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2014年1月31日金曜日

Rascal:作文②

はじめに
 小説Rascal1963年に出版されて以来、50年経った現在2014年でも地元アメリカではもちろん、世界中で愛読されている作品だ。映画やアニメに映像化されるほどの人気である。物語の舞台は1918年アメリカ、ウィスコンシン州、ブレールスフォード・ジャンクションとその周辺。ブレールスフォード・ジャンクションはノースがその町に付けた仮の名前であり、実際彼が住んでいた所はエジャトンという。この物語は自伝小説であるが、町の他にも違う名前を使っている部分があり、それはノースのRascalを書くうえでの気遣いらしい⁽¹⁾。あとは事実に基づいており、スターリングの相棒ラスカルと過ごした1年間が魅力的に描かれている。受けた数々の賞も物語るように⁽²⁾、Rascalは優れた作品であるとわかるが、何故著者スターリング・ノースは自分の思い出を1冊の本にしようとしたのだろうか。きっかけを探っていきたい。そして、ノースが読者に伝えようとしたメッセージを見つけてみよう。今回はノースが自伝小説を書いた点とラスカルに物語の焦点を合わせた点から分析していく。

  
  第1章 突然自伝小説を書くことにした理由
 スターリング・ノースという作家は、主にフィクションの小説またはアメリカ史における偉人の伝記を書いていた人物である。そんな彼が急に自身の話を本にして出版しようと思ったのは何故だろうか。そして、何故1963年に書いたのか、1918年という時期を選んで書いたのはどうしてなのか、これらの疑問を一つずつ解いていこう。
 まずノースがどのような仕事に就いていたのかを述べていく。大学進学後、エジャトンからシカゴに移ったノースは、学費を自分で稼ごうといくつかの仕事をした。15歳の時にかかったポリオのせいで足が不自由なため、主に事務作業をしていたが、詩や短編を売って稼いでもいた。幼い頃から文学に親しんでいたノースは、高校の国語教師マーガレット・スタッフォードとの出会いのおかげで書くことの楽しみを学び、大学生の時には作家志望になっていた。学内で雑誌の編集やミュージカルの台本を書くなどの活動もしており、物を書く経験を積んでいった。19292月に初めて書いた本The Pedro Gorinoが出版される。本の成功で自信のついたスターリングは大学を中退し、同年6月、シカゴ・デイリー・ニュースの新聞記者になった。頼まれたらどんな記事でも書く、努力と才能を持ち合わせたこの若い記者は早々に出世していき、1932年、デイリー・ニュース社の文芸セクション編集長に任命される。新しい作家の発掘や本の書評を書くことが仕事の内容だった。そして2年後の1934年、Plowing on Sundayを出版した。Rascalと同じく、舞台はブレールスフォード・ジャンクション。本自体は売れたが、リアリティを求めすぎ、キャラクターが町の誰を書いたものなのかがはっきりわかってしまうため、エジャトンでの評判は悪かった。1957年、子供たちが大学を卒業した後、スターリングは雑誌の仕事を辞め、ノース・スターブックスを立ち上げる。そこで伝記シリーズを次々に出版していった。伝記を書くためには膨大な資料が必要となる。事実を読者に伝えなければならないからだ。新聞記者としてのキャリアがここで活かされる。スターリングは現地取材を徹底してやり、リンカーン、ジョージ・ワシントン、エジソン、ソロー、マーク・トウェイン等の伝記を書いた。このように、ノースは普段自らを本に登場させることは無かった。何がきっかけで彼は自伝小説を書くことにしたのだろうか。それは父の死に関係があるようだ。
 1962年、99歳で父ウィラードが亡くなった。これを機にノースは昔を振り返った。以前、母エリザベスの死をウィラードのせいだと考えるところがあったノースは、Rascalの中でこう語っている。

          She had accepted and married my father, for better or for worse, sharing more years of poverty than of comfort. She did the worrying for the family; and it was largely worry that killed her at forty-seven. My father, who lived in an insulated dream world, took all of his losses philosophically, even the loss of my mother.65

苦労を全てエリザベスに任せ、ウィラードは好き勝手に生きていたとスターリングの目には映っていた。父が生きていた頃は彼の生き方を悪く思っていたのだが、父の死後ゆっくりと思い出すと、あれは父らしい生き方だったんじゃないかと思え、少しずつ許せるようになった。

          Living much in the past, and never in the worrisome future, his outlook was so tranquil that he drifted pleasantly from 1862 to 1962seven months short of a full centurywith very little sense of personal or international tragedy. Curiously enough, this lifelong detachment accompanied an excellent university education, a vast store of disorganized knowledge, and a certain amount of charm.60

ここには悪い印象が見られない。何不自由無い幸せな人生の中でさまざまな知識を得た人だったと言っている。その知識や彼の人柄がかけがえのない思い出をつくったことは紛れもなく事実であった。ノースは記憶を遡っていき、1918年という年を思い出した。父と一緒にホイッパーウィルを探しに行った日や2週間のキャンプに行った夏、また素敵なプレゼントを用意してくれたクリスマスなどがあった年だ。それ以外にも、もっといろんなことが起きたその年がノースは特別に思われた。本にして書き残すべき1年なのだと。
 ノースは本を書くときに大切にしていることがある。そのものを書き残し、伝えることだ。Rascalでスターリングは叔母のリリアンに将来作家になるべきだと言われるシーンがある。“I think she [Elizabeth] would have wanted you to be a writer. . . . And then you could put it all down. . . . You could keep it just like this forever.”180)母親に言われているようなとてもロマンチックなこの場面で、スターリングは本を書くことの意味を知った。高校でスタッフォード先生から、「自分たちの周囲の生き物をよく観察して、明瞭に、そして簡潔に書くように」(ちば 『あいたい』 73)と指導されながら、文章の書き方を教わった。それから大人になったノースは、「アメリカの歴史を語るにはどういう方法が優れているか」について考えていた。そして、「だれかの人生のストーリーを通して語るのがベストだ」(ちば 『湖で』 102)という結論に至った。これは本を書く目的に当たる。これらを踏まえると、ノースの素晴らしい思い出は忘れ去れないように、本という形に残し、人々にこんなことがあったんだと伝えた方が良いとなる。ノースには表現できる能力があるうえ、実際に自分の身に起きた歴史的事件の経験はどんな資料よりも確実であり、アメリカ史の1ページを見せるには、1918年は打って付けだった。ということで、ノースは自分の大切な父や家族との思い出、それからその頃のアメリカの様子を残し、伝えるべく、自伝小説を書くことにしたのではないだろうか。
 ちなみに1918年が世間的にどんな年だったのか、簡単にまとめておこう。スターリングがラスカルと過ごしたこの年、アメリカにとっても世界にとっても重要な年だった。第一次世界大戦(WWI)が終わり、スペイン風邪の流行があり、アメリカでの大量生産と大量消費が主流になり始めた時だ。物語の中でも重要事項となっているWWIは、スターリングの悩みの種でもあった。砂糖などの配給制や家の畑(“war garden”)のような日常の一コマからも戦時ということが読み取れる。町の様子も、戦争の影響が見られた。アメリカ軍は終戦までに約400万人の兵士をヨーロッパへ送った。内、10万人以上が戦死。そんな中で兄ハーシェルは生き残ってくれたのだが、スターリングに多大な心配をかけ、無事を祈ることしかできない歯痒く苦しい時間を長く過ごさせていた。RascalWWIについての資料を事柄からも人の心からも集めた物なのだ。第7章で登場したスペイン風邪は、戦争と並び深刻な問題となっていた。スペイン風邪の起源がどこなのかは定かではないが、最初に大きな被害をもたらしたのは19183月のカンザスだった。そこからヨーロッパへ拡散。世界中で感染者が増えていき、191810月の1ヶ月間だけで195,000人ものアメリカ人が命を落とした。ブレールスフォード・ジャンクションには10月末から流行が見え始め、他の地域同様、この町も学校を閉鎖し、外出する人々はマスクを着用していた。スターリングもこの頃に軽い風邪をひいた。世間の状況が深刻なだけに、ウィラードも念のため息子を弟夫婦の農場で療養させることにした。当時の病院に新しい患者を受け入れる余裕は無かった。医師も看護師も多くが戦争でのサポートに向かっており、アメリカから離れていた。そんなとき、追い打ちをかけるようにスペイン風邪の流行が始まった。病院は人手不足でボランティアまで募ったが、それでも間に合わないほどだった。それに続き、棺も墓も用意しきれないために、死体が増える一方だった。そんな状態で迎えた休戦協定の日、人々は1つの災難の終わりに喜び、スペイン風邪から目を背けようとした。スターリングも回復後、パンデミックについては語っていない。WWIよりも死者を出したこの悲劇は、アメリカで675,000人の命を奪い、全世界で5000万から1億人を1年という短期間で殺していた。
 また、文明や経済の発展もRascalの中で見られる。主に交通手段の変化でそれが表れている。1908年に発売されたT型フォードは、アメリカを一気に車社会へと変えていった。効率的な製造工程のおかげで、1台の値段が年々下がっていき、1914年までにアメリカ自動車市場でフォード社のシェアが48%を占めていた。1918年、ウィスコンシンの田舎町にもマイカーブームが来ていたようで、いくつかの車種が物語に登場する。一方でこの車の流行は、それまで活躍していた馬たちを道の外に追い出してしまうものだった。馬具屋のシャドウィクが乱暴に道を走り回る車をののしっていた。“It’s these gol-danged automobiles, smelly, noisy, dirty things, scaring horses right off the road . . . ruin a man’s business . . .”109)。時代に取り残されそうな1人の凄腕職人の悲しい姿が描かれている。人が馬よりも車を選ぶ理由はいくつも挙げられる。速く遠くまで走れて時間の節約ができる。運転が簡単で、世話も楽。餌代よりもガソリン代の方が安い。それに、1914年に始まった戦争が馬をヨーロッパへ連れて行ってしまった。その穴を埋めるように車が市民の生活に入ってきた。戦地での役目を終えても、アメリカに馬たちの活躍の場はもう残されていなかったのだ。発展という栄光がつくり出した影に飲み込まれていく悲しき運命をスターリングは見届けていた。
 続いて、「自伝小説」という言葉を分解して、Rascalを考えていく。この単語は「自伝」と「小説」に分けられる。「自伝」はこれまで示してきたように、ノースの思い出を伝えるためと解釈する。すると、「小説」というものに目を向けると、新たな疑問がわいてくる。小説にする必要があったのだろうか。自分のことを語る方法は他にもある。プロフィールやエッセイ、日記でも、文字にして残すことは可能だ。それらではいけなかった理由があるはずだ。ノースが小説家であったから小説になったという意見は否定できないが、その答えが完璧だとも言えない。彼は新聞記者でもあったからだ。文体をどうするかはノース次第であり、小説であろうとなかろうと、プロとしての作品が作れたわけだ。とりあえずは手始めに、小説という物を理解しておこう。言うまでもなく、物語を書き示した物だ。そこには登場人物がいて、事件が起こり、状景つまり舞台がある。確かにRascalはこれら全てに当てはめられる、小説と呼べる作品だ。では一体、ノースの思い出を小説にする利点と意図は何なのだろうか。
 小説は報告書ではない。これが答えの一つだ。無機質な文書で人の心を動かすことは難しい。この論文の後半でも言及するように、ノースはRascalにメッセージを込めていると思われる。書かれている文章だけが内容の全てではない小説だからできることだ。新聞や雑誌の記事は事実を並べ、報告しているにすぎない。そこに著者の感情があってはならないのだ。報告の例として、ハーシェルからの手紙を引用する。休戦後、スターリングに届いた手紙で、戦争中ハーシェルがどこに行っていたのかが書いてあった。

