼に住みついており、厳粛な催しの最中に喧しく鳴くポーを、大人たちはショットガンを使ってでも教会から追い払いたいと考えていた。次にスカンクの事件が起きた。それまでずっと大人しかったペットのスカンクたちが野良犬にでも吠えられたのか、急に悪臭をぶちまけたのだ。不運にも窓を開けていた教会内の人々をその臭いが襲った。翌朝、教会の代表役員がノース家に押し掛けた。責められたスターリングはスカンクたちを森へ帰す約束をし、その決断に喜んだ役員はポーのことを先送りにしてくれた。ペットを逃がすという点で、これが最初の判断だった。
 6月中旬のある午後、ずっとレッドオークの中で過ごしていたラスカルがついに穴から顔を出し、スターリングとハウザーが見守る中、探検を始めた。ラスカルは小魚でいっぱいの生簀に行くと、誰から教わったわけでもないのに魚を捕まえ、洗った。スターリングはラスカルの行動にとても驚き、魅了されて観察を続けた。ラスカルが賢いことに気付いたスターリングは、ラスカルを子供用の椅子に座らせて、自分たちと一緒に食卓で食事ができないかと考えた。試してみると、ラスカルはその辺の子供よりずっと行儀よく食べることができた。しかし、角砂糖を渡されたラスカルに大事件が起きる。初めて角砂糖を手にしたラスカルは、ボールに入った牛乳でいつものように手にした物を洗った。すると砂糖は消えて無くなり、「誰がぼくの角砂糖盗んだの?」と言いたげな顔をスターリングに向けた。スターリングは大笑いし、もう一つラスカルに与えると、今度は洗わずにすぐ食べた。失敗しても、一度覚えたことを忘れないラスカルにスターリングは感心していた。扉の開け方、スターリングのベッドの場所、ザリガニの捕まえ方、いちごソーダの味がこの短い期間でその小さな頭の中にインプットされていった。
 当時11歳のスターリングには、2年かけてカヌーを作り上げるという計画があった。作業場はノース家の居間で、既に1年もそこに18フィートある骨組みが横たわっていた。作業を進めていたある日、姉のセオドラがミネソタからメイドを連れて帰ってきた。再会に喜ぶも、亡き母親の代わりと言わんばかりに行儀や身だしなみに厳しいセオが居間のカヌーを見て怒ったため、スターリングの機嫌は悪くなった。よく留守にしていた父とだが、スターリングは男2人で気楽に暮らしてきたのに、姉にカヌーを部屋から出せだの住み込みの家政婦を雇うだの言われ、つい、「姉さんは母さんじゃないだろ」と言ってしまった。これに対し、セオは一度に押し付けすぎたかしらと後悔する。
 もう一つ、スターリングはセオの意見に対立することがあった。ジャガーの絨毯の上から起き上がったラスカルを見たセオは、腰を抜かすほど驚き、慌てて弟にアライグマを外へ出すように言う。いつでもラスカルが戻ってこられることを知っていたスターリングは、姉の指示に従った。セオはスターリングが使っている寝室を自分が使うと言い出した。そこはバスルームが隣にあって便利な部屋だった。それにもスターリングは従ったが、そこはラスカルもお気に入りの場所で、彼に入るなと説得するのは不可能だった。そして夜になり、セオの叫び声で起こされたスターリングと父ウィラードが見たのは、ちょこんと座るラスカルと椅子の上で怯えきっているセオだった。ヒステリックになっているセオの命令を仕方なく受け入れるスターリングだったが、こう言った。「でも姉さんはラスカルのベッドで寝ているんだ。ラスカルにだって、姉さんと同じように好きにしていい権利があるんだからね」スターリングは、人と動物が等しく自由であることを望んだ。そして、特に大事にしていたラスカルには強くそう思っていたのだろう。
 何かと弟に言いつけるセオだったが、スターリングに頭が上がらなくなる出来事が起きてしまう。大切な婚約指輪を無くしてしまったのだ。光り物が好きなラスカルが部屋から持ち出してしまい、これまた光り物好きなポーがそれを奪って巣に持ち帰ってしまったのだと、2匹の喧嘩をしていた音からスターリングは推理した。ポーに喧しく悪態をつかれながら鐘楼から盗品を取り戻すと、スターリングはセオから感謝され、カヌーの件を許してもらい、家政婦の件も延期してもらった。そしてもうこりごりだといった感じに姉はミネソタへ帰って行った。

