2016年2月6日土曜日

赤毛のアンもフィナーレだ

久しぶりにこちらに書きますやん。
おぉ、いつの間に赤毛のアン読んでたんだって感じ?
読んでたのぉ、去年から。

ふむ。
村岡花子さんの翻訳と共に読んできたけど、ラストに近づくにつれて、翻訳中では省略が多く見られてきた。
ぼくが読んでいる本だからなのかな?
花子さんの翻訳の原作があるのかしら?
英語がわからなくて、翻訳から解釈のヒントをもらってるのに、1文なり、数行なり、数段落なり、ばっさり省略されてしまうと、ウッとなる。
この省略の謎が解ける人はいるだろうか。
ページ数の問題なのか、花子さんの気持ちの問題なのか。
マシューおじさんが死んじゃうの、めっちゃ悲しいもんなぁ。駆け足になったのかなぁ。

花子さんの文しかり、モンゴメリーの文しかり、風景描写が美しいね。
だからこそ、最後までしっかり翻訳も書いてもらいたかったなぁ。
風景のみならず、心情もね。
マリラがアンをどれほど大切に思っているかを、本人に直接言うシーンなんて、涙ちょちょぎれるのに、ばっさりだもの。
さみしいね。

学生諸君、原作と翻訳の比較をこんなアプローチでもやってみてほしい。
原作を中心に論文を書く人もいるかもしれん。が、ここまでのビッグネームだと、翻訳をあえて中心に持ってくることも面白い見方かもしれないね。
日本人が日本人に注目して何が悪い。
ただあれなんだなぁ、英米文学って枠で考えると、カナダは外れるのかなぁ。ギリでアメリカ文学なんだろうか。

ま、本編読んでて、こんなことを思ったわけだ。
最終章を読んだら、次はいよいよチョコレートアンダーグラウンドだ。