          We spent a couple of months in the Haute-Marne region and then went to the Alsace Sector. Later we joined the Château-Thierry Offensive, the Oise-Aisne Offensive and the Meuse-Argonne. We were on the Meuse at the time of the Armistice.164

極端な例だが、Rascalの内容もこのような報告型の文に変えることができる。「ラスカルと出会った。ラスカルが巣穴から出てきた。父さんと一緒にホイッパーウィルを探しに行った」となるだろうか。実に退屈だ。人の心も描ける小説がRascalには向いている。そして、ノースにとってアメリカの歴史を語るベストな方法が何であったか、思い出してもらいたい。「だれかの人生のストーリー」を使う方法だ。ストーリー、つまり物語である。より多くの読者に理解してもらえる手段が、事実の小説化なのだ。大切な思い出に対し、ノースはベストな方法を使っていたとなる。
 Rascalが小説になった理由を見つけたので、次は小説の要素から分析しよう。小説に登場人物がいることは確認済みだ。では語り手という人物に注目すると、何がわかるだろうか。作家にとって、小説を書くうえで悩みどころとなる点はいくつかある。主要人物は比較的簡単に決まるのだが、誰にストーリーを語らせるのかが難しいところだ。一人称か三人称か。または神か主人公ではない登場人物か。それと共に時間のずれも設定に加えることができる。ストーリーの進行と語っている時間が同時とは限らないのだ。Rascalの語り手は1963年のスターリング・ノースである。主要キャラクターは1918年のスターリング少年とラスカルだ。自分の思い出を語るのなら自分でストーリーを語るのが一番だとするにしても、時間のずれという設定は選ばなければならない。大人になったノースが少年時代を語るのは何のためだろうか。
 思い出を思い出として書いた。これに尽きる。ノースはRascalを小説にすることで、ある程度の嘘を書くことができた。そして出来事を書くか書かないかも選べた。事実を書いているようだが、当時を完璧に再現しているわけではないのだ。もし、語り手を1918年のスターリングとしたならば、筆者である1963年のノースは1918年を正確に描かなければならない。その物語はスターリング少年の目に映ったものをリアルタイムで語ることになるからだ。だがRascalは回想記だ。あくまでノースが覚えていることを書いた物。頭の中にある記憶と現実に起きたことでは差がある。時間が経過するとその差は大きくなり、事実の輪郭がぼやけてくるものだ。この結果として生まれる感情を、人は「懐かしさ」と呼ぶ。ノースは時間のフィルターを使って、懐かしい記憶を本に書き写したのだ。そして、大人になってから気づいたことも書き加え、Rascalを完成させた。
 アメリカの歴史を語るために、ノースは自分の人生のストーリーを通して語ろうとした。そうして生まれたのがRascalである。書くべきことがとびきり多い1918年を舞台とし、1962年の父の死をきっかけに家族の思い出をノスタルジーに描ききった。心に残るあの頃が消えてしまわないように、小説に書きとめ、読者の手に置いていったような気がする。
  

2章 ラスカルに焦点を合わせた理由
 次は、たくさんの要素または伝えたいことが含まれる1冊の本の中で、何故ラスカルが中心に置かれたのかを見ていく。Rascalという本の内容を一言で表すならば、「スターリング・ノースが11歳だった頃の思い出」となるだろう。しかしその思い出を細かく分けてみると、父との生活、ペットのこと、釣り、カヌー作り、仕事、WWI、友人との付き合い、母の思い出などとなる。どれを取ってもメインとなりうる項目だが、ノースはあえてラスカルを選んだ。小説の題名にし、章ごとの名前はこの本がラスカルの成長記録であるかのように月で示されている。どうしてラスカルでなければならなかったのか。
 何よりもまず言えることは、ノースが大変なアライグマ好きだったということだ。それが第1の理由に挙げられる。1943年、ニューヨーク・ポスト誌での仕事のために、妻子を連れてニュージャージー州のモリスタウンへ引っ越した際、ノースはアライグマが家の近くに住んでいると知り、とても喜んだ。よく訪ねに来る野生のアライグマたちのために、ノース家はエサ台を設置し、そこに庭で採れた野菜を入れてやっていた。子供の頃に見た近所の大人たちとは違い、ノースはアライグマと分け合う生活をした。アライグマへの愛は残っている写真からもわかる⁽³⁾。これだけの想いがある作家が、自分の作品にアライグマを登場させないわけがない。満を持して、アライグマを好きになるきっかけをくれたラスカルで物語を書くことにしたのではないだろうか。後に出版されたRaccoons Are the Brightest Peopleも含め、ノースは世にアライグマという生物の素晴らしさを伝えようとした。
 ノースが自分の少年時代を語るならば、ラスカル抜きでは語れなかった。それほどラスカルは特別な親友だった。このアライグマと過ごした冒険のような日々は、ノースの人生において最も美しく、物語るに値する思い出である。
 スターリングがラスカルをウェントワースの森で見つけた時、ラスカルは乳離れもしていない赤ちゃんで、1ポンドにも満たないフワフワのボールのようだった。それでもトレードマークの縞々シッポと目の周りにある黒いマスクはしっかりついていた。スターリングとハウザーはこの小さなアライグマにすっかり心を奪われてしまう。ラスカルが成長するにつれて、その性格も現れてくる。とてもおもしろい子で「スピードと冒険と探検が大好き」(“loved speed and adventure and exploration”)(118)な、名前の通りやんちゃ坊主だった。野生動物らしく、好奇心のままに行動するラスカルは小さいながらも「ライオンのハート」を内に秘めていた(“this absurd and lovable little creature had the heart of a lion.”)(36)。ポーとケンカしたり、熊皮の絨毯に挑んでみたり、カモの親子に負けて帰ってきたりと、チャレンジャーなところがある。そんな勇敢さを見せる一方で、ラスカルは何ともかわいらしい寝方をしてくれる。シッポを枕にして丸まって眠ったり、木の上で腕も脚もだらりと垂らして日光浴をしたり。微笑ましい思い出が続々と出てくる。ノースは自分の子供たちが幼かった頃によくラスカルの話を聞かせていたという。彼らのお気に入りのエピソードは、ラスカルが初めて角砂糖を食べた時のことだった。もちろんこれもRascalの中で大切に語られている。スターリングがラスカルに角砂糖を渡すと、ラスカルは自分の前に置かれたミルクの入ったボウルに手を突っ込んで砂糖を洗い始めた。すると当然砂糖は溶けてしまい―

          He felt all over the bottom of the bowl to see if he had dropped it, then turned over his right hand to assure himself it was empty, then examined his left hand in the same manner. Finally he looked at me and trilled a shrill question: who had stolen his sugar lump?33

この状況を正確に伝えるノースのおかげで、子供たちも読者もスターリングのように笑ってしまうのだが、やはりラスカルの反応がとても良かったためにここまで盛り上がったのだろう。ラスカルでなければいけなかったのだ。もしもオスカーがラスカルではなく、他の兄弟を捕まえていたら、Rascalに書かれたような1年にはならなかったかもしれない。
スターリングにあそこまで懐いたのも、ラスカルだったからなのだろう。アイリッシュピクニックのパイ食い競争で、スターリングはこう思った。“Then my best friend came to my rescue.”127)ラスカルがスターリングのパイを反対側から食べ始めた場面だ。ラスカルも物凄い勢いで食べてくれたため、スターリングは一番速く完食することができた。しかし、違反ということで失格となり、繰上げで2位のオスカーが優勝するという結果になった。ラスカルがもし、ただの食い意地の張ったアライグマだったら、オスカーや他の参加者のパイを手当たり次第に食べていただろう。おいしいとわかっているブルーベリーパイがいくつも並んでいるのだから。だが、ラスカルはスターリングのパイしか食べなかった。“my rescue”と表現しているのがその証拠だ。スターリングだけにしか関心がないというように見える。信頼を寄せ、懐いているということになる。ラスカルがスターリングのことを大好きだと思っているのがわかると、スターリングはラスカルを更に大切に思うようになる。他のペットではまねできない仕草や行動が、ラスカルを特別な存在にしている。そして親友と呼べるのは、2人がどんなときも一緒にいたからだ。
 とにかくスターリングはラスカルと一緒にいようとした。遊びも、食事も、寝る時も、仕事も、風邪をひいた時も、ラスカルが檻に14日間閉じ込められた時も、いつも一緒にいた。檻を作り始める前夜、木の上で星を眺めながら思っていた。
         
          I had a sad but happy thought. If Ursa Major, the Great Bear, was my constellation, Ursa Minor, the Little Bear, was by natural right Rascal’s constellation. Long years after we were both gone, there we still would be, swimming across the midnight sky together.116