 ラスカルの好みに興味をもったスターリングは、音楽を聴かせてみることにした。ラスカルのお気に入りはどうも、“There’s a Long, Long Trail A-winding”という曲らしかった。このバラードの中で歌われているナイチンゲールについて、ふと思ったスターリングは父に、アメリカにこの鳥がいるのかきいた。するとウィラードはウィッポーウィルならいるぞと答える。知らない鳥の名を聞いたスターリングは、絶滅して鳴き声を聞くには遅すぎたのではと、残念そうな顔をした。それを見たウィラードは息子の考えをすっかり理解したように、ウィッポーウィルを探しに行くぞと言い出す。
 車に乗り込んだウィラード、スターリング、ラスカルは、コシュコノング湖へ向かった。車を止め、湖の崖へ走って行った3人は、生まれた地でそれぞれの少年時代に思いを馳せた。そんなとき、ラスカルが急な崖を降りてしまっているのに気付いた。落ちてしまうと思い、スターリングは慌ててラスカルを追いかけた。ラスカルが捕まったのは洞窟の中だった。その洞窟には、かつて白人たちに追い込まれたインディアンの長ブラックホークの怨念が潜んでいるという噂がある。スターリングは、追われているラスカルとインディアンが重なってイメージされたのか、ラスカルを責めずにただ抱きしめた。方やラスカルは執拗に追いかけたことを許してくれているようだった。
 父と合流すると、ウィッポーウィルが活発になる夕暮れまでまだ時間があるというので、湖で遊ぶことにした。泳いでいると、生後3か月のラスカルは犬かきに疲れて、スターリングの上に乗って休憩しようとする。まるでスターリングが本当の親だとでもいうように頼ってくるのだ。
 その後昼食をとり、父が経営する農場の様子を見に行った。それが終わると、父の旧友カムリンの敷地内を通って、ウィッポーウィルを見るポイントへ向かう。夜の音に耳を澄ませていると、その時が来た。1羽のウィッポーウィルが鳴き始めた。スターリングは不思議な感覚に襲われた。その声が幸せと果てしない悲しみを歌っているようだったからだ。鳥の数は増え、ラスカルもその高まりにうっとりしていた。そして始まりと同じく突然コンサートは終わった。3人は夢から覚めたような気分になった。月の下を歩きながらスターリングは、昔と変わらぬ自然がここにあり、ここにしか残っていないのだと考えさせられていた。

 ブレールスフォード・ジャンクションにもその夏、遠いヨーロッパの地で行われている戦争の影響が少しずつ見られてきた。この町出身の1人の青年が戦死した。この知らせはスターリングの不安を煽る。彼の兄ハーシェルもその戦争で戦っていたからだ。「ハーシェルの星が金色に変わらないよう、ぼくは静かに祈った。だってぼくらにはそれを縫ってくれる母さんがいないんだもの」子供たちは戦争ごっこを禁止されたが、代わりに戦場で役立つ物資を収集し始めた。スターリングは自分の畑に精を出す。その日、スターリングは、それが大問題を起こす引き金になるとも知らず、ラスカルに畑のトウモロコシを与えてみた。するとラスカルは、甘いトウモロコシの味に狂ったように夢中になってしまった。この日を境に、ラスカルは夜な夜なスターリングのベッドから抜け出して、近所の家の畑に侵入し、トウモロコシを食い荒らすようになった。犯人がラスカルだとわかった被害者たちはノース家に集まり、ラスカルを処分するよう訴えてきた。ウィラードは、ラスカルに首輪とリードを着けることと檻に入れておくことを約束した。当然スターリングは大人たちの理不尽な決定に怒りを覚え、ラスカルを連れて森へ逃げたいと言い出した。それを聞いて少し悩んだウィラードは、「じゃあ、ラスカルと一緒に、スペリオル湖へ2週間の旅行にでも行くか」と驚きの提案をした。スターリングはラスカルを抱えて踊るほど喜び、“reprieve(刑執行の延期)の小旅行へ出発する。
 慣れないハンモックで夜を明かしたり、湖の岸でメノウを拾ったりしながら2日かけて北上し、目的のキャンプ地に到着した。大自然の中で心地よさを感じたスターリングは、この森で一生暮らしたいと思った。そうなればラスカルを檻に入れなくても済むからだ。この2週間、スターリングは自由を感じながらも、その自由が永遠には続かないともわかっていた。いつもと変わらず無邪気なラスカルを見る度に、彼はそのことを思い出されていたのだ。