彼らの関係は運命共同体と呼べるものだった。辛い時も支えあえる大事なラスカルと長く暮らせるように、スターリングは一生懸命ラスカルを守った。そしてラスカルの自由を尊重し、伸び伸びと育ててやった。ラスカルの運命を左右する大きな決断をするとき、ラスカルの意見に任せていた。“Do as you please, my little raccoon. It’s your life.”189)ラスカルにかけてやった最後の言葉である。それに、クラスメイトの前で言ったセリフが、スターリングがどれほどラスカルを特別に思っているかを表していた。“He’s a wonderful pet.”140)(italics mine
ラスカルの面倒を見ることは、他の思い出とも関連してくる。父と旅行に出かけたのもラスカルがきっかけ。釣りにもラスカルを連れて行った。姉とのやり取りもラスカルがいなければ、あれだけ面白い事件にならなかった。1つ例を挙げてみよう。第37月のこと、スターリングは“Feed him [Rascal] a favorite food, say a kind word, and he was  your friend.”53)ということに気づいた。それを証明するために、ラスカルの友達を2人紹介している。メソジスト教会に勤めるジョー・ハンクスの場合、“His secret for winning Rascal’s affection came in his lunchbox [half of one of his jelly sandwiches].”54)ラスカルがジャムサンドに釣られている。食べ物をくれるかどうかで良い人だと判断しているようだ。洗濯屋のジムはラスカルにペパーミントキャンディをあげており、ラスカルはすっかり懐いている。更にスターリングは発見した。“Apparently Rascal was aware of the first faint rattle of the coaster wagon far off down the street.”54)ジムの手押し車の音が聞き取れるため、ラスカルは曜日がわからなくとも、いつジムが来て飴をくれるのか察知できているというのだ。そして、その音を聞き分ける優れた耳は音楽までも楽しんでいるらしい。お気に入りの曲“There’s a Long, Long Trail A-winding.”をうっとりした目で聴いているのだ。その曲はナイチンゲールについて歌っている。それでスターリングはナイチンゲールがアメリカにいるのか疑問に思った。するとウィラードが“Not nightingales, but we do have whippoorwills, of course.”55)と言う。こうして2人と1匹はホイッパーウィルを求めて出かけることになった。たった3ページの間にこれだけ自然な流れで話題が進んでいく。ラスカルといれば、印象深いいろんな思い出を急展開することなく書くことができる。いつも一緒いたためにそれが可能となり、だからこそラスカルを物語の中心に置いたのだ。
この小説のタイトルはどうだろうか。Rascalだ。ラスカルについて書いてあることが一目瞭然である。しかしそのまま流さず、これにも注目しておこう。本のタイトルは本の顔とよく言われるほど肝心なものだ。これについても作家は頭を悩ませる。Rascalがラスカル中心の話だからRascalなんだと単純に決められるものではない。題名にできる案ならいくらでもあるのだ。「ラスカル記」、「ラスカルと過ごした日々」、「ぼくの親友」、私が勝手に作るだけでもこれだけ出てくる。しかしこれはRascalだ。何か理由が隠されているはずだ。
ラスカルがRascalの中でどのように描かれているのか今一度思い出すと、答えに近づくことができるだろう。まず外見の描写があり、性格もノースの言葉でまとめられている。それから、体重が詳しく表記されている。スターリングがラスカルを見つけた時点で、“less than one pound”15)。ラスカルが巣から出て、自由に歩き回れるほどになると、“two pounds”36)になっていた。8月、バートの家で測った時は、“four pounds and three ounces”101)で、順調にいけば1カ月に1ポンドずつ増えるとバートは言った。2月、リリアンにまだ子供だと言われた時、抗議するようにスターリングは言った。“I weigh nearly one hundred pounds. With Rascal on my shoulder I weigh one hundred and eleven.”178)つまり11ポンド(≒5kg)。非常に細かいデータである。ラスカルの行動は目に浮かぶように活き活きと書かれてあった。更に、挿絵もラスカルの成長を見せている。各章に1カットずつ入れられている絵には、必ずラスカルが描かれているのだ。ノースの思い出の中にいるラスカルだが、これだけはっきりとした情報があると、ラスカルがこの本の中にいるようだ。本を開けばラスカルと会える。この本を求めることは、ラスカルを呼ぶことであり、会いに行くこととなる。なので余計な言葉はいらない。ただRascalで十分なのだ。
ところがそれで落ち着いてはいけない。物語の中心となりえたはずの人物がもう一人いたのだ。少年時代のノースにとって最重要人物だった母エリザベスだ。彼女ではなくラスカルを選んだ理由も無ければ、この論文は不十分となる。1914年、47歳でこの世を去ったエリザベスは、尊敬すべき優しい母親としていつまでもノースの心に残っていた。いなくなった母親の代わりを求めるように、スターリングは自分に優しくしてくれる3人の女性に対し、特別な意識を持っていた。オスカーの母には“As Mrs. Sunderland knew, my mother had died when I was seven, and I think that was why she was especially kind to me.”17)と思っている。生物学のウォーレン先生には、“Miss Whalen loved biology as my mother had loved it.”134)と語って母と比較し、彼女にアライグマが人間のように進化をするのかを話した後、ばかにせず、あたたかく笑って聞いてくれたことにほっとし、“I left the classroom feeling that Miss Whalen was a very special person.”138)と感じていた。リリアンには“You’re like a fourth son to me, Sterling.”148)と言われ、スターリング自身一度彼女と母親が重なって見えていた時があった。“And she looked so much like my mother as she said it that I wondered to whom I was talking . . . . I listened as though it were indeed my mother speaking.”180)母親がいない部分をどうにか埋めようとしているように見える。その欠如に思い悩んでいることがテキスト内ではっきり書かれていた。

She [Elizabeth] would have been interested in studying more closely the habits of all these animals [the pets Sterling was raisingRascal especially], and would have helped me solve some of the difficult problems they presented.28

これほど母の面影を追っているのなら、この想いを話の中心に持ってこられたはずだ。しかしそうしなかった。理由は結末にあると思われる。もし、母親との思い出を描こうとするなら、幸せな時間から始まり徐々に内容が暗くなっていき、最終的には彼女の死にいきつく。書くにも読むにも辛い物語をノースが書くだろうか。その話が進めば恐らく、父親のことを悪く書かざるを得なくなる。折角時間が経って心を許せるようになったにも関わらず、癒えた傷をえぐるようなことはしないはず。家族とのあたたかい思い出を本の中で再現するには、エリザベスでないテーマで書くべきである。わざわざ本にして残すのだから、幸せをたくさん描きたいはずだからだ。
では、何がテーマに相応しいのか。当然ラスカルに決まっている。ラスカルとの思い出は幸せに満ちている。結末は悲しいが、あの別れはスターリングとラスカルの成長への希望がうかがえるものだった。なおかつ、ラスカルと一緒に自然の中にいると、たまにエリザベスが教えてくれたことを思い出すことがあった。ブルーレ川の流れる森をラスカルと歩いていると、スターリングは生命の神秘を感じていた。

          It seemed a miracle that anything as young as fingerling trout or grouse chicks or my small raccoon could move along this watercourse among boulders as old as the worldthe new life of this very season amid granite predating even the first life on the globe.92

そして生前エリザベスが話してくれた、世界の誕生へと内容が移っていく。この年の思い出は美しい。ラスカルがいれば、大好きな母のこともノースは書くことができるのだ。
 最後に、ノースがRascalを通して読者に伝えたかったことから見ていく。執筆中、ノースはRascalを若者に呼んでもらおうと考えていた。前途したように、ラスカルのお話はノースの子供たちに気に入られていたため、若者への受けはある程度保障されているようなものだった。お茶目でいたずらっこのラスカルを物語の中心に置けば、楽しく読んでくれるだろうといった思惑があったかもしれない。Rascalが読者に訴えていることは、これまで述べてきた彼の思い出と、言葉の美しさ、アメリカの歴史、そして自然への関心だ。思い出以外の要素を言い換えると、“linguistics”“history”“biology”となる。ノースがRascal以前に出した作品は、それぞれこれらのジャンルに分類できる。ということは、Rascalはノースの書きたいことが全てきれいに1冊に収められた最高傑作であると言える。多くの要素を含んだ本が200ページを超えないというのは、ノースのバランス感覚の良さを示している。確かに学校の授業でテキストとして使われるには悪くない長さだ。それに、要素が多いということは、それだけこの作品への見方を変えることができるということになる。動物の話として読んだり、昔のアメリカの文化を知るために読んだりと、さまざまなアプローチができるのだ。だがそうなると、この本にあるメッセージを一言でまとめるのは難しい。要素の数だけメッセージがあるのだから。この章ではRascalが何故ラスカルメインの小説なのかで話を進めているので、ここでは“biology”に注目しよう。
 若者に読者のターゲットを絞ったのならば、それは次世代へ伝えたいメッセージがあるのだと考えられる。時代の変化と共に追い込まれたり、消え去ったりしてしまう儚さを見せ、ノースはこの流れを勢いのままに任せるのではなく、少し立ち止まって考え直してもらいたいと願っているのではないだろうか。例えばスターリングがホイッパーウィルを探しにカムリン農場を訪れたシーン。“It [virgin forest which Kumlien had protected from the ax] is gone now, but it was there when I was a boy”67)ただ森に向かって歩いていたと書けば良いところを、このような予備知識を追加している。必要であるから書いたのだろう。良い思い出の中で「今は無い」と知らされると、著者がこの事実を悲しんでいると受け取れる。やっと聞こえてきたホイッパーウィルの鳴き声は、スターリングに不思議な感覚を与えた。“A Soloist against the symphony of the night making me feel weightless, airborne, and eeriehappy, but also immeasurably sad.”69)何故だか悲しそうなのだ。ウィラードが幼い頃は簡単に聞けたこの鳴き声が、スターリングには聞きに来ないと聞けないものになっていた。それだけ環境が変わってしまったということと、それによってホイッパーウィルの自由が制限されてしまったことを考えると、悲しく感じるのだろう。別の例で、リョコウバトの話もその手のことを訴えてくる。著者のノースは書く思い出を選択できる。ストーリーの進行上、この剥製の話題は無くとも問題なくいけるのだが、長めの会話で登場している。やはりこれも必要なシーンなのだ。

     “I could kill birds all day,” my uncle said. “Used to shoot down passenger pigeons by the bushel basket.”
          “And they’re all gone now,” Aunt Lillie reminded him. “Not one passenger pigeon left in North America.”151

リリアンの“gone”というセリフがなんとも悲しい。失いかけているものと完全に失ってしまったものを語り、読者に寂しい現実を突きつけてくる。スターリングはフレッドの農場滞在の後、毛皮パンフレットに載っている腕を罠に挟まれたアライグマの残酷な写真を見て、マスクラット狩りの準備を慌ててやめた。“How could anyone mutilate the sensitive, questing hands of an animal like Rascal?”160)こう思い、自分のしようとしていたことが恐ろしいと気づき、どんな運命の悪戯か、第一次世界大戦の休戦記念日にスターリングは動物や鳥たちに永久平和条約を誓った(“a permanent peace treaty with the animals and birds”)(161)。スターリングは動物たちを絶対に殺さないと決めた。これが彼の中での自然を守る最善策なのである。あくまでも、その平和条約は一つの案として提示されているだけで、ノースは読者にこれを強要しているわけではない。だが、野生生物の営みを邪魔してやらないで欲しいという想いは少なからず発信されている。物語の最後にスターリングはラスカルと別れる。ノースはこの小説の始めからずっとラスカルの愛らしい姿を見せてきた。そして別れたところで話をぷつりと終わらせ、その後を一切明かさない。こんなにかわいいラスカルと彼の仲間たちの住む世界を壊さないで、見守ってあげてくれという願いが、この描き方に込められているのではないだろうか。
 ラスカルのためにどんな問題にも逃げずに挑戦した1年間、ノースはさまざまなことを体験した。ラスカルがノースの生活の中にいた1918年は書き残しておきたい想いを全て詰め込められる最高のシーズンだったのだ。そしてその時間が教えてくれた自然を慈しむことの大切さを、ノースはラスカルを用いて読者に伝えている。


終わりに
 仕事が落ち着き、60歳間近になっていたノースは人生を振り返るようになっていた。家の外からはアライグマの鳴き声が聞こえてくる。あのやんちゃな友人が思い出される。そして父の死が訪れた。翌年、ノースは自分の過去を本に書き起こした。ラスカルがいたあの1918年、父と過ごした懐かしい記憶に、母の優しい言葉を思い出していた大切な1年間を切り取って物語にした。ついで、当時起きていた事件や暮らしの様子をも描いた。この世界から忘れ去られて欲しくない事実を小説に書きあげ、古き良き時代を色鮮やかに本の中に留めさせた。ラスカルの家族や子孫たちが、これからもずっと幸せでいられるよう願いを込めて。

  
1“All of my friends in this book, both animal and human, were real, and appear under their rightful names. A few less lovable characters have been rechristened.Sterling North”6)と書かれている。
2Dutton Animal Book Award1963)、Newbery Honor1964)、Lewis Carroll Shelf Award1964)、Dorothy Canfield Fisher Children’s Book Award1965)、Sequoyah Book Award1966)、William Allen White Children’s Book Award1966)、Pacific Northwest Library Association  Young Reader’s Choice Award1966)などを受賞した(“Rascal(book)”)。
3スターリング・ノースと2匹のアライグマ



引用文献リスト
Foust, John. “Rascal.” n.d. Web. 21 Dec. 2013.
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North, Sterling. Rascal. Illustrated by Schoenherr. New York: Puffin, 2004.
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ちばかおり『ラスカルにあいたい』 求龍堂, 2007.
ちばかおり『「ラスカル」の湖で~スターリング・ノース~』名作を生んだ作家の伝記10 文溪堂, 2010.
    

参考文献リスト
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<http://en.wikipedia.org/wiki/1918_flu_pandemic>.

Rascal:作文②要約

Summary
           Rascal, which was published in 1963, is a lovable novel. Its story is about 11 year-old boy and his pet, a raccoon, Rascal, in Brailsford Junction, Wisconsin in 1918. Sterling North wrote this book autobiographically. Why did the author write about his boyhood and what is his message in Rascal? In this graduation thesis, I will analyze these questions showing the reasons why North wrote an autobiographic novel and why the story focused on Rascal.
           North was a writer, who wrote mainly fiction and biography of American great persons. He had seldom shown himself in his books till Rascal. North had spent so busy days as a journalist, a novelist, a book reviewer, and a biographer. After his children graduated their college, he reduced a volume of work, and then got more relaxed time. A few years later, the death of his father in 1962 made him start thinking about his memory. North noticed that he had to write his wonderful childhood with his family and the best friend in a book. In addition, the year, 1918, had some great events should be told to future generation: WWI, Spanish influenza, and the turning point of transport, from horses to cars. North decided to tell us a part of American history through his own story.
           Rascal is one of main characters in Rascal. There are three reasons to become main. First, North’s favorite animal was raccoons, so he wrote a raccoon story. Second, Rascal was the special and best friend for Sterling. Their memory was good to be novelized. Third, since Sterling and Rascal shared their much time, it was easy to connect to other memories: about Sterling’s family, hobbies, trips, and the pie-eating contest. Moreover, North was able to write also his mother’s words which were told him during her life and were reminded by Rascal’s action. Thanks to Rascal, the happiest boyhood year was all beautiful. At the end of the story, Sterling returned Rascal to the forest around Lake Koshkonong, wishing Rascal and his kits would live there for many pleasant years.
           We learn from Rascal 100 years ago American life and the importance to save the nature. By reading this book, the good old days North enjoyed will stay in our heart forever. Furthermore, Sterling and Rascal can play together forever, too, in a novel. Rascal is the masterpiece of Sterling North.

Rascal:思いつきテーマ

仮タイトル「ラスカルの育て方~飼育マニュアルは“Way-Atcha, The Coon-Raccoon of Kilder Creek”~」

はじめに.
 もしも、ラスカルを手に入れてから、アライグマの飼育方法を知るためにスターリングがアーネスト・T・シートン著“Way-Atcha, The Coon-Raccoon of Kilder Creek”を読み、そこから得た知識を実際に使っていたと仮定するならば、スターリングのおこなったラスカルの世話は成功だったと言えるのかどうかを証明する。

I. Rascalの中に見られる“Way-Atcha”の情報(スターリングが“Way-Atcha”を参考にしたと思う理由)
1.ラスカルと過ごした1年が1918年から1919年であり、Wild Animal Ways1916年に出版されていた。読むことは可能である。
 2.赤ちゃんラスカルの生活―木の穴を巣にした、生後2カ月は巣穴でじっとしている
 3.ラスカルの食糧事情―ワイアッチャは母親から狩りを教わる、ピゴット家でお菓子をもらったりニワトリの卵を食べる、トウモロコシは話に出てこない
 4.ラスカルとワイアッチャの運命―野生で生まれ、人間に飼われ、野生に帰る(ワイアッチャは自然界に戻った後まで描かれている)
 5.ラスカルという名前の由来―シートンは、いたずらをしたワイアッチャを“the little rascal”と呼んだ(注.アニメのOPでラスカルがノートにインクを付けた手でペタペタと手形を押しているシーンが出てくる。これは“Way-Atcha”の中でも登場するシーン。)

II.ラスカルはどのように育ったのか
 ラスカルが幸せだったかは誰にもわからないが、ラスカルの行動を分析し、スターリングの育て方が間違っていなかったことを明らかにする。
1.      活き活きとしたラスカルの振る舞いと私が見た動物園のアライグマとの比較
2.      本能に従うことがラスカルのためとすると、スターリングがやった育て方でラスカルは野生に帰る準備ができていたのか
―スターリングの基本的なペットの飼い方、飼ううえでのポリシー「自由の尊重」→ラスカルは伸び伸びと生活できた
―ラスカルの能力を確認:食糧確保、檻から出られる器用さ、敵に立ち向かう力→スターリングと別れた頃には一人前になっていた

終わりに.
 ワイアッチャは野生のアライグマとして自然界に無事復帰することができた。しかしラスカルの場合はわからない。スターリングはコシュコノング湖でラスカルと別れたきり、一度も会っていないからだ。ワイアッチャがハッピーエンドを迎えられたのも、物語がフィクションであるからだろう。だがそれでも私たちは、スターリングが立派にラスカルを育て上げ、ラスカルが幸せなアライグマライフを楽しんだと信じよう。

Rascal:作文①

はじめに
私がRascalという本を初めて手に取ったのは高校生の頃。内容を知らなかったが、名前だけは知っているそれを読んでみることにした。なるほど、アニメ化されたからといって簡単な英語で書かれているのではないのだな。私は23度読もうとトライしたが、1ページ目でことごとくギブアップした。それから大学生になり、2011年秋、テレビでスープのCMを見ていた私の目に飛び込んできたのは「つける」か「ひたす」かで迷っているラスカルだった。なるほど、やはりラスカルは今でも人気のキャラクターなのだな。そういえば、Rascal買ったけど読んでないなと思い出した私は、久しぶりにその本を開いて閉じた。やはり難しい。アライグマの話なのに、2ページ目のセントバーナード犬について書かれたところが読み取れず、呆気なく断念した。2012年、卒業論文を書くか書かないか決める頃、「大学生だから書くでしょ」と言いながらテーマを探していた。そうだ、Rascalあるからアレでいいや。この機に読んでしまえ。日本でこれだけ有名なのだから、情報だってたくさんあるだろう。私はイギリス文学のゼミからアメリカ文学のゼミに変更する上、何より動物が好きなのだから、これほど自分に合う作品は無いだろうと考えた。しかし甘かった。Rascalを読むまでは順調に進んだのだが、そこから何を論じようかなかなか定められなかったのだ。インターネットでスターリング・ノースやRascalを調べたが、話の要約や簡単で同じような情報が載っているばかり。日本のサイトでは原作ではなく、『あらいぐまラスカル』のことばかり。更に、ラスカルというキャラクターが独り歩きしてツイッターまでやっていると知った日にゃ、私は呆れてしまった。日本語で書かれた論文でラスカルを使ったものは、アライグマの野生化を伝えるもののみ。ラスカルやスターリングを正しく教えてくれる本を書いているのは、ちばかおりさんだけなのだ。これだけ優れた作品を正しく理解していない日本人は恥だ。私はちばかおりさんに続き、Rascalという本の姿をより多くの人に見せたい。そしてこの論文の進む方向が決まった。
1964年に出版されたスターリング・ノースのRascalについて論文を書くということで、私はとりあえずアライグマを見に動物園へ行った。アライグマ舎の中でウロウロ歩き回っている2匹をしばらく観察していると、「アライグマだって。ラスカルだよ」と言う声を聞いた。私の隣に、小さな男の子を連れた女性がいたのだ。そのまま観察を続けながら、「やはり日本人にとって、アライグマといえばラスカルなのか」と思った。その親子が離れていった後も、誰かが来るとアライグマ舎の前で「ラスカル」という言葉を耳にした。彼らはどれほど理解してその名を口にしているのだろうか。恐らく、薄っすら記憶にあるテレビで見たストーリーと今でも人気健在のかわいいラスカルが大半の日本人にある知識だろう。一方、ある程度この物語を知っている人の中には、ペットのラスカルを森へ帰すなんてスターリングは無責任な奴だとか凶暴なアライグマを日本に持ち込んだ最悪のアニメだとかいう見方をする人もいるようだ。私はこのような人たちに原作をしっかり読んでもらいたいと思う。原作を理解できれば、この作品がアニメ化に選ばれたことも、クリエーターたちが日本人に見せようとしたこともわかってくるはずだからだ。日本人はRascalをぞんざいに扱ってはいないだろうか。「かわいい」だけのラスカルに注目する前に、「スターリングの親友」としてのラスカルの話を知っておくべきではないだろうか。これからRascalの魅力を、ストーリー、舞台となる時代と当時の生活、作者という3つの要素から解説していく。名作と呼ばれるこの物語を見直してほしい。世界中がRascalの素晴らしさを認めているのに、これだけラスカルの知名度が高い日本がそれをわかっていないというのはおかしいのだ。

1.      キャラクターと友情
 Rascalには「人間と動物の友情」が見られる。これは動物好きな人が追い求めるテーマであり、年齢、国を問わず、そのような多くの人が「読みたい」と思う条件の1つとなる。確かに、このテーマを扱った作品は他にも多くあるが、その中でもRascalは特別に輝いている。何故なら、まず1つにこれがスターリング・ノースの自伝小説であるからだ。全くのフィクションではなく、実際にあったということで人は感動しやすくなる。また、スターリングとラスカルがそれぞれ読者に好かれやすいキャラクターであるという点も理由に挙げられる。では、スターリングがどういう少年で、何故ラスカルが特別なのかを見ていく。