 ブルーレー川での滞在中、いろんな出会いがあった。ヤマアラシ、オジロジカの親子、クマの親子、大きなマス、そしてスターリングの理想の生活を見せてくれたバート・ブルース。彼はスターリングが夢に描いたような森のログハウスに住み、たくさんのフライ用のルアーを使って釣りを楽しんでいた。そして、物欲しそうにしているスターリングにブルースは、働いて稼がなければ、この暮らしは手に入らないよと教える。スターリングは、「一生かけて働いて、こんな家に住むよ」と答えた。後にこの宣言を実現させるのだが、それはまた別のお話。
 2週間はあっという間に過ぎてしまったが、ブレールスフォード・ジャンクションへ帰りながらスターリングは、充実した生活に心がリフレッシュされたのを感じていた。

 9月、夏が終わり、甘いトウモロコシの時期は過ぎたのだが、ラスカルが新しい秋の味覚に目覚めてしまう前に、スターリングは大人たちとの約束を実行に移そうと決意した。いつまでもわがままを言うほど、彼は子供ではなかった。25セント硬貨4枚持ち、ラスカルを自転車の籠に乗せて、シャドウィクの皮革店へ行った。ペダルをこぐ足は遅かった。
 車が町を走るようになり、馬具の売れ行きが悪くなったため、シャドウィクは車を運転する人々を嫌っていた。そしてスターリングの話を聞き、馬を脅した次は男の子とアライグマを苦しめるつもりか、と言って同情してくれた。素晴らしい手際の良さで、シャドウィクはラスカルに首輪とリードを作った。スターリングは嫌がられるだろうと不安に思っていたのだが、案外ラスカルはそれらを気に入った様子だった。シャドウィクの優しさとラスカルが喜んでくれたことが嬉しくて、帰りのペダルは軽く感じられた。
 全く気の進まない檻の件も手を付け始めた。子供相手でも有り金全部持っていくケチな材木屋ジェンキンスのところで材料を買った。ラスカルを早く檻に閉じ込めたい大人の1人だったため、翌日木材を家に届けるサービスをしてくれた。材料が来るまで、スターリングとラスカルは本当に最後の自由を満喫した。スターリングは星空を見上げながら、母が教えてくれた星座に思いを馳せる。「もし大熊座がぼくの星座、小熊座がラスカルのだったら、ぼくらがいなくなったずっと後でも、ぼくらはまだこの夜空で一緒に遊んでいられるのに」悲しくもあり、幸せな気分になった。
 ラスカルが楽しめるような檻をスターリングは設計し、のらりくらり作業をした。近所の人たちはまだ閉じ込めないのかと急かすが、スターリングは明日やりますと言うばかり。
 数日かけて檻を完成させてしまったら、アイリッシュピクニックの日が来た。スターリングはなけなしの銀貨をポケットに入れ、ラスカルとその町一番のお祭りに出かけて行った。品評会に出された野菜や家畜を見物したり、メリーゴーランドに乗ったり、パイ食い競争に参加したりした。ビッグイベントは何と言っても、サーマンが運転する車とコンウェイの馬ドニィブルックのレースだ。2人は仲が悪く、互いの乗り物を嫌っていた。サーマンはラスカルのことも嫌っていたため、スターリングはコンウェイとドニィブルックを応援し、彼らの勝利に喜んだ。
 誰もいない家に帰ってきたスターリングはついに、心を鬼にして檻の扉に鍵をかけることにした。そこまで自分の気持ちを抑え込まなければならないほど、これは罪深い行為だった。初めラスカルは理解できず、優しく開けてくれと頼んできたが、さっと状況が呑み込めてしまったのか、閉ざされた空間を必死で動き回った。スターリングは耐え切れず、逃げるように家の中に入ったが、ラスカルの叫び声が聞こえ、堪らずラスカルを檻から出してしまう。

 新学期が1か月遅れでやってきた10月、スターリングはラスカルをハウザーに見張らせた檻に入れ、学校に通い始めた。と同時にカヌーの材料を買うために、雑誌サタデーイブニングポストを売りまわるアルバイトも始めた。連れて行くラスカルが良い余興となって、別の雑誌まで買ってくれる人もいた。