スターリングとは
 上記したように、Rascalはスターリング・ノースの自伝小説であるため、語り手であり主人公の男の子は著者本人である。しかし、ここではスターリングを1人のキャラクターとして注目する。そうすることで、彼がどれだけ主人公という大役に値する人物であったのかがわかってくる。
 まずこの物語を読んでもらうためには、読者に興味を持たせる必要がある。そこでスターリングの特殊な生活が目に留まる。アライグマを飼いたいと思うきっかけとなるのだから、これが無ければ話は始まらない。スターリングは家族を「おもしろくて、教養があって、愛情のこもった優しい」(“interesting, well-educated, and affectionate”)(28)人たちだと言っているが、そんな大好きな家族と楽しく暮らす生活は終わっていた。母はスターリングが7歳の時に他界。兄はヨーロッパの戦争に行っており、上の姉はミネソタで結婚生活、下の姉はシカゴの大学院に通っている。唯一一緒に暮らし続けている父でさえもよく仕事で家にいない。11歳の男の子には心細い生活環境だった。そのさみしさを埋めようと、スターリングはたくさんのペットを飼うようになる。ここにわんぱくなアライグマの子供が加わり、スターリングの毎日は冒険へと変わった。悲しいことや楽しいことが次々に起こり、それらの出来事が読む人をRascalの世界に引き込んでいく。家族としては、優しく面倒を見てくれる母親がいない、兄のことが不安でならないなどの辛い部分、そして、たまに姉たちが帰ってきてくれる、息子に対し放任主義の父が車で小旅行に連れて行ってくれるなどの嬉しい部分。非常にバランスが取れている。ラスカルに関しては、檻に閉じ込めなければならないことを考えつつ、スペリオル湖でのキャンプを存分に楽しむなど。どうにもできない悲しみとささやかな喜びの数々を前に、読者は同情と安堵を感じる。ラスカルと過ごす1年をスターリングの目を通して、気持ち良く読み進めていけるのだ。
 とはいえ、スターリングの家庭事情や1人で家事をこなしているところなどを見ると、ひどく大人びて見えてしまう。本当に11歳なのかと疑いたくなるほどしっかりしているのだ。けれども、楽しそうに、また熱中して遊んでいる彼を見れば、そんな疑心は頭の隅に追いやられる。戦争只中の当時としては、両親が長時間働いていたり、子供が疎開をしたりしていたため、親子が離れ、子供らが自立して成長しているのは珍しくなかったが、料理や広い家の掃除、ペットの世話に畑の手入れを1人でやりつつ趣味もきっちりやっているスターリングは凄い。だが、正真正銘11歳の釣り好きな少年なのだ。思わぬ吉報に、ラスカルを持ち上げてクルクルと小躍りしてはしゃぐスターリングに、読者は彼のあどけなさを見る。彼も普通の男の子なのだと落ち着けるのだ。
 更に、主人公たる者、果敢なチャレンジャーでなければ読者はついてこない。スターリングはその要素も持ち合わせている。第一の挑戦はカヌーを作ること。設計、材料集めから組み立てまでをほぼ1人でやっている。2年かけての大作ということで、彼の根気とガッツの結晶とも言える。決めたことを最後までやり遂げるスターリングの強さが窺える。第二に自分でお金を貯めることだ。畑で採れた野菜を売ったり、アルバイトをしたりと、カヌーの材料やプレゼントを買うために働いて稼ぐ。子供なのだから大人に借りるなどすれば良いのに、彼はそうしない。プレゼントなどのご厚意はありがたく受け取るが、立ちはだかる問題には1人で取り組もうとする。そして、最も大きな成果を出した挑戦がラスカルの世話だった。子供のアライグマは人懐こいとはいえ、その飼育は簡単ではない。ましてやスターリングはラスカルを手に入れる時点まで、アライグマの生態をよく知らなかったのだ。大変な課題にスターリングは手を出したということだ。それでも途中で投げ出すことなく、ラスカルを立派な成獣に育て上げた。彼の困難に立ち向かう姿に、読者は応援してしまう。
 もう1つ読者がスターリングに感じるのは憧れだ。スターリングという少年を紹介するうえで欠かせないのは、彼が自然が大好きだという点である。両親や先生が優しくスターリングに生物学を教えてくれ、自然への興味がわいた。そしてペットを飼うことで動物を愛する優しい心も得られた。そんなスターリングが個性豊かな動物たちとふれあう度、人によっては懐かしみながら羨ましがっているようだ。更に、Rascalを好んでいる人たちは、動物好きの人に是非読んでもらいたいと薦めている。のどかな動物たちとの暮らしが描かれているからだ。犬、猫、ウッドチャック、カラス、アライグマに囲まれた生活。隣の家にはラスカルに懐いている駿馬がおり、叔父の農場に行けば牛の乳搾り、豚の餌やり、気晴らしにポニーに乗ったりする。森ではさまざまな野生動物との出会いがあった。家族について見れば彼の生活はかわいそうに思えるが、動物たちとふれあうという角度から見ると、本当に充実したものだったと言える。彼らとの思い出が幸せの糧になっていたのは間違いない。動物たちの自由を尊重している動物好きにとって、理想郷のような世界が広がっているわけだ。
 以上のことから、スターリング少年というのは読者の興味を引きながら退屈させない話を見せ、大人びた振る舞いの中に子供らしさを出して私たちを微笑ませ、頑張る姿で惚れ込ませ、夢のような動物たちとのふれあいでちょっとした嫉妬まで起こさせる、そんな男の子だったのだ。このように人の心を変化させるのだから、彼は主人公に相応しい。無責任なことをするような子には到底見えないのだ。スターリングの活躍があって、Rascalはおもしろくなっている。

ラスカルとは
 次はこの小説のタイトルにもなっているラスカルについて見ていく。ラスカルというと、日本中の誰もがとりあえず「かわいい」と口をそろえて言うだろう大人気キャラクターだ。しかし、海外では“cute”よりも“curious”“humorous”という言葉でイメージされている。“rascal”と似た意味の“mischievous”も読者のコメントでよく見られる。“cute”“charming”も使われるが、ラスカルの外見に対してではなく、ラスカルの行動を表現するために使用している。原作を知っている人からすると、ラスカルの魅力はこの子の内面にあると考えられるようだ。
 スターリングがラスカルを見つけた時、ラスカルは乳離れもしていない赤ちゃんで、1ポンドにも満たないフワフワのボールのようだった。それでもトレードマークの縞々シッポと目の周りにある黒いマスクはしっかりついていた。スターリングとハウザーはこの小さなアライグマにすっかり心を奪われてしまう。ラスカルが成長するにつれて、その性格も現れてくる。とてもおもしろい子で「スピードと冒険と探検が大好き」(“loved speed and adventure and exploration”)(118)な、名前の通りやんちゃ坊主だった。野生動物らしく、好奇心のままに行動するラスカルは小さいながらも「ライオンのハート」(“Weighing . . . little creature had the heart of a lion.”)(36)を内に秘めていた。ポーとケンカしたり、熊皮の絨毯に挑んでみたり、カモの親子に負けて帰ってきたりと、ラスカルもラスカルでチャレンジャーなところがある。そんな勇敢さを見せる一方で、ラスカルは何ともかわいらしい寝方をしてくれる。シッポを枕にして丸まって眠ったり、木の上で腕も脚もだらりと垂らして日光浴をしたり。まるで小さな子供を見ているようで、こちらは楽しくなってしまう。Rascalはただの厄介者というそれまであったアライグマのイメージを、仲良くなればこんなにおもしろい友人になるという新しいイメージに塗り替えてくれた。
 そしてまさしくラスカルがアライグマだったからこそ、この物語が特別になったのだ。動物が登場する文学作品の中で圧倒的に多いのは犬の話だ。それから猫、馬、鳥、クジラ、家畜、ライオンなど、ファンタジーとなれば空想上の動物が山ほど出てくる。アライグマが主役級で取り扱われている作品は多くない。その上、人間のように歩いたり話したりするのではなく、動物として描かれているものに絞ればなおのこと少ない。Rascalほどアライグマの生態を活き活きと書いた作品は、シートンの“Way-Atcha, The Coon-Raccoon of Kilder Creek”くらいに限られる。文学の中でも珍しい北アメリカ原産のアライグマは、世界中の人々の興味を集めた。更に、他の動物では真似できないようなアライグマ特有の能力が、その魅力を引き立てる。スターリングが「ずっと先の未来に、アライグマは人間みたいに進化するんじゃないか」(“So in one hundred million years or so, couldn’t raccoons develop into something like human beings?”)(137)と思うほど、器用にいろんな物を掴む手が、さまざまなことを可能にするのだ。食べ物を洗う、ドアを開ける、自転車のカゴに乗る、ビンを両手両脚で持っていちごソーダを飲む、メリーゴーランドやポニーにも乗る。どれをとってもかわいい。この魔法の手でペタペタ触られると、スターリングもドニィブルックもいちころなのである。しかしそれだけなら猿でもできる。まだおもしろい生態があるのだ。音楽を聴いて楽しんでしまうし、水泳だってできる。スピード狂のラスカルは、生きた毛皮帽子になってまでスターリングの頭の上でスケートのスリルを味わってしまう。カヌーに乗れば船首像のようになり、車に乗ればウィラードとスターリングがゴーグルを着けるその間で自前の黒いゴーグルをして思い切り風を感じている。眠気に襲われていない限り、彼はどこだってついてこられるのだ。アライグマが優れた生き物だということを、Rascalの中でスターリングは私たちに教えている。
 では、ラスカルはどうしてお茶目にいろんな行動ができたのだろうか。その答えはスターリングとの絆にあった。この少年とアライグマには、互いに母親がいないという類似点がある。彼らにはわかりあえる想いがあって、支えあっていける、そんな絆があったのだ。共感からくる好きという感情がラスカルを更に特別にさせる。それに加え、ラスカルはスターリングを必要とすることでスターリングを想っているという意思を示している。言葉を発しないラスカルだが、行動で彼の心が少しでも理解できる。トウモロコシ欲しさに抜け出すことはあっても、ラスカルはスターリングの元から逃げようとしなかった。「ぼくのことを本当の親のように見ていたんだ」(“looking to me as his natural protector”)(62)とスターリングが感じるほど彼のことを頼っていた。アイリッシュピクニックのパイ食い競争ではスターリングをアシストした。その時のことを“my best friend came to my rescue”127)と綴っている。彼らの友情が光った瞬間であり、何とも微笑ましいシーンとなった。助けに来たことから、ラスカルもスターリングのことが好きなのだとわかる。アライグマとしての生き方も教えつつ、伸び伸びと育ててくれたスターリングのそばにいて、ラスカルは幸せだった。大好きで、信頼できるスターリングといたため、ラスカルは様々なかわいい仕草を見せてくれたのだ。
 ラスカルの愛らしさは態度や振る舞いからくるものとも、人は理解しておくべきだ。ラスカルがアライグマであるから、そのような行動ができたということ。更には、安心できるスターリングのおかげでラスカルらしさを発揮できたということも確認すべき点である。

ラスカルへの愛
 スターリングとラスカルについて理解したところで、今度はスターリングがラスカルに対してどう思っていたのかを見ていきたい。彼の行動から読み取れるラスカルへの愛とは何だったのだろうか。
 とにかくスターリングはラスカルと一緒にいようとした。遊びも、食事も、寝る時も、仕事も、風邪をひいた時も、ラスカルが檻に14日間閉じ込められた時も、いつも一緒にいた。檻を作り始める前夜、木の上で星を眺めながら、自分たちがいなくなったずっと後になっても一緒に遊んでいられるように、大熊座と小熊座になりたいとさえ思った。彼らの関係は運命共同体と呼べるものだった。「もしラスカルを閉じ込めなければならないのなら、ラスカルと一緒にぼくも閉じ込めなければならない」(“if they have to lock up Rascal, they’ll have to lock me up with him”)(141)このセリフがスターリングの想いを物語っていた。
 一緒にいたい理由は、もちろんラスカルが好きだからで、特別な存在だからだ。辛い時も支えあえる大事な親友と長く暮らしたいがために、スターリングはラスカルを守った。だからラスカルから自由を奪う首輪もリードも檻も承諾することにしたのだ。この訴えが出てきたのは8月のこと。ラスカルは一人前とはいえないが、食べ物を自力でとってこられるようになっていたはず。ならば、スカンクを森へ逃がしてやった時のように、ラスカルも放してやるという選択肢があったはずだ。しかしそうはしなかった。ラスカルと離れる気など全く無かったのだ。自分に懐いているペットとそう簡単に別れることなどできない。それから彼にはラスカルを育て上げなければならない責任があった。スターリングにとってラスカルは初めから守るべき対象だったのだ。「あいつ[ラスカル]をいじめようものなら、町のどんな男の子でも犬でも、ぼくら[スターリングとハウザー]が相手になってやっただろう」(“We[Sterling and Wowser] would have fought any boy or dog in town who sought to harm him[Rascal].”)(15)と物語の第一段落目で早々に言っている。赤ん坊のラスカルを捕まえた直後にはこうも言っていた。「ぼくはアライグマを飼える喜びで何も言えなかったのもあるが、今後ぼくらに課せられる大変な責任で怖気づいてもいたんだ」(“I was both overwhelmed with the ecstasy of ownership and frightened by the enormous responsibility we had assumed”)(23)本来ならアライグマ一家で連れて帰るはずだったのに叶わず、赤ん坊アライグマは母親から引き離されてしまった。母親のいない辛さを知っているスターリングが、小さなラスカルから母親を奪ってしまったようなものだ。不覚にも自身と同じ境遇にさせたことで使命感がうまれた。守り抜いて、大人にしてやるという断固たる決意だ。この守りたいという気持ちがラスカルへの愛の根源にあり、愛しているからこそ怒った時もあった。セオがラスカルを外に追い出せと言った時とトウモロコシの被害を訴えられた時、スターリングはラスカルが自由である権利を主張した。また、心無い大人がラスカルを見て良い毛皮になると言った時は、そんなことさせないと言った自分の怒った声に驚きもした。全てはラスカルを守るために。
 しかし、物語の最終章でスターリングの心境は大きく変わった。それまで一所懸命世話をしてきたのだが、成獣になり始めたラスカルにしてやれることの限界を感じだしたのだ。本能のまま町を歩き回るラスカルの命の安全を保障してやれなくなった。そう確信したスターリングはラスカルとの別れを決める。ラスカルの自由を尊重しており、このままペットにさせておくのは自分勝手で軽率だと思われた。スターリングが最後にしてやれることは、ラスカルを自然の世界に戻してやることだった。彼はラスカルを捨てたわけではない。ラスカルを本来いるべき場所に帰してやったのだ。注目すべきなのは、スターリングが最後の選択をラスカルに任せたところで、首輪を購入した時と同様にラスカルがどうするかを待ち、そして言葉でラスカルの背中を押してやった。“Do as you please, my little raccoon. It’s your life.”189)スターリングの想いを受け止め、一瞬躊躇ったラスカルが彼らの間に真の友情があることを証明した。

 読者にとって、こんな名コンビが少年とアライグマで、しかも実際にいたのかと思うと、感動もひとしおだ。結末がドライでありながらも、残る余韻に浸ってしまう。自然を愛したしっかり者のスターリングといたずらっ子のラスカルが見せてくれる友情で満ち溢れた日々を追ったために得られる余韻だ。この2つの愛すべきキャラクターと彼らの深い絆があって初めてこの思い出は語られるに相応しいストーリーとなれた。スターリングとラスカル、そして彼らの友情はこの小説の要であり、魅力の1つなのだ。

2. 1918年という時代
 スターリングがラスカルと過ごした1918年は、アメリカにとっても世界にとっても重要な年だった。第一次世界大戦(WWI)が終わり、スペイン風邪の流行があり、アメリカでの大量生産と大量消費が主流になり始めた時だ。スターリングは世界の陰を見ていた。そして一方で、多くの子供が経験する楽しい生活の中にいた。ここでは、Rascalが単なる動物物語ではないことを確認していく。それがこの小説の存在理由になるからだ。

その時を伝える
 多くの死者を出した世界規模の出来事、WWIとスペイン風邪。スターリングに大変な危機をもたらしてはいないが、これらは無関係ではなかった。
 物語の中でも重要事項となっているWWIは、スターリングの悩みの種でもあった。砂糖などの配給制や家の畑(“war garden”)のような日常の一コマからも戦時ということが読み取れる。町の様子も、戦争の影響が見られた。1914年、スターリングの母エリザベスが亡くなったその年にWWIが始まる。アメリカは中立の立場にあったが、1917年に参戦。兄ハーシェルは兵士としてフランスの戦場へ行ってしまった。物語はここから始まる。以下は物語で登場する戦争関連ページのリストである。
P23        水平線で光る雷を見て大砲を連想すると、戦争を思い起こしたスターリング
P24        オスカーが叱られることやアライグマの世話など、なんてちっぽけなことで悩んでいるのかと思う。自分たちの平和な土地と遠い国の戦場を比較
P35        町にあるタバコ交易銀行に貼られた地図で戦況を知る。また、雷の鳴る夜は、たとえラスカルと一緒に寝ていようと悪夢を見たと語る
P65        ウィラードも少しはハーシェルを心配している模様
P71        戦争ごっこの禁止
P72        町の好青年ロリー・アダムスの戦死と葬式。戦争が遊びではないと気付いた子供たちの協力的活動
P112      多くの男性が戦争に行っており、農業は人手不足だった。そのため、子供たちも手伝いに忙しく、学校は新学期開始を延期させた
P113      ハーシェルからの手紙が届く。それ以前、スターリングは戦争の本を読んで、どのシーンからもハーシェルを連想させてしまい、兄が傷つく姿を夢で何度も見ていた
P114      その夢の内容と無事であることくらいしかわからない手紙の内容
P156      スターリングの誕生日に休戦の知らせが来た
P160      町中が歓喜に沸く
P164      ハーシェルからの手紙。体験談と、占領軍の新たな仕事のために半年は帰ってこられないという知らせ
このように、スターリングにとってWWIは頭から離れない大きな事だった。アメリカ軍は終戦までに約400万人の兵士をヨーロッパへ送った。内、10万人以上が戦死。そんな中でハーシェルは生き残ってくれたのだが、スターリングに多大な心配をかけ、無事を祈ることしかできない歯痒く苦しい時間を長く過ごさせていた。雲行きが怪しくなると、考えたくもないのに戦争の様子が目に浮かび、スターリングは人が死んでいくことを考えてしまう。彼のように、安全な国で、自分の目の前にある問題の対応に追われる日々の中、辛い思いで待ち続けた人がどれほどいたことか。RascalWWIについての資料を事柄からも人の心からも集めた物なのだ。
 第7章で登場したスペイン風邪は、戦争と並び深刻な問題となっていた。スペイン風邪の起源がどこなのかは定かではないが、最初に大きな被害をもたらしたのは19183月のカンザスだった。この病気は他のインフルエンザと異なり、20代から40代の若い年齢層にまで死者を出すほど被害を広げていた。致死率は約20%。とても強力だった。流行の段階は3つに分けられる。第1段階はカンザスの軍事キャンプから移されたウイルスによるヨーロッパへの拡散。全く新しい病気であると初めて公表したのがスペインだったため、この病気はスペイン風邪と呼ばれるようになった。世界中で感染者が増えていき、最も死者を出した第2段階へ突入する。191810月の1ヶ月間だけで195,000人ものアメリカ人が命を落とした。ブレールスフォード・ジャンクションには10月末から流行が見え始めたと書かれている(“Spanish influenza . . . hit Brailsford Junction late in October”)(145)。他の地域同様、この町も学校を閉鎖し、外出する人々はマスクを着用していた。スターリングもこの頃に軽い風邪をひいた。世間の状況が深刻なだけに、ウィラードも念のため息子を弟夫婦の農場で療養させることにした。スターリングが風邪になったとき、いつもそうしているからと病院に行かなかったのだろうが、当時の病院に新しい患者を受け入れる余裕は無かったため、症状が軽ければその選択肢しかなかっただろう。医師も看護師も多くが戦争でのサポートに向かっており、アメリカから離れていた。そんなとき、追い打ちをかけるようにスペイン風邪の流行が始まった。病院は人手不足でボランティアまで募ったが、それでも間に合わないほどだった。それに続き、棺も墓も用意しきれないために、死体が増える一方だった。そんな状態で迎えた休戦協定の日、人々は1つの災難の終わりに喜び、スペイン風邪から目を背けようとした。スターリングも回復後、パンデミックについては語っていない。しかし第3段階がその喜びによって発生した。兵士たちが家族の元に帰る流れに乗って、更にウイルスの移動が激しくなったのだ。そこで生まれた波がようやく落ち着き、1919年春にスペイン風邪の大流行は終わったと言われている。WWIよりも死者を出したこの悲劇は、アメリカで675,000人の命を奪い、全世界で5000万から1億人を1年という短期間で殺していた。
 世界を巻き込んだWWIとスペイン風邪を、スターリングは無力に成り行きを見届けることしかできなかった。しかし、彼の体験したことは暗い過去でありながらも、忘れてはならないアメリカの歴史の一部だった。次の世代の子供たちに、この事実を伝え残す役割をRascalは担っているのだ。