 生物学の授業は特別に楽しかった。何故なら、ウォーレン先生がとても魅力的な人だったからだ。毎回授業ごとに当番でペットを教室に連れてくるようにと、おもしろい提案をした。もちろんスターリングはラスカルを連れてくることにした。授業当日、ラスカルは教卓の上に行儀よく座っていた。ウォーレン先生は、アライグマの名前の由来を教えてくれたり、エサの食べ方をラスカルに実演させたりした。生徒たちはすっかりラスカルのことを好きになって、授業後ラスカルを撫でようと列を作ったほど。しかし、その中でスラミーといういじめっ子はこの浮かれた雰囲気が気に入らず、ラスカルの顔に向かって輪ゴムを弾いた。怒り狂ったラスカルに丸々太った手を噛みつかれ、スラミーは悲鳴を上げた。一部始終を見ていたウォーレン先生はスターリングを早退させ、狂犬病の兆候が出るかもしれないからと、ラスカルを檻に2週間閉じ込めておくようにと言った。ラスカルは悪くないのに、また理不尽さによってラスカルから自由を奪うことになってしまった。
 14日後、無事にラスカルは解放され、スラミーの傷はその間に治っていた。久しぶりにラスカルと散歩に出たスターリングは毎年楽しみにしている木の実のなり具合と、小遣い稼ぎに狩るマスクラットの数を確認しに行った。すると、お気に入りのクルミの木がライフル銃の材料にされるために切られていた。スターリングは余りのショックで、その切り株に石で「この木を切ったヤツ、くたばれ」と書きなぐった。一方マスクラットの数は上々で、大漁が見込めると、嬉しそうに帰って行った。

 スペイン風邪の流行がブレールスフォード・ジャンクションにも襲ってきた11月、スターリングも軽い風邪をひいた。ウィラードは息子を弟の農場でしばらく預かってもらうことにした。スターリングはラスカルと共に、ブラックジョークを言うフレッド叔父、優しくとてもよく面倒を見てくれるリリアン叔母、3人のよく働く従兄たちのところで療養することになった。回復すると、スターリングは農場の手伝いをするようになった。すっかり元気になったスターリングに12歳の誕生日が訪れる。その日は何とも素晴らしい日で、第一次世界大戦の休戦が知らされたのだ。最高の気分になり、スターリングはラスカルとポニーに乗って森へ散歩に出かけた。静かな場所で、兄が無事に帰ってくることと世界が平和になる喜びをじっくり噛みしめていた。その晩、ウィラードが迎えに来て、叔父たちとご馳走を食べた。その時、誕生日プレゼントとしてウィラードから時計をもらった。代々、父から息子へ手渡されてきた物で、紐には亡き母の美しい栗色の髪の毛が編みこまれていた。
 19181111日、休戦協定が調印され、ブレールスフォード・ジャンクションも町中にぎやかに終戦を祝っていた。
 歓喜の高鳴りがおさまってきたスターリングは、家に帰ってマスクラット狩り用の罠の手入れをすることにした。しかし、やる気が一転する。遊んでいたラスカルが罠で怪我をしてしまいそうだった上、セントルイスから送られてきた毛皮のカタログの1ページ目にフルカラーでアライグマが罠にかかっている絵が載っていたのだ。スターリングはラスカルのような素晴らしい動物の腕を切断するなんて、そのような酷いことはできないと思った。急いでカタログを燃やしてしまい、罠は納屋にしまった。そして、休戦記念日と同じ日に、スターリングは二度と破ることのなかった動物たちとの平和条約を結んだ。

 冬になると、ラスカルは巣からあまり出てこなくなった。アライグマは冬眠をしないが、長時間眠ってしまう。スターリングは巣が暖かくなるように、セーターを入れてやったりした。しかし、スターリングの財布が温まることはなかった。平和条約のおかげで毛皮での小遣い稼ぎができず、アルバイトをしてもお金は貯まらなかった。これではカヌーに必要なキャンバスも家族へのクリスマスプレゼントも買えないと落ち込んでいた時、ハーシェルとジェシカから2通の手紙が届いた。兄の方は、まだ戦地で仕事が残っているため帰ってこられないという知らせたっだ。だが、スターリングは悲しい反面、プレゼントを用意するのを先延ばしにできてほっとした。姉からの手紙にはクリスマスに家に帰る知らせと10ドルの小切手が入っていた。スターリングはこれで、クリスマスの準備が進められる。しかし飾り付けで問題が見つかった。ノース家のクリスマス・イブはペットたちも家の中に招かれるのだ。キラキラ好きのラスカルが参加するとなると、ツリーの安全は保障されない。ということで、スターリングはラスカルの檻を作った時の余った材料で、出窓のところにツリーを閉じ込めておくことにした。これを見たウィラードは、「ちょっとばかし不自然じゃないか」と言った。帰ってきたばかりのジェシカは居間の惨状を見て怒った。やはり住み込みの家政婦が必要だと言うのだ。しかしツリーが檻に入っている理由を聞くと、笑いながら弟を抱きしめた。それでも作りかけのカヌーが邪魔らしく、納屋に持って行けとジェシカが言うが、スターリングはキャンバスを貼るまではダメだと訴えた。
 イブの夜、プレゼントがカヌーの中に並べられ、動物たちは居間に連れてこられた。ラスカルがすぐにツリーに興味を示したため、バリケードがあってよかったと思われた。家族やペットたちはそれぞれ素敵なプレゼントをもらった。スターリングはセオからスケート靴をもらい、父から磨かれたメノウをもらった。それらはスターリングとラスカルがスペリオル湖で拾ったものだった。父の計らいに驚いたが、ラスカルにも一つプレゼントしたため、更に驚いた。そしてジェシカからは、「これでカヌーを居間から追い出してちょうだい」というメッセージ付きでキャンバスがプレゼントされた。
 満たされた気持ちでスターリングはラスカルと一緒に眠った。微睡の中、真夜中に動物たちがしゃべりだすと言われていることを思い出し、ラスカルも何かしゃべらないかと思った。スターリングはきっと、ラスカルも幸せなんだということを確信したかったのかもしれない。
 2月のある早朝2時、フレッド叔父から電話でケースウェザーの知らせを受けた。スターリングは父とラスカルと農場へ急ぐ。着いて早々、挨拶もそこそこにウィラードとスターリングは作業を手伝い始めた。しかしまだ体力の無いスターリングは疲れてしまい、ラスカルを連れて、リリアンが待つキッチンへ行った。そこで、まだ子供だから仕方がないとリリアンはスターリングを慰め、それから将来の話をした。スターリングは医者になりたいと言ったが、リリアンは、「あなたのお母さんは、あなたに作家になってもらいたいと思っていたはずよ」と言う。スターリングにはそう言った叔母の姿と母の姿が重なって見え、「この時を永遠に残していけるのよ」という言葉がまるで、死んでしまった大好きな母からの言葉に聞こえてきた。

 再び春が廻ってきて、動物たちは恋の季節に高揚していた。ラスカルも成獣になりかけており、外から来た雄のアライグマと喧嘩をしたり、雌のアライグマと恋に落ちそうになった。他にも成長が見られ、ラスカルは檻から自力で出られるようになっていた。そしてサーマンの鶏を襲った。スターリングは1年続いた楽しい時間が終わろうとしているのに気が付いた。
 カヌーは完成し、進水式も成功した。だが、喜んでばかりもいられない。ついに姉たちがうるさく言っていた住み込みの家政婦が来ることになったのだ。彼女は動物嫌いとくる。スターリングはこっそりラスカルを部屋に来させるような対策を用意したが、心の奥でこんなことは無駄だと感じていた。「ラスカルはもう大人に成長して、ペットでいることに幸せなわけがない。ぼくはあいつを、あいつが住むべき世界から離しておくのが、わがままで軽率だということに気付いた」そして誰にも相談することなく、1人で決断した。
 家政婦が来てしまう恐ろしい日になる前に、スターリングはラスカルとカヌーに乗って、ロックリバーを上り、コシュコノング湖を目指した。パドルを漕ぎながら、スターリングはラスカルの成長を振り返っていた。彼はラスカルが元気に育ってくれたことを誇りに思っていたが、悲しくもあった。だが、スターリングが別れを選択したということが、彼自身の成長の証であったのかもしれない。スターリングとラスカルが出会った日と同じように、空には満月が浮かんでいる静かなコシュコノング湖。1匹の雌のアライグマが森から姿を現した。ラスカルはその呼び声にそわそわし始めた。そしてスターリングは言った。「お前の好きなようにしろ。お前の人生だ」ラスカルは躊躇ってスターリングの顔を見上げたが、それからカヌーを降りて森の方に泳いでいった。月明かりに一瞬ラスカルと雌アライグマが見えたが、すぐに2匹は闇に消えていった。スターリングは堪らない気持ちでパドルを漕ぎだした。