発展の結果
 アメリカにおける文明や経済の発展の中で1918年がどのようなポイントにあったのか、スターリングはその点も観察していた。交通手段に自動車が入ってきたという変化に対しての両極の意見を明らかにし、行き場をなくした者たちの運命をいくつかの角度から見せている。
 広大なアメリカという土地について、私たちには大量生産や大量消費のイメージが強い。この傾向の出発点は、「分業」という考えが生まれた1770年代にまで遡る。これが大量生産の根底にあるのだ。数十年後に銃工場で分業制が見られたが、大きな転換期に当たるのは、それからずいぶん後の20世紀初頭、フォード社が製造したT型車の誕生だ。ここからアメリカは一気に車社会へと変化していった。それまで、車はお金持ちのおもちゃで、決まった運転手が必要なほど乗るのが難しかった。ヘンリー・フォードは便利な車を市民にとってもっと身近な存在にするために、シンプルで丈夫で購入しやすい車を造ろうと決めた。1908年に発売されたT型フォードは1825ドルだった。4年後にはそこから更に下げられ575ドルで売られていた。この手頃な価格のおかげで、1914年までにアメリカ自動車市場でフォード社のシェアが48%を占めていた。これらを可能にしたのは、ベルトコンベアや分業といった効率的な製造工程だった。大量に車を組み立て、またそれを買い取る人も増えていく。1918年、ウィスコンシンの田舎町にも、マイカーブームが来ていた。Rascalでは、姉のセオがスタッツベアキャットに乗って登場した。父ウィラードの愛車はオールズモビルで、その前はモデルTに乗っていた。アイリッシュピクニックでは、フォード、ホワイトスチーマー、パッカードが見られ、ドニィブルックとレースしたサーマンの車はモデルTだった。このような車の流行は、それまで活躍していた馬たちを道の外に追い出してしまうものだった。馬具屋のシャドウィクが乱暴に道を走り回る車をののしっていた。「人の仕事を奪いやがって」(“ruin a man’s business”)(109)時代に取り残されそうな1人の凄腕職人の悲しい姿が描かれている。彼は店の中で文句を言うしかなかった。人が馬よりも車を選ぶ理由はいくつも挙げられる。速く遠くまで走れて時間の節約ができる。運転が簡単で、世話も楽。餌代よりもガソリン代の方が安い。それに、1914年に始まった戦争が馬をヨーロッパへ連れて行ってしまった。その穴を埋めるように車が市民の生活に入ってきた。戦地での役目を終えても、アメリカに馬たちの活躍の場はもう残されていなかったのだ。
 文明によって衰退の運命を辿らされたのは馬だけではない。インディアンたちは追い詰められ、野生動物たちも窮地に立たされている。スターリングは彼らの悲しみも見ていた。ウィラードがインディアンの研究者でもあったため、スターリングはRascalの中で何度か彼らの想いを感じている。ブラックホークの洞窟で、スターリングは謝っているようだった。追い詰める側の人間になっていたと感じたからだ。ウィラードとバートがインディアンについて熱く語り合っている時には、部族のダンスや保護地区へ望みなく移動していく姿を思い浮かべていた。開拓時代、移民たちはインディアンたちを追い払った。また、凶暴な大型動物も倒していった。農業が盛んになれば、その他の動物たちも害獣として駆除し、毛皮や肉のために狩猟のターゲットにもした。時が経つとゲームとして楽しむだけに殺すようにもなっていた。その結果、ジャガーやオオカミは姿を消し、バルバドスアライグマは絶滅してしまった。鳥類学者カムリンが残した知識として、スターリングは父と叔父から2種類の鳥の話を聞かされる。ホイッパーウィルとリョコウバトだ。ホイッパーウィルはアメリカでよく知られた鳥で、姿を見るのは難しいが絶滅危惧種ではない。しかし、数は減ってきている。彼らの生息地は開けた低木層の森で、まさに手付かずのカムリン農場は打って付けなのだが、こうした場所が郊外や農地になってしまい、無くなってきているのだ。更に、地面に座って休むことがある彼らは車に撥ねられてしまうケースもある。スターリングを感動させた彼らの歌声は、このまま放っておけば消えてしまうのではないだろうか。絶滅させてはいけない。スターリングが思った「ホイッパーウィルの声を聞くには、ぼくが生まれてくるのは遅すぎたみたいだ」(“I had been born too late, it seemed, even to hear a whippoorwill.”)(55)という考えを、将来の子供たちに抱かせたくはない。リョコウバトのように手遅れにさせてはならないのだ。かつて殺しきれないほど飛んでいたリョコウバトだったが、ハンターたちによって18999月野生では獲り尽され、191491日動物園の中で最後の1羽が死んだ。フレッドは自作の剥製を前に、自慢げにスターリングに語っていた。彼は動物を殺すのが好きだった。スターリングとは真逆の考えの持ち主である。リリアンがスターリングを気遣って、夫に言葉をかけるが、その時の雰囲気は重苦しかった。
 大量に物事を変え、影響を与えるアメリカの脅威が記されている。発展が時に少数派を傷つける残酷さも、Rascalの中で隠すことなく語られていた。

子供の楽しみ
 読者にしてみると、過去から厳しい教訓を突きつけられているようだが、Rascalはそれだけではないから良い。今はもうなくなってしまったが、昔は家から遠くないところで馬が飼われていたなと、自分の経験を振り返り、大人の読者は懐かしむことができる。スターリングの生活が暖かい思い出を呼び起こしてくれるのだ。
 学校から帰った後、友達と外に遊びに行くなど、小学生なら当たり前で誰もが夢中で楽しんでいた。公園に行くと色んなごっこ遊びをし、勝ったり負けたり、泣いたり笑ったりして忙しかった。スラミーのような強がりな問題児が1学年に1人はいて、その子が先生に怒られているのを遠くから見ていたりした。そんなこともあったと、Rascalを読みながらクスクスと思い出し笑いをしてしまう。ペットとの生活もかなりの人が経験することだ。餌をあげてはもっともっととせがまれて困ったり、いつの間にかこっそり目の届かないところに行かれてしまっていたり。言葉が通じているのかわからない彼らに、誰にも打ち明けられない悩みや秘密を聞いてもらい、妙に強い信頼を寄せてみたり。家族の中で誰よりも早く別れの時が来たり。スターリングと私たちの思い出は重なる部分が多い。家族旅行では非日常を体験し、ワクワクする。お祭りや遊園地では、やけにお金の使い方を熱心に考えた。クリスマスには家族が集まって、おいしいご馳走を食べ、プレゼントを開けては兄弟で中身についての口論をしたり。キラキラした記憶がよみがえってくる。そしてスターリングのように、自分も両親からたくさんのことを教えてもらっていたことに気づかされる。身近にいる鳥や花の話、昔の話などを聞かせてもらっていた。頭の隅に残っていたものが、Rascalをきっかけに心地よく中心に戻ってくるような感覚を味わえる。日本で放映されたアニメ『あらいぐまラスカル』の遠藤政治監督は制作にあたり、「そうだ、自分を描けばいいんだ」と思ったそうだ(「制作スタッフ」 13)。他のスタッフも、ブレールスフォード・ジャンクションのモデルとなっているエジャトンのロケに行ったときに自身の故郷を思い出し、『あらいぐまラスカル』の世界を無理なく描き出すことができた。スターリングの生活は一見特別なもののように見えるが、実は読者11人の中にもある普通の生活でもあったのだ。その生活は、大人たちが知る古き良き時代のことだった。

 1918年という過去を舞台にしたことで、Rascalはアメリカの歴史や文化を知れるテキストとなり、大人たちが読めばノスタルジーを感じさせる作品になっている。物語作品に留まらないところが2つ目の魅力だ。

3. 著者の表現力
 1冊の本が名作になるには、優れた書き手が必要となる。著者としてのスターリング・ノースは表現力に長けていた。それはRascalを読めばわかることだ。色鮮やかな風景、ラスカルの一挙一動、スターリング少年の感情が読者の頭の中で鮮明に思い描かれる。身構えずとも、アルバムを開くように心地よいペースでページをめくることができるのは、スターリングが見たままを書いてくれているからだ。何故スターリングにここまでの技量が備わっていたのかを知るには、彼の家族とキャリアを知らなければならい。Rascal3つ目の魅力、作家スターリング・ノースの表現力を最後に注目していく。

家系
 スターリングの文学の基礎にある彼のセンスは、先祖たちから受け継いだものだった。そしてスターリングが直接受けた刺激も、彼に影響を与えている。
 スターリングの曾祖父トーマス・ノースは大変な読書家で、1847年にイギリスからアメリカへ移住してきた際に、大量の本を持ってきていた。また、母方の叔父にあたるジャスタス・ヘンリー・ネルソンはスターリングに本作りを見せた。ジャスタスの名はRascalの中でも登場する。ラスカルが寝転んでいるジャガーの絨毯について説明されているページ(“he was lying on a large jaguar-skin rug which Uncle Justus had sent us from Para, Brazil”)(48)で出てくるのだ。彼はアマゾンで初めてプロテスタントの教会を建てた功績を持つ人物で、1917年ジャスタスの父ジェームズの100年目のバースデーにて、兄弟たちと共に両親についてと開拓時代の農家の生活を書いた伝記を制作した。本が好きであること、本を自ら書くことは、スターリング・ノースの家系に脈々と引き継がれている。しかしそれらは本能的な部分の話であり、知識という別の物もまた彼らは子孫に伝え残している。曾祖父トーマスと祖父トーマス・ジュニアは父ウィラードに開拓時代の話を聞かせ、ウィラードはそれを息子のスターリングに教えていた。もちろんスターリングはウィラードの子供時代のことも知っている。記憶力にも恵まれたスターリングは、時代を超えた知識を吸収していたのだ。
 家系とは離れるが、カムリンも重要人物だ。父の語る、動植物の見分け方や名称を教えてくれたこの旧友との思い出は、スターリングの心を捉えた。スターリングにとってカムリンは憧れの存在だった。カムリンを尊敬していることは明らかで、Rascalでカムリンとは何者かを詳しく書き、The Wolflingではカムリンをそのまま登場人物にしている。彼の知識はウィラードを通してスターリングに渡された。Rascalで使われている動物の名前は100種以上、植物は60種以上にもなる。それらは時に比喩として使われ、鳥は鳴き声までも書き出されている。自然に関する知識は、読者にその姿と音をはっきりと伝えてくれる。
 両親から受けた教育もスターリングに影響している。母エリザベスは大学を首席で卒業するほど秀才な人だった。彼女の専門は生物学、言語学、歴史である。これら3つはスターリングの書いた本のジャンルと一致する。スターリングは優しく物事を教えてくれる母との時間をいつまでも大切にしていた。父ウィラードも大学を出ている。彼は薬学と考古学に詳しい。両親が共によい教育を受けていたため、文学好きになるように育てようと、エリザベスとウィラードは子供たちに読書や詩の創作をさせたていた。それでノース家の4兄弟は、詩の暗唱や自作の詩を家族の前で披露し、ちょっとした競争をするようになった。年の離れた姉たちの作る詩は児童文学の雑誌に掲載され、受賞もしていた。それを見て、スターリングも負けずにより良い詩を作ろうと励み続けた。1914年、8歳になったスターリングが書いた“A Song of Summer”という詩が、初めて雑誌に掲載された。とても美しい詩で、夏の陽気から終わる物悲しさまでを漂わせている。その年の春、エリザベスは肺炎で亡くなっていた。大切な人を失った後にやってきた季節を詩っているのだ。そしてここからスターリングは文学の才能を開花させていく。
 スターリングの家系は本を愛する人たちが多く、作家として成功した者が、姉ジェシカ、スターリング、娘アリエル、と3人もいる。この一家は、物語を紡ぐ力を生まれた時から秘めている人々の集まりだと言える。

仕事
 受け継がれたものを才能と呼ぶのなら、才能は初めから持っているものだ。そして技術は後から身につけるもの。スターリングは、仕事を通して段階的に自分なりの書き方を確立していった。
 幼い頃から文学に親しんでいるスターリングだが、初めから作家志望だったわけではない。体を動かすことが好きだった彼は、中学でアメフトをやっていた。将来はスポーツ選手になってやろうとまで思っていた。しかし、15歳の時にポリオにかかってしまう。この病によってスターリングは歩けなくなり、スポーツへの夢は諦めざるを得なかった。それでも普通に歩けるようになろうと、無理やり湖を泳いで回復させてやろうと試みたりした。
 そんな負けず嫌いのスターリングが新しい道を切り開けたきっかけは、高校の国語教師マーガレット・スタッフォードとの出会いだった。ウォーレン先生と並び、スタッフォード先生の名前もRascalの中で書かれている(“Miss Stafford made English a delight. And Miss Whalen loved biology as my mother had loved it.”)(134)。素晴らしい先生として紹介されているのだ。彼女は生徒たちに「自分たちの周囲の生き物をよく観察して、明瞭に、そして簡潔に書くように」(ちば 『あいたい』 73)と指導していた。スタッフォード先生のおかげで、スターリングは書くことの楽しさを学ぶことができた。
 大学進学後シカゴに移ったスターリングは、学費を自分で稼ごうといくつかの仕事をした。足が不自由なため、主に事務作業をしていたが、詩や短編を売って稼いでもいた。学内で雑誌の編集やミュージカルの台本を書くなどの活動もしており、物を書く経験を積んでいった。19292月に初めて書いた本The Pedro Gorinoが出版される。
 本の成功で自信のついたスターリングは大学を中退し、同年6月、シカゴ・デイリー・ニュースの新聞記者になった。頼まれたらどんな記事でも書く、努力と才能を持ち合わせたこの若い記者は早々に出世していき、1932年、デイリー・ニュース社の文芸セクション編集長に任命される。新しい作家の発掘や本の書評を書くことが仕事の内容だった。そして2年後の1934年、Plowing on Sundayを出版した。Rascalと同じく、舞台はブレールスフォード・ジャンクション。本自体は売れたが、リアリティを求めすぎ、キャラクターが町の誰を書いたものなのかがはっきりわかってしまうため、エジャトンでの評判は悪かった。
 都会の暮らしに息苦しくなったスターリングはPlowing on Sundayの売上金を使って、ミシガン州にある農場を買い、「アルファルファとオメガ」と名付けた。1940年、もっと大きな農場で動物を飼いたいということで、「アルファルファとオメガ」を売り、イリノイ州で別の農場を買った。それから3年後にニューヨーク・ポスト誌から文芸部編集長のオファーが来たため、ニュージャージー州モリスタウンへ妻と2人の子供を連れて引っ越した。そこでも家畜を飼っていたが、第二次世界大戦が始まり、農場の仕事を手伝ってくれる人手が無かった。家族総出で動物の世話をし、仕事もこなしていたスターリングは多忙な日々を送っていた。
 1957年、子供たちが大学を卒業した後、スターリングは雑誌の仕事を辞め、ノース・スターブックスを立ち上げる。そして伝記シリーズを次々に出版していった。スターリングは「アメリカの歴史を語るにはどういう方法が優れているか」を友人と話していたという。それで、「だれかの人生のストーリーを通して語るのがベストだ」(ちば 『湖で』 102)という結論に至った。これこそ、スターリング・ノースの本の書き方だ。伝記を書くためには膨大な資料が必要となる。事実を読者に伝えなければならないからだ。新聞記者としてのキャリアがここで活かされる。スターリングは現地取材を徹底してやり、リンカーン、ジョージ・ワシントン、エジソン、ソロー、マーク・トウェイン等の伝記を書いた。
 仕事が落ち着くと、家の近くにいる野生動物の存在に気付くようになった。外から聞こえてくる「クルルルルル」というアライグマの声が、スターリングの古い友人ラスカルを思い出させる。しばらくして、1962年、99歳でウィラードが息を引き取った。これらの出来事が、スターリングに大事な思い出を1冊の本に書き起こす衝動を与えた。1963年、Rascalが出版されると、たちまち大人気となった。執筆中、スターリングはRascalの物語を子供たちへのメッセージとして考えていたが、喜んで読んだのは大人たちの方だった。Plowing on Sundayを酷評していたエジャトンの人々が、すっかりRascalのファンになっていたのだ。懐かしい日々がそこに書き残されており、彼らは感動した。ジェシカは家族のことが書かれていることを良く思っていなかったが、スターリングの活躍には満足していた。新聞記者や伝記作家の作業が組み込まれ、スターリング・ノースの中で最高傑作となったRascalは、彼の表現力の結晶だ。スターリングの見ていた時代を実際に経験している人からすると、使っていた物や起きた事件の名前を見てすぐにそれを思い出すことができる。彼らの生活を知らない人が読んでも、その事細かに書かれた情報によって理解することができる。数値がその一例だ。カヌーの大きさ、野菜の収穫量、釣った魚の重さ、ラスカルの増えていく体重。充実した説明により、私たちはスターリングが過ごした1918年を余すところなく知れるのだ。
 Rascal18か国語に翻訳され、世界中の人々に読まれていった。ファンレターがあちこちから届き、ラスカルやアライグマについての質問が多く寄せられ、それらに答えるべくスターリングはRaccoons Are the Brightest Peopleを出版した。この本でスターリングは、いくつかのケースを用いて、人と動物の共存の仕方を示している。作家というよりも、記者としての一面が見られる1冊だ。
 その後、スターリングの体調が崩れる。心臓発作や脳卒中で執筆活動が思うように進まなくなる。そんな中、渾身の力を振り絞って書き上げたThe Wolflingが最後の作品となった。ウィラードとカムリンの思い出と、アライグマと同じくらい好きな動物オオカミを題材にした、彼の中で絶対に書かなければならない大切な物語だ。世間からの評価は良かった。スターリング・ノースは立派なベストセラー作家となっていた。そして1973年、クレストウッド養護院でアライグマたちの元気な姿を見ながら治療するも、197412月スターリングは68歳でこの世を去った。
 彼が亡くなってもRascalは愛され続けた。スターリングの故郷エジャトンでは、地元の人たちがかつてのノースの家を博物館にして、1997年から公開している。スターリングや彼の家族の紹介をし、Rascalの世界を再現しているのだ。スターリング・ノースは紛れもなくエジャトンの誇りだ。そして世界中から多大な支持を得ている。これは彼が及ぼした影響と結果である。

 スターリング・ノースは、想像力をはたらかせるのは読者の役目であり、適格にイメージを伝えるのが著者の役目であるとするタイプの作家だった。彼が本を書く目的はRascalでエリザベスとリリアンの口を借りて明らかにされている。「この時を永遠に残していける」(“You could keep it just like this forever.”)(180)スターリングは、父が自分に知識を先祖から受け渡してくれたように、自らも蓄えた知識も上乗せして本という形で言葉に残し、知識を読者へ届けた。それは忘れられることのない方法だった。読書が好きなスターリングは、本からたくさんの言葉を知った。両親から自然に関することや名前を教えてもらった。記憶力の良いスターリングはそれらを覚え、生まれ持った才能を活かして、詩を作りながら言葉を選ぶ力を身につけた。そして記者となり、物事を観察し、情報を集め、わかりやすく文章にまとめる数々の経験を積んだ。伝記を書く仕事では歴史を伝え、RascalThe Wolfling2作で自分の中だけでは留めておけない、消し去られたくない出来事を伝えた。詳細に物語を書くことで、スターリングは人々に知ってもらいたいことを見せている。Rascalが他の作品と一味違うのはこのためだ。

終わりに
 読む人の心を捉えるユーモアたっぷりのキャラクターたちが展開していくストーリー、動物だけでなく人間模様や時代背景をも美しく再現したRascalは、スターリング・ノースが残した傑作だ。Rascal出版から50年経った今、地元アメリカでは3世代に渡りこの物語を愛読しているらしい。初版で楽しんだ方が自分の子供に読んで聞かせる。学校でも授業で使われることがあるようで、そういったところでこの話を学ぶ人たちもいる。Rascalを気に入った読者たちは子供にこの小説をプレゼントしたいと考える人が多い。たとえ単語が難しくて小学校に上がる前の子には読みにくくとも、スターリングとラスカルのお話は子供たちを喜ばせている。スターリングの残しておきたかった古き良き時代の思い出は見事に多くの人の心に伝えられている。『あらいぐまラスカル』もスターリングの願いに一役買っていた。ラスカルのかわいさばかりに目を奪われて、そのことを忘れがちだが、アニメの存在意義はRascalの素晴らしさを伝えることだ。そのため、このアニメはロケを行い、ドラマの脚本を書いている作家を用意するというような特例の作り方がされている。原作と時代設定にずれがあり、良さを伝えきれていないところもある。なので、アニメを見ただけでスターリングの物語を悪く言ってもらいたくはない。アニメの評判を見ると、残念ながら「とても悪い」と思っている割合が少なくない。是非ともRascalを読んでから考えを改めてもらいたい。そして、Rascalをよく知らずにラスカルを好きだと言っている人たちも、まずは原作を読んでほしい。それから日本でのアライグマ野生化問題の責任をあちこちになすり付ければいい。ただRascalはそのことに関し無実であると私は言いたい。紛れもなくRascalはアメリカ文学また動物物語の代表作なのだから、この作品を誤解している人が悪いのだ。とにかくRascalをちゃんと知ってもらいたい。


引用文献一覧
North, Sterling. Rascal. Illustrated by Schoenherr. New York. Puffin Books. 2004.
---The Pedro Gorino: The Adventures of a Negro Sea-Captain in Africa (autobiography of H. Dean). Houghton. 1929. published in      England as Umbala, Harrap. 1929.
---Plowing on Sunday. Reilly & Lee. 1934.
---Raccoons Are the Brightest People. Dutton. 1966. Published in England as The Raccoons of My Life. Hodder & Stoughton. 1967.
---The Wolfling: A Documentary Novel of the Eighteen-Seventies. illustrated by Schoenherr. Dutton. 1969.
Seton, Ernest T. “Way-Atcha, The Coon-Raccoon of Kilder Creek.” Wild Animal Ways. North Carolina. Yesterday’s Classics. 2010.

「制作スタッフに聞くラスカルが生まれるまで」『MOE33.420113月):13
ちばかおり『ラスカルにあいたい』(求龍堂、2007):73
ちばかおり『「ラスカル」の湖で~スターリング・ノース~』名作を生んだ作家の伝記10(文溪堂、2010